ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

笹原克ほか 著 モリナガ・ヨウ 画「南極建築1957-2016」

 

南極建築1957-2016 (LIXIL BOOKLET)

南極建築1957-2016 (LIXIL BOOKLET)

 

 

土木というか建築の本ですけれど。日本の南極観測施設として1957年に開設された昭和基地(日本初のプレファブ建築だった)の変遷を中心に、現代にまで至る南極における日本の建築物を解説するもの。かつてはイギリスのスコット隊が遭難したり、映画にもなったカラフト犬の置き去りなど過酷な環境であった南極も、技術の進歩で現在はずいぶん快適に…というような内容だろうと(あまり良いことではないですが)先に推測しながら読んでいく。たしかに技術は進歩して、観測や生活など基地に於けるひとつひとつの要素は快適にはなっているのだけれど、しかしながら南極が過酷な場所であることには変わりがないんだな…という印象。ブリザードを突いて内陸部へと補給物資を届ける雪上車の隊列は東部戦線どころの話ではないし、内陸部の氷床を掘って作られたみずほ基地あすか基地は既に放棄され完全に埋没している。

そんなところでも人の生活はあり、過酷な環境とどのように接していくか、モリナガ・ヨウ先生の挿絵はやっぱりどこか暖かみがあって人間らしさのぬくもりみたいなものは感じます。現在運用されているドームふじ基地の構造イラストなんかはRPGのダンジョン地図みたいで、読んでるこちらをわくわくさせてくれる。夢とかロマンとか、例え空虚であってもそういうものを受け止めることが、たぶん「次」へとつながるのでしょう。第一次南極越冬隊を率いた西堀栄三郎氏が、かつて白瀬矗の講演を聞いていた…というのは初めて知りましたが、ひとの想いが繋がるのは良いことです。

当初建築家によって出された案がUFOみたいな円形や、まるで古いSFに出てくる「宇宙ステーション」のようなドーナツ型であったのはいささか苦笑したのだけれど、未踏の地に生存環境を切り開いて開拓していく様は確かに宇宙開発のような印象も受け、そして本文の最後は力強く「極言すれば、南極の基地は将来の地球外惑星の基地のアナロジーと言えるだろう」という言葉で結ばれている。

 

うむ。

 

南極はSF!(そうじゃない)

 

ページ数こそ少なめですが、日本以外の各国の南極観測基地についても記述はあり、そちらも非常に興味深いです。立地条件や文化の違いによって多彩な、それでもどこか「宇宙基地」みたいな概観の各国基地を包括的に知ることが出来るような本があれば面白そう。「この南極基地がスゴい!」みたいなw

 

どこの国も娯楽施設には非常に力を入れていて、現在の昭和基地の管理棟内バー・カウンターには赤ちょうちんが飾られている…!というのもモリナガ先生のイラストで教えられたことなのです。いいねえ…

 

主にこの本の挿絵を中心としてモリナガ先生の原画展をやっていて、先日(てか昨日な)見てきたわけですが、トレーシングペーパーを使って画稿と書き文字をレイヤー構造にしているのを大変興味深く拝見しました。入場無料、この連休におすすめのイベントですよ♪

 

http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_003630.html

 

それとこの本、フォントがちょっと面白いのよね。キャプションに使われてる書体はなんだろう?妹尾河童の手書き文字みたいな印象なのだけれど。

G・ウィロー・ウィルソン「無限の書」

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

サイバーパンクアラビアンナイトが融合したSFファンタジイ小説である」と訳者あとがきにある。現代イスラム世界を舞台に(はっきり書いてないけどサウジアラビアUAEのどこかなんだろうか?)うーん、なんだろうハッカー青年と陰謀と異世界、みたいな仕立て。作者は「ミズ・マーベル」にイスラム少女を起用したことでも有名なひとで、コミックライターだけあって非常にキャラ立ちが良い。「吸血鬼ヴィクラム」とか後半に登場する引退した元ハッカー「ニュークォーター01」とか、とても魅力的です。タイトルと装丁から固そうな本だなーと思って読みだしたんだけれど、むしろ展開はスピーディでライトなノリでもある。2人登場するヒロインがどちらもカワイイ。とてもよろしい。

アメリカからイスラムに対する優しい視点のSFファンタジィが出るというのはとても大切なことで、でもイスラム圏がこれをどう受け止めるかはまた別の問題か。

ただ露骨に「アラブの春」をエンターテインメントに落とし込んでいるので、受け付けない人もいるかなとは思います。

「あんた、いいやつだな、アブ・タリブ・アル・ムフタル・イブン・ハムザ王子」
「なんだよ、ぼくのフルネーム、おぼえてくれていたのか」

ここ好きw なんか好きだなー、わけもなくね。

「夜は短し歩けよ乙女」見てきました

公式。

同じスタッフが再集結ということである意味劇場版「四畳半神話大系」みたいだったけど(笑)だからこそ一層楽しめたように思います。原作未読で「四畳半神話大系」も知らなかったらチンプンカンプンかも知れぬが。

 

原作はこれが初森見で、初読当時に大いに楽しみ、そして(実におこがましいことですが)こういう作品を書ける才能に激しく嫉妬したことをよく覚えています。後にも先にも我が人生に於いて他人に嫉妬したってあれを読んだ時だけじゃあるまいか。

 

原作では一年間の出来事を四季を追って描いていくのだけれど、今回のアニメでは四季を追った出来事を一晩で描くというかなりアクロバティックなことをやってて、そういう不自然さを不自然と思わせないようなパワフルな映像が作られていました。「四畳半神話大系」のときは短い原作を1クール13話に広げたのとは実に対照的なことで、やっぱりこの2つはセットになってるんだろうなあ。これまでも幾度か企画があってポシャった(以前マンガがありましたね)とは初めて知ったのだけれど、このスタッフで映像化できたことは、実に僥倖。

 

キャスト陣についてはもう、これは本当に花澤香菜さんをみるための映画です。星野源の主演も良し、本職の声優ではない芸人や俳優の方々もむしろ映像にマッチした感じはあり、声優陣も良いところを多く揃えてその上で尚、これは花澤香菜さんを見るための映画ですと、極めて個人的に断言する。とても、とても素晴らしい演技をするようになりました。「ゼーガペイン」で見て以来(いや「LAST EXEILE」も見てるんだがさすがに認識してなかった)この10年でここまで大きく成長する様を見られたのは、大変幸福なことです。劇中黒髪の乙女がなりゆきから「偏屈王」の舞台に立ち、そこで「棒読みの演技」をはじめたときには感動に打ち震え、ましてや大スクリーンで歌声を響かせるなど「セキレイ」のあれからなんて成長したんだろうと、もうロマンティックエンジンがガンガン。ガンガン動くのよ。

 

かなり原作は脚色されているので、久しぶりに読み返さなきゃいけませんね。

 

ともあれ、良い映画でした。

バリントン・J・ベイリー「ゴッド・ガン」

 

 この人の本は10代の頃に「禅銃<ゼン・ガン>」と「カエアンの聖衣」を読みました。どちらも傑作で、特に後者はクライマックスの章のページを開いた瞬間、大変に興奮しゾクゾク震えたことをよく覚えている。ネタバレなので詳しくは触れませんが、新約版などで現在でも入手可能、おすすめです。

 

それら「ワイドスクリ-ン・バロック」の代表例みたいな長編に比べればやはりこじんまりした短編集だけれど、表題作「ゴッド・ガン」の、神を殺したくなったので神を殺せる銃を作りました。神はどこにでもおわしますのでどこから撃っても殺せます。ほらね。というぐらいのド直球ストレートぶりには感服を覚えます。マッドサイエンティスト的な話はいくつかあり、どれもまったく悪びれることなく素直にマッドなところは痺れる憧れる。

 

そのうえで、決して地球ではない世界の決してカニではない生き物たちの性春群像(タイポではない)を描いた「蟹は試してみなきゃいけない」の爽やかさには胸を打たれるものがあり。

鉄血のオルフェンズ2期

おしまい。

 

1期の感想はこちら。

1期のラストでかなり強引にハッピーエンドでまとめていたんで、当初2期は何をやるのだか見当がつかなかった。いかにも前座みたいなエピソードがいくつか続いて、ようやくマクギリス・ファリドが何かやらかすぞと身構えていたらおよそ何も考えていない人物でしたー。というのはかなりの肩透かしだったけれども。

 

「お前たちは腐っているぞ!300年前のルールに従いなさい!」「嫌だよ」「なんだと!お前たちは腐っているな!」「だからそう言ってんじゃんよ」

 

マクギリスのクーデターはだいたいこんな感じだった。フリット・アスノよりひでぇ。そもそも粛清も虐殺も無しにクーデターやろうなんて腑抜けな話でな。

 

そのあたりからラスタル陣営の(というかラスタル個人の)主義主張の方がまーどんどんまともに見えて来て、マクギリスも鉄華団もいなくなったらラスタルとクーデリアが手打ちして世の中良くなりました。

 

なんかモニョるのはなんでだろうなー。負けて終わるガンダムはむしろ好物なんだけど、条約調印の場でラスタルがクーデリアを革命の乙女呼ばわりしたのは本気なんだか嫌味なんだかよくわからん。この番組「革命」をどうとらえてるんだか測りかねる部分があってなーうーん。

象徴としてのガンダムが屠られてひとの治世が始まる。それは良い流れだ。シンボルと看板の薄っぺらさは要所で描写されていたようにも思う。

あとは愚痴にしかならんのでもう書くのをやめる。

土屋健「そして恐竜は鳥になった」

 

そして恐竜は鳥になった: 最新研究で迫る進化の謎

そして恐竜は鳥になった: 最新研究で迫る進化の謎

 

 表紙や背表紙には監修者の名前の方が大きく書かれているけれど、古生物学の黒い本でおなじみ土屋健によるもの。羽毛恐竜について簡潔にまとめた恐竜の本なのだけれど、図書館では鳥類の棚(NDC488.1)に配架されていたのが面白くて、このブログのカテゴリーでも古生物学にはしないでおくw

最近の図鑑やテレビ番組、博物館の復元図でももう羽毛恐竜一色ですから(4年前に出た本とは言え)今更なんですが、「やっぱり恐竜はデカいトカゲじゃねーと嫌だよ」ってひとには何がどうなって今があるのかを、わかりやすく説いてくれるものです。恐竜認識の世代間格差を埋める一冊(か?)