ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジャック・ヴァンス「天界の眼 切れ者キューゲルの冒険」

ジャック・ヴァンスの「切れ者キューゲル」シリーズは、前に「不死鳥の剣」でひとつ読んでいた*1けれど、その短編「天界」とそこから始まる連作を、同じく中村融訳によってようやく一冊にまとめられたもの。いや長かったね。はじめて「切れ者キューゲル」の名を聞いたのは多分「トンネルズ&トロールズ」のルールブックが出た頃じゃないかと思うのだけれど、「不死鳥の剣」で初めて読んだキューゲルは、これってほんとに切れ者なのかなーと苦笑交じりな疑問符のつく人でしたが、今回やっとわかりました。この人切れ者じゃなくて「切れ者(自称)」です。しばしば「切れ者キューゲルの名は伊達じゃないぞ」などとひとりごちますが、伊達です。むしろ詐欺ハッタリの類いに近いしもうちょっと言ってしまうとこの人は、

なんだ、ただの人間のクズか

という程度の小悪党というかモブ外道みたいな感じだった…

ピカレスクロマンというにはあまりにカッコ悪い(巻末の訳者あとがきには「ピカレスクロマンとは悪役が格好良い話ではない」との解説があるが)し、特に女性キャラクターに対する態度がその、お互いの同意のない一方的な性交で事後も放り出して特に面倒を見ない(表紙にも描かれたダーヴェ公女の末路とか酷すぎにも程がある)ようなのが続出で、正直読み進めるのが辛かった。石黒正数の表紙画がなければ難しかったかも知れないなあ…などと思いながら終盤に差し掛かると、あっと驚く

大 ド ン デ ン 返 し !!

で捧腹絶倒まさかの爽快感炸裂エンドなのであった。

結論:ジャック・ヴァンスはいいぞ

米澤穂信「さよなら妖精」(新装版)

 

さよなら妖精【単行本新装版】

さよなら妖精【単行本新装版】

 

 米澤穂信の「さよなら妖精」は文庫版を持っていて、いまでも本棚のちょっと良い位置に、友人からいただいたブックカバーに包まれて納まっているお気に入りの一冊。著者デビュー15周年ということで再度ハードカバーの新装版なのだけれど、これがデビュー作という訳ではないし「王とサーカス」の評判が良いのでそれに乗せてということなんだろうなあ。

とはいえ、作家米澤穂信の位置を決定づけた一冊だったようには思うし、初読時の記憶は鮮明に残っています。それより前に小市民シリーズを読んでいて「本格ミステリーも書くのに妖精が出てくるようなファンタジーも書くのか、多才な人だな」などととんでもない誤解から入ったことも、忘れはしまいよ(笑)

今はどうだか知らないけれど、10年前にPCで「ユーゴスラヴィア」と打つと公正機能が働いてそんな国がこの世に存在しないことを教えてくれたものでした。そんなこともあったなあ…

今書店に並んでる文庫版の方の帯には「『王とサーカス』の太刀洗万智が初めて出会う事件」みたいな言葉があるけれど、別になにか事件が起こる話じゃありません。どこにでもあるような、ありふれた光景の点描です。

久しぶりに今読み返すとアニメ版「氷菓」みたいな絵柄が浮かんできて困る(困るとは言っていない)。アニメで見たい気もするけれど、高校生が盛大に酒盛りをするというとてもありふれた光景は、しかしアニメの映像にはしづらいだろうね。

巻末には描きおろし短編「花冠の日」が収録されています。これがひどい。なんてものを書くんだ米澤穂信ッ!

というぐらいに良い作品でした(褒めていますよ)それはどこにでもある、ありふれた光景の点描なのですけれど。

 

いまのシリアとか。

 

今年の一番について考える。

毎年恒例です。今年もいろんなことがありました。いろんなものをみて、いろんなことを考えた。そのほとんどは記憶をすり抜けて消えて行ってしまうものだけれど、記録に残せば思い出すよすがにもなろうかと…

 

なんて思って数年前の記述読み返しても大抵イミフなんだけどなwww

 

・本

今年読んだ中で一番面白かったのはハテなんだろうとちょっと考えた。考えて無理矢理ヒネリ出さなければならないほどに近年の読書体験は薄くなる一方だけれど、今年読んだ本の一番はミハイル・エリザーロフの「図書館大戦争」でしょうか。「ロシアでは文学が一般社会の中で日本よりもずっと大きな影響力を持っている」みたいな話をたまに聞くけれど、まあ、なんとなくわかるような気がします、これを読むと。

いま日本のライトノベルやゲームなどで「文豪もの」みたいなジャンルが広まりだしてるみたいなんだけれど、ああいうのは作家のキャラクター性を前面に出しこそすれ、作品自体を見すえているんでしょうか?そこはちょっと気になるというか、見てないんじゃないかとやや不安になる。村上春樹ノーベル賞取れないだろうな(関係ねえ)

 

・アニメ

アニメもどんどん見なくなってるなあ。シーズンごとにひとつは見ているはずなのだけれど、じゃあ今年の頭に何を見ていたのかはよく覚えていないんだなこれが。プリキュアガンダムはTVで見てるけれど、配信は忘れてるなあ。

4クールのアニメが作り難くなってずいぶん経つけれど、今年はとうとう短クール作品ですら破綻する事例が増えて来て、いよいよお仕舞いかという感じはする。視聴者の要求水準が高いことは間違いなく理由のひとつで、これはもうどうにもならん、かといえばまーそうでもないのでしょうけれど。

で、今年の一番のアニメはジョジョ四部です。原作は途中で読むのをやめた(ジャンプを読まなくなった)ので、後半の展開は実に新鮮な驚きを持って見ることが出来ました。断片的に知ってた「名言」が次々に発せられるのが楽しくて、あれでも吉良吉影の名言がひとつ出てないな聞き損ねたかな?などと思っていたらッ!まさかそんなところでッ!!

あそこにああいう場面を入れることで、吉良吉影というキャラクターの異常さ、不健全さを際立たせるのだから荒木飛呂彦は上手いよなぁと唸る、新鮮な気分で(笑)

佐藤利奈が非常にいい演技をしていたのも◎ 少年スピードワゴンか!とばかりにしゃべるわしゃべるわ…サトリナの少年役も初めてではないけれど、ここまで肝の座った声を聴くのは初めてでしたねー。

 

・映画

今年は映画をよく見ました。去年からの引き続きで「ガールズ&パンツァー劇場版」、そして「シン・ゴジラ」「君の名は。」「ゼーガペインADP」と続いて「この世界の片隅に」ですか。どれも名作ばかりで「君の名は。」以外は複数回劇場に足を運んだのも今年の特徴ですね。

アニメと特撮ばかりだけれど、アニメや特撮の方が画面の端々まで計算して映像を作ってるように思うのは、それはさすがに偏見かな?しかし実写で普通に人間を撮っている<だけの>安い映画よりは、同じ予算でも完成度の高いものは出来るかもしれない。でもそれは良いことなんだろうか…なんてことをボンヤリ思ったりします。

この先アニメが生き残れるのは劇場映画だけかもしれないよな、「夜は短し歩けよ乙女」は劇場映画になるとかで。で、「映画館に行く」行為がイベント化している昨今、絶賛以外の感想が受け入れられなくなってるような危惧もあったりだ。

そんなこんなで今年の一番の映画はそりゃ「ゼーガペインADP」ですよ。「この世界の片隅に」風に言えば

ワシらの10年間じゃ!

てなもんですよええ。

ところでゼーガ公式サイトのスタッフブログに、一枚自分がばっちり写り込んでる画像がある。10年を経て自分自身がゼーガペインを構成するデータの一部になったというのは、なんか感慨深いなあ。

 

・プラモ

ことしの一番のプラモはフィギュアライズバストのフミナ先輩です

理由はおっぱいがおおきいからです

いや、フィギュアライズバストはいろいろすごいぞ。あれを技術というと怒り出す人がいるけれど、やっぱりバンダイの技術やセンスは他のメーカーからひとつ図抜けている気がします。プラモデルでは満足できないものしか無くレジンキットとして世に出た「美少女フィギュア」が、その後コールドキャストの完成品、大量生産に向いたPVC、自由度の高い可動フィギュアと様々に変貌して、たどり着いたのが「プラモデル」だというのは面白いな。コトブキヤのメガミデバイスも「プラモデル」だし、なぜそこに行きつくかと言えば中国工場の人件費とかもあるんだろうなあやっぱりね。

 

・ステージ

ことしは珍しくステージイベントを見に行きました。夏には「10th Anniversary ゼーガペインSBG の始まり@舞浜サーバー」というのに出かけたけれど、10数年ぶりに岩男潤子さんのコンサートに2度も出かけた。3月の羽田空港TIAT SKY HALLで開催された「Departure」は懐かしさと楽しさと新しさでいっぱい、そしてなにより8月に銀座ヤマハホールでの「岩男潤子コンサート2016〜Sound of music〜」が素晴らしすぎたことは、これが今年の一番幸福な時間と場所でした。これまでそんなに音楽の空間に足を運んではいないし、決して耳の感覚も良いとはいえないだろうけれど、それでもヤマハホールの音響効果の良さははっきり解りました。ただ拍手しただけで綺麗な音が響くのよ。あれはすごいよ。

ルフレッド・べスターのSF小説「虎よ!虎よ!」に電磁波が「視える」ヒロインというのが出てくるのだけれど、音の波を目で見ることが出来たらいいのになと心底願った、そんな時間と空間でした。

そのことを感想として岩男潤子さんのラジオ番組にメールで送ったら初めて読まれて悶え死にそうになったのも、本年の幸福な記憶であります。

 

嫌なこともあったけれど、良いことの方がずっとずっと多かった。今年はそんな年でした。

 

チャイナ・ミエヴィル「爆発の三つの欠片」

 

爆発の三つの欠片(かけら) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

爆発の三つの欠片(かけら) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

 読んだ、ということだけ記録しておく。チャイナ・ミエヴィルというひとはどうも当たりはずれが多くて、今回は自分にとっては外れだった。しかし観念的な作品が多い(と、思うのだが)わりに巻末解説がほとんど何も解説していないのは、それはどうなんだろうなあ

 

 

ナイジェル・オールソップ「世界の軍用犬の物語」

 

世界の軍用犬の物語

世界の軍用犬の物語

 

 「物語」とはあるけれど、「軍用犬」の歴史と現状を記録したもので別段ストーリーがある訳ではない。歴史よりも現状がメインで、世界の軍隊と軍用犬利用の現状を概観したようなものか。古くは紀元前から犬は軍事に用いられ、戦闘・探知・輸送・救助活動など様々な運用が行われてきた(軍隊での愛玩・マスコットというのも重大な任務のひとつである)。21世紀の現代でもそれは変わらず、軍用犬がいかに頼りになり、有能で有益で有力な存在として掛け替えなく、今後もその価値は揺るがずあり続けるだろうと称賛されている。

そんな内容の本ではあるが、本書を読んでまじまじと思うのは、人類は直ちに犬の軍事利用を中止して、殺し合いなどは全部人類だけでやるべきだ。ということだな…

軍用犬の利用度合いも各国によって様々で、中東やアフリカ諸国であまり活用されないことに対して著者は「イラクでは犬は汚れた動物だとみなされている」「アフリカ人が概して犬を信用しない」などと書いているのだけれど、要は犬の軍事利用は欧米を主体とした軍事文化のひとつに過ぎないってことじゃないのかなー。

日本はアジアでも有数に欧米化された国家だけれど、第二次世界大戦後犬の軍事利用については大幅に縮小され、いまでは航空自衛隊の基地警備に少数の警備犬が使われているだけです。本書でもその記述は2行程度。

 

日本って、いいなあ。

 

割とマジで。

この本国によって記述レベルがまちまちで、軍隊と警察活動の(軍用犬と警察犬の)境界線の引き方がよく解らないんだけれど、日本の警察犬活動については全く触れられていない。思うに、いまの日本社会で「犬を軍事利用すること」に対する嫌悪感は相当高いのではないだろうか。それこそ「考えたこともない」レベルで。

乾石智子「沈黙の書」

 

沈黙の書

沈黙の書

 

 オーリエラントシリーズの、長編としては最新のものですが、扱われている時代は最も古いものです。巻頭の地図が既刊のものとはちょっと違っていて、地形が変わるほど時間が隔たった時代の話である(ファイブスターか)。

人も国も、魔法も自然もいまだ未熟な時代、戦乱と発展、荒廃と再生の連なりを見せたうえで「本」や「言葉」に大きな意味付けを持たせていくのがこのシリーズのテーマとなのだろうなと、それはだんだん掴めてきたように思います。しかし綺麗にまとめられているように見えて、これをただの「綺麗にまとめられた話」でまとめてしまうのも、それでは少し不足な気もする。蛮族の皆さん気の毒だなという視点を、一読者としては持ち続けていたい。

「天と地の間」「言の葉の満ちるところ」オーリエラントってそういう意味だったんですねえ