ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

宮内悠介「超動く家にて」

 

超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)

超動く家にて 宮内悠介短編集 (創元日本SF叢書)

 

 

短編集というのはその作家個人のポートフォリオのような意味合いもあって、本書はまさにそんな感じです。宮内悠介という人が何を書くのか、どんなものを産み出せるのか、そういう技術・力量の見本のような内容。そう感じたのは短い中に技巧を凝らした短編が多いからで、表題作「超動く家にて」はまさにその代表か。

実は「盤上の夜」よりも先にこのバカミステリSF(褒めてますよ)が宮内悠介初体験だったので、いまだに宮内悠介と言ったらどこか馬鹿っぽい空気で(いやだから褒めてるんですってば)、そこに技巧を凝らしてくる作家だという刷り込みがあります。宇宙ステーションの中で野球盤する話とかね。創元の年刊SF傑作選で既読の物もいくつかあったのだけれど、アンソロジーではなく著者単独の作品集の中に置けば、見え方もまた違ってくるものです。そして初出誌を確認すると、いかに媒体に(あるいはオーダーに)合わせてテーマを据え、その上でウイットなりユーモアなりを散らして、そして技巧でまとめるという技の冴えにあらためて唸らせられます。上手いよなあほんと。

収録作品も決して馬鹿っぽい(褒めてry だけでなく、しっとりといい話や爽快感あふれるエンドなお話や、様々なタイプの面白いSFがたくさん。まあ冒頭の「トランジスタ技術の圧縮」が「深刻にくだらない話を書く必要に迫られて」うまれたド直球に馬鹿っぽい(褒ry なのでその空気が全体を支配していると言えなくもないのだけれど。

 

だけれども、本当に面白いのは巻末のあとがきです(笑)語り口って大事だなあ…

コードウェイナー・スミス「三惑星の探求」

 

 人類補完機構全短編第3巻。3冊を通じてしみじみ思うに、どうも自分はコードウェイナー・スミスとは合わないらしい。全編を通じて確かに気になるキャラクターや詩情に満ちた用語・タイトルは見られたけれど、作品として、小説としては正直そんなに面白くは、無かった。残念なことではある。

 

本書の中核をなすのはキャッシャー・オニール四部作なのだけれど、そのなかでも番外編とでもいうべき「三人、約束の星へ」が今巻収録作品ではいちばん楽しかった。が、その楽しさというのも「上遠野浩平の虚空牙シリーズみたい」だから、というなんとも本末転倒した感想で、やっぱもっと早く読んどくべきだったのかも知れないね…

 

本書後半の作品群については旧版の「第81Q戦争」で読んでるはずなんだけどまるで覚えてなかった。そういうものかなあうーむ。

 

ところで巻末解説で、ある作品について「政府組織の右往左往はとてもリアルで」なんて書いてあるんだけどいやあ、それは、どうなの?

森見登美彦「夜行」

 

夜行

夜行

 

 まあ怪談…だよな。「きつねのはなし」や「宵山万華鏡」のような、闇森見とでもいうべき路線でこういうのはアニメにならない(笑)数年ぶりに再会したグループが10年前に疾走した仲間のことを思い出しながら、一人一人が自分の体験した奇妙な出来事を語り合う「百物語」風な連作短編集。個々の章を繋いで行くのが連作銅版画(と、その中に描かれた女)というのはちょっと乱歩の「押絵と旅する男」のようであり、M.R.ジェイムズ風でもある。

それぞれの章はまた「旅」をテーマにしていて、異郷を訪れて異界に触れるというのも萩原朔太郎の「猫町」をはじめ怪談(あるいは幻想文学)では、ある意味伝統的な手法です。

個別の章も全体に於いても、綺麗にまとめずにどこか読み手を不安に誘うような締め方はとてもとても良いものです。でも、こういうのはアニメにならないだろうなあ、やっぱりね。

 

夜行列車で青森に向かう「津軽」が、いちばん怖いなあ。恩田陸の作品みたいな雰囲気もあるかな

「ニンジャバットマン」見て来ました

公式。 新宿じゃピカデリーのシアター6で1日4回上映という規模のスタートだったんで、こりゃ早めに行かないとタイミング逃すなーと思って今日のうちに。

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信仰について。

 「カードキャプターさくらクリアカード編」、前作より10年を経て作られた正当な続編。前作と同じキャスト、前作と同じスタッフ。ただ一人、佐々木利佳ちゃんだけは川上とも子さんから藤田咲さんに代わって、利佳ちゃんだけはみんなとは違う中学に進学している。それがどうも「魔法騎士レイアース」の鳳凰寺 風と同じ学校だそうで、きっと利佳ちゃんは風ちゃんが良くしてくれているのだろう。川上とも子さんが安らかであられるのと同じように。

 

これはそういう世界のお話です。昔と変わらないキャラクター達を懐かしむとともに、新たにこの世界を訪れたキャラクター達を歓迎してやまない。日常に謎は起こり、不可思議な現象は不安を招くのだけれども、きっと最後は皆幸せになるのでしょうね。

 

原作は未読なのでこの先のことはよく解っていないのだけれど、木之本さくらが「母親に似て来た」ということはつまり危惧されることがあるわけで、今後の展開はそこに収束していくのかな?いずれにせよ前シリーズも長いスパンで制作されたので、今作もそういう展開を期待します。伏線引くだけ引いて最終回だったので、ちょっとどころかかなり驚いたのですが、それでも自らの信仰が揺らぐことはないのです。

 

大正義知世ちゃん万歳。クリアカード編ではさくらと秋穂のからみが多いので一歩引きがちなのだけれど、そのポジションもまた善きかな。しかし小狼も山崎くんも、千春ちゃん奈緒子ちゃんもみんなハイスペック中学生だよなあ…

佐藤亜紀「スウィングしなけりゃ意味がない」

 

スウィングしなけりゃ意味がない

スウィングしなけりゃ意味がない

 

 やー、これは面白かった。勢いで一気に読んでしまった。

第二次世界大戦下のドイツ・ハンブルグで、当時禁制だったジャズミュージックを愛好する10代の少年たちが強かに生きて行く…みたいなお話ではあるけれど、主人公たちいわゆる「スウィング・ボーイズ」は基本、資本家や知識階級の子弟で、当局からある程度お目こぼしを受けられる境遇を利用して不法行為に励み闇商売を繁盛させ、権力に反意を持ちつつ必要な分は媚びへつらって世の中渡っていく。当然相手はナチなので反体制ビラを撒いて収容所送りになる女の子がいたり時代を悲観して首を吊る婆さんがいたり前線に行って死んじゃうやつもいたりする。

大蟻喰い先生の本を読んでいつも思うのは(いつもこれ書いてる気がするけれど)、ここではない外国の、いまではない時代のお話であっても、現代の日本社会をどこか投影しているような気配を感じさせることで、特に本書は意図的に現代風な文体が選択されていて、当時のドイツの閉塞感を現代日本のそれと重ねているように見えます。安倍がヒトラーとか、そういう幼稚なレベルでなくてね。

舞台はハンブルグなので当然そういう流れになる。「この世界の片隅に」好きな人ならその流れで読んでみても面白いかも知れません。とはいえドレスデンはともかくハンブルグがそういう街だという史実は、日本人のどれぐらいに知られてるんだろうな。

俺確か小林源文の「黒騎士物語」で知ったんだよなそれw

リリー・ブルックス=ダルトン「世界の終りの天文台」

 

世界の終わりの天文台 (創元海外SF叢書)

世界の終わりの天文台 (創元海外SF叢書)

 

 恥ずかしながら自分の読みが浅かったようで、どうもうまいこと楽しめなかった。人類が滅亡した無人の世界で、北極圏の天文台に残った老人と木星探査宇宙船の女性クルーとの交信、のような話だと聞いて手に取ったんだけど、この二人が交錯するのは終盤近くのほぼ数ページだけで、あとは全般的に孤独な人間が過去の過ちをペシミスティックに回想することと、行き場のない現在に漠然とした不安を持ち続けることの連続なのでなんか読んでいて重かったのね。

そしてどうもこの二人が生き別れの親子なのではないか…?と、そういう想像はできるんだけど、明確に答えは出ません。巻末解説にもあるように「読者に解釈が委ねられている部分が多い」作品なので、カタルシスが足りないというかなんというか。もう少し丁寧に読み解いていけばまた違ったのかな。

どうもその、特に理由もなく突然人類が滅ぶ(戦争の噂、なる言葉は出てくる)というのが、閉塞状況を作る「設定のための設定」なのでそこに乗れなかった気はする。

滅ぶというか滅んだらしい、か。それも明確な答えは描かれないので。