ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

藤崎慎吾「深海大戦 超深海編」

 

深海大戦 Abyssal Wars 超深海編

深海大戦 Abyssal Wars 超深海編

 

 

読んだ、これまでとくらべると話の展開がスムーズで(謎解きパートだということもあり)読みやすかったようには思う。例によって説明的な台詞・シーンが続く割には肝心のところをボカシて進めるようなきらいはあるのだけれど。

 

うーんたぶんね、このお話の(もしかしたら作者自身の?)根底にある楽観的な無政府主義に、自分があまり共感できないというのが、最後まで引っかかっていたのだろうなあ。

 

最終巻にしてようやく姿を見せたイクチオイド<タンガロア>、だよなあコレ、が、「絢爛舞踏祭」の希望号を劣化させたようなデザインなのはさすがにどうかと思うのだが。

早川書房編集部・編「伊藤計劃トリビュート2」

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

ふだんあまりネガティブなことは書かないようにしているのだけれど、まあこれまで皆無という訳でも無し、これはダメだった。

先日読んだ「アステロイド・ツリーの彼方へ」*1の編者(大森望)による2015年概況が、「二○一五年の日本SF界をふりかえると、その中心のひとつは、二○○九年に世を去った伊藤計劃だった」からはじまるのに妙な違和感を感じて、その直後に読んだこともあまり良い影響を与えていないように思うのだけれど、SFの中心のひとつは伊藤計劃ではなくて「伊藤計劃で商売をする連中」じゃねーかというのが大体の感想です。

若手作家を売り出すのに死人の名前でラッピングするというのは伊藤計劃的かもしれないけれど、この本伊藤計劃と関係ない話の方が面白くて、巻末にはやけに長いのがあるなと思ったらそれは長編の抜粋だったのでさすがにページを閉じる。こうでもしないと売れないのだったら、いまのSF界は活況でもなんでもないよ。春だの夏だの言っててなんでSFマガジンが隔月刊になってんのよ。

作品自体には罪などないし草野原々「最後にして最初のアイドル」は非常に面白かった。柴田勝家雲南省スー族におけるVR技術の使用例」はSFマガジンで既読だったけれど、これも「完全なる真空」のような虚構性の良さがある作品です。でもそれらの作品もそれぞれの著者も早逝した作家とは関係が無いし、収録作品に共通する「テクノロジーが人間をどう変えていくか」「異質な存在との対話/コミュニケーション」のテーマだって伊藤計劃に帰するものではないだろう。

売らなければ商売にならんというのはわかるのだけれど、なんかピントがずれてる気がするんだよな…

大森望・日下三蔵 編「年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ」

 

 例によって2周ほど世の中に遅れて読む(笑)今回の収録作では表題となった上田早夕合「アステロイド・ツリーの彼方へ」と、坂永雄一「無人の船で発見された手記」梶尾真治「たゆたいライトニング」などがよかった。

 

「たゆたいライトニング」は久しぶりに読んだエマノンシリーズでいて、「クロノス・ジョウンターの伝説」とも関連し全体的な構成としては「時尼に関する覚え書」に相似している、カジシン好きならいろんなスイッチを刺激されそうな作品でした。

 

無人の船で発見された手記」はロバート・ブロックのクトゥルフ神話をもじったようなタイトルで、中身は旧約聖書ノアの箱舟…のようでいてやっぱり旧支配者的なアレがコレするスリリングなもの。クライマックスの情景は美しいと思うし、こういう作品を美しいと思う感覚は保ち続けたい。

 

「アステロイド・ツリーの彼方へ」はまーなんか流行り物でズルいよなという気がしなくもないけど猫や人口知性や健気な宇宙探査機好きにはヒットするものでしょう。

 

上遠野浩平「製造人間は頭が固い」はSFマガジン掲載時に読んでたけど、著者あとがきがかどちん節じゃなくて新鮮(笑)

 

で、だいたいこういうアンソロには「なんでこんな作品が収録されているのか」みたいな不満も多いけれど、これまではあまり気にしないで来れました、こういうものは編者の趣味嗜好だからねえ。でも今回初めて「なんでこんな作品が収録されているのか」と感じたものがあった、ということは記録しておきます。流石にタイトルは挙げないけれども。

ハラルト・ギルバース「ゲルマニア」

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

ナチスドイツ統治下でのハードボイルドミステリーというのはそれほど珍しいものではなくて、あとがきにもいくつか先行作品が挙げられています。ナチスドイツが架空の勝利を挙げた後の世界とか、ナチスドイツ統治下のパリとか舞台は色々あるけれど、それでもやはり戦時体制真っただ中の1944年ベルリンを舞台にした作品を、戦後生まれのドイツ人作家が著わすということには並々ならぬ意味がある、ような。切り裂きジャックを模したような連続殺人事件の、犯人のキャラクターにはたぶんドイツ人ならではのこう、ね。

主人公は戦前は警察勤務でナチス政権以降は迫害されていたユダヤ人のオッペンハイマー警部、妻がアーリア人であったためにかろうじて収容所送りを逃れていた彼が、その経歴を買われて武装親衛隊の事件捜査に引きずり出されるという展開です。武装親衛隊がなんで殺人事件の捜査なんてやってるの?という疑問にはそれなりに回答が用意されているけれど、不慣れな仕事に戸惑うフォーグラーSS大尉との間にいつの間にか奇妙な友情が…というのもまあお約束の展開ではあります。

ラストには事件が解決してオッペンハイマーは「自由」を得る。ではその自由とはなにか、というところが、これまでに読んだ類似作品のどれよりも、しみじみ感じ入るところではあります(いちおうハッピーエンドですよ)

 

ところで、あとがきには触れてなかったけれどナチスドイツ統治下でハードボイルドミステリーと言えばフィリップ・カーのいわゆる「ベルリン三部作」でしょう。本作はフィリップ・カーが三部作で敢えて空白にした期間が舞台で、本文のそこかしこに意識したような人物が配されてるような気がするのだけれど、あとがきでは特にベルリン三部作には触れてないのだよなーうーむ

 

関係者の自宅に聞き込みに行ったら「そのお宅は2週間前に空襲被害に遭って本人もどこかに行っちゃったよ」みたいな展開が頻出するので、戦時下の犯罪捜査は大変であるw

ブラム・ストーカー「七つ星の宝石」

 

七つ星の宝石 (ナイトランド叢書)

七つ星の宝石 (ナイトランド叢書)

 

 「吸血鬼ドラキュラ」であまりにも有名なブラム・ストーカーによる長編小説。ナイトランド叢書を読むのは始めてですね。知られざる作品を世に出してくれることに感謝。巻末解説によるとストーカーの作品として母国イギリスではドラキュラに次いで読まれている作品だそうです。

これまでストーカーはドラキュラ以外に短編を読んでて「判事の家」なんかはかなり好きなんだけれど、今回はうーん、刊行当時(1903年)大流行だった「エジプト」を題材に、女王のミイラと復活の謎、「七本指の手」などの小道具やタイトルには大変魅力的なものを感じたのですが、お話そのものはうーむ…。ミステリ仕立ての前半と、冒頭で何者かに襲われ意識を喪失、お話のカギを握る人物トレローニー氏が目を覚ましてからの急展開の後半でちょっと話の温度が違うような。推理小説怪奇小説がまだ未分化な時代の作品であることはともかくとして、「ノックスの十戒」なんてものが生まれてくるわけだな、てなことを思ったりする。なんだかんだで話が進んで主人公以外皆死ぬ、という初版と、なんだかんだで話が進んでみんなハッピーエンドという1912年版(短縮版)の2種類の結末が併記されているのは面白かった。そして解説にも書かれていることだけれど、当時の最先端の風俗や科学的発見を取り込もうとする意欲ははっきり伺えます。100年以上後の読者から見れば古い作品でも、100年以上前の作者はいま・その瞬間に、新しい何かを産み出そうと奮闘しているわけで。

そういうところは非常に興味深く読めた、不思議な読書体験でした。

 

途中で友人であるメアリ・シェリーの『鎖を解かれたプロメテウス』(いわゆるフランケンシュタインね)がかなりむりくり引用されてるところなんかは、なんだか微笑ましい(w

土屋健「三畳紀の生物」

 

三畳紀の生物 (生物ミステリー(生物ミステリー プロ))

三畳紀の生物 (生物ミステリー(生物ミステリー プロ))

 

 古生物学の黒い本、第5巻。三畳紀というのは広い地球に地面がたったの三畳分しかなかった時代、ではなく(あたりまえだ)むしろ地形としては超大陸パンゲアがあった時代。のちのジュラ紀白亜紀と共に中生代をなす時代で、「『中生代』を一言でいえば、それは『爬虫類の時代』である」と本文にもある。

 

えっ

 

恐竜って爬虫類なの?

 

ともあれ、三畳紀に関して言えば「爬虫類の時代」であることに間違いはないようです、恐竜というトリだかトカゲだか正体のつかめないものは確かにこの時代から生まれたけれど、三畳紀の世界を支配していたのは翼竜や魚竜やクルロタルシ類といった爬虫類たちです。

 

クルロタルシ類とはなんぞや。

 

やー、この感読んで一番収穫だったのは多分これだな。むかし何かのイラストで見て、えらく印象的だった割にそれがなんだかよくわからないまま過ぎていたのだけれど、おそらく自分が見たのはクルロタルシ類を描いたものだったのでしょう、うんうん。

 

クルロタルシ類を一言でいうと「本気を出したワニ」である。どの辺が本気かというのは画像検索すればすぐわかる。なんというか「どっこいしょ」という感じでもあるのだが。

 

初期の恐竜類についても、とても興味深いものです。外観上は大差がないような種類でも、多様化の芽生えははじまっているのね…。なぜ本気を出したワニみたいなのが滅んで小型のトリだかトカゲだかわからんものが生き延びて繁栄したのかは、実はよくわからないのそうですが、「平たく言えば運(Luck)だ」という記述がむしろ重いなあ。

 

結局は運不運の問題なのよね、ミクロからマクロまでね。

 

気が向いたところで気が向いた巻号を読もうと思ってるこのシリーズ、今回三畳紀を読んだのは海洋堂のコレが「『中生代三畳紀の小型爬虫類が水中適応した末裔』という新しいアイディア」だというので興味を持ったんだけれど、海洋堂のアレのどの辺が三畳紀だったのかは……

 

ところでこのネッシー、数年前に海洋堂UMAボトルキャップでも出してるので、別に新しくもなんともないのでは???

笹原克ほか 著 モリナガ・ヨウ 画「南極建築1957-2016」

 

南極建築1957-2016 (LIXIL BOOKLET)

南極建築1957-2016 (LIXIL BOOKLET)

 

 

土木というか建築の本ですけれど。日本の南極観測施設として1957年に開設された昭和基地(日本初のプレファブ建築だった)の変遷を中心に、現代にまで至る南極における日本の建築物を解説するもの。かつてはイギリスのスコット隊が遭難したり、映画にもなったカラフト犬の置き去りなど過酷な環境であった南極も、技術の進歩で現在はずいぶん快適に…というような内容だろうと(あまり良いことではないですが)先に推測しながら読んでいく。たしかに技術は進歩して、観測や生活など基地に於けるひとつひとつの要素は快適にはなっているのだけれど、しかしながら南極が過酷な場所であることには変わりがないんだな…という印象。ブリザードを突いて内陸部へと補給物資を届ける雪上車の隊列は東部戦線どころの話ではないし、内陸部の氷床を掘って作られたみずほ基地あすか基地は既に放棄され完全に埋没している。

そんなところでも人の生活はあり、過酷な環境とどのように接していくか、モリナガ・ヨウ先生の挿絵はやっぱりどこか暖かみがあって人間らしさのぬくもりみたいなものは感じます。現在運用されているドームふじ基地の構造イラストなんかはRPGのダンジョン地図みたいで、読んでるこちらをわくわくさせてくれる。夢とかロマンとか、例え空虚であってもそういうものを受け止めることが、たぶん「次」へとつながるのでしょう。第一次南極越冬隊を率いた西堀栄三郎氏が、かつて白瀬矗の講演を聞いていた…というのは初めて知りましたが、ひとの想いが繋がるのは良いことです。

当初建築家によって出された案がUFOみたいな円形や、まるで古いSFに出てくる「宇宙ステーション」のようなドーナツ型であったのはいささか苦笑したのだけれど、未踏の地に生存環境を切り開いて開拓していく様は確かに宇宙開発のような印象も受け、そして本文の最後は力強く「極言すれば、南極の基地は将来の地球外惑星の基地のアナロジーと言えるだろう」という言葉で結ばれている。

 

うむ。

 

南極はSF!(そうじゃない)

 

ページ数こそ少なめですが、日本以外の各国の南極観測基地についても記述はあり、そちらも非常に興味深いです。立地条件や文化の違いによって多彩な、それでもどこか「宇宙基地」みたいな概観の各国基地を包括的に知ることが出来るような本があれば面白そう。「この南極基地がスゴい!」みたいなw

 

どこの国も娯楽施設には非常に力を入れていて、現在の昭和基地の管理棟内バー・カウンターには赤ちょうちんが飾られている…!というのもモリナガ先生のイラストで教えられたことなのです。いいねえ…

 

主にこの本の挿絵を中心としてモリナガ先生の原画展をやっていて、先日(てか昨日な)見てきたわけですが、トレーシングペーパーを使って画稿と書き文字をレイヤー構造にしているのを大変興味深く拝見しました。入場無料、この連休におすすめのイベントですよ♪

 

http://www1.lixil.co.jp/gallery/exhibition/detail/d_003630.html

 

それとこの本、フォントがちょっと面白いのよね。キャプションに使われてる書体はなんだろう?妹尾河童の手書き文字みたいな印象なのだけれど。