ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「どろろ」

見た。1クール作品の多い昨今のTVアニメ業界にあって久しぶりの2クール作品、そのボリュームに十分応じるだけの濃厚で重厚な1本だった。

 

実は原作も昔のアニメもその内容はほとんど知らなかったし、多宝丸に至っては存在すらまったく知らなかった。だからかもしれないけれど実に新鮮にファーストインプレッションを楽しめたように思います。

未消化なまま終わった原作にル=グウィンの「オメラスから歩み去る人々」のようなテーマを付与して、そのうえで最後は原作のようにまとめるのだなー*1。「どろろと百鬼丸」それぞれの道は別々に続いて、そしていずれはもう一度交錯するような余韻。

 

良いですね。

 

るろうに剣心追憶編」の古橋一浩監督だけに殺陣は相当気合が入っていて、特に両腕を取り戻した百鬼丸のリーチがわずかに伸びるのと、それに対峙するために多宝丸が城内に誘い込む流れとかいろいろ。そして現代風なテーマ化と思いきや、どろろの精神性はなんか手塚作品っぽいんだよな。それもきっと大事なところで、醍醐景光が鬼神にならないというのも、同じくらいに大事なことなのでしょう。「オメラスから歩み去らない人々」の、これはそういうお話なんだと思います。

 

しかし人形みたいな男とその相棒である小さな良心というのはピノキオとジェミニィ的ではある。あるいは石森章太郎の「人造人間キカイダー」との差異を求めても良いかも知れない。

*1:いや大体の構成はwikiとかで見たのよ

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」③

 

 3巻にしてようやく?周囲の人間が何を考えどう動いているのかが掘り下げられてきたように感じる。中核となる2人の関係性は2巻までで強固に構築されているので、この先はこういう面も深めていくのだろうな。単に小学生男女の淡い関係が素敵だというだけのマンガではなくて、善良な精神が小さな社会をどう変えていくのか、そんなお話になりそう。先生も悪い人じゃないんだろうなあ、駄目っぽいけどな。

特に娘も無いのに西村さんのお父さんに感情移入してボロボロ泣いてしまうのは、年寄りだから仕方ない(笑)

 

それはそうと、今回日野くんにめがねっ子幼なじみカノジョが出来てしまいました。

 

吉田裕「日本軍兵士」

 

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 (中公新書)
 

 「アジア・太平洋戦争の現実」と副題にある。現実とはなにか?本書で記されている事柄はこの戦争の期間に日本軍兵士に起きていたことの現実、取りも直さず「死に様」についての現実的な解説だ。正直機が滅入る内容ではある。驚きは、実はそれほどでもなかった。日本軍の(あるいは日本国民の)戦争死者の総数は記録されていても「年次別死者数の推移」は岩手県を除いてどこも記録がないというのは非常に驚かされたのだけれど、それが果たして終戦直後の混乱で失われたのか、最初からそんな統計は取っていなかったのか、それすらわからないというのも、昨今の本邦の情勢を見るにつけ、驚くことではないのかも知れない。

既に対米開戦前にシステムとしては破綻に瀕していた国家が、そこから崩壊へと辿る過程に於いて、個々の兵士にどのような死が訪れたのか、餓死、病死、神経症、海没…。無残で悲惨で物語性も何もない死の溢れるところ、そういう現実。

そこで見えてくるのは、やはり当時の日本の国力の貧弱さや旧弊な国家制度が如何に個人に負担を強いたかという現実なのだけれども、昨今の情勢を見るにつけ、これもまた驚くようなことではないのかも知れない。

なお本書には巻末に参考文献リストが明示されている、まことに結構なことであります。

「ガールズ&パンツァー最終章 第2話」見て来ました

やー、濃かった。1時間に満たない作品だったのに1時間半ぐらい見てた気がした、もしかしたらそういうスタンド攻撃を受けていたのかも知れないw

以下本編内容に関する記述を含みますので未見の方はご注意ください。

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ロビン・スローン「ロイスと歌うパン種」

 

ロイスと歌うパン種

ロイスと歌うパン種

 

 まあ、パンを焼く話です。まんまか。いや、パンだっちゅーねん。

サンフランシスコのハイテク大企業でプログラマ―として毎日激務で生きながら死にかけていたような主人公のロイスが、不思議なデリバリー美味しいパンと出会い、その種を譲られて自分で作り始める…。なんとなく「食の安全」とか「現代文明と伝統食文化の対決」などのそういうテーマになりそうな気がするじゃない?でも、そういうふうにはならないのが面白かった。毎日ゼリー食で栄養補給していたような状態から手作りパンを焼き始めて人間らしい生活を取り戻して、じゃあどうするかというとビジネスです。ビジネスにしても社畜生活と自立起業の対立項でなくて、会社の設備を使ってパン種を自動的にこねるようロボットアームをプログラムするとか、ロボットアームで卵を割れるようにするとか、テクノロジーの活用を主幹に据えるようなところがある。

不思議なパン種というのが「サワードウ」という種類のパンのあー、スターターなのだけれどこれは日本で言うところの「ぬか床」のように継ぎ足しで使われ続ける発酵食品で、音楽を聞かせると歌い出したり焼き上がるとパンの表面に「顔」が浮き出たりとかなりのファンタジックな存在だ。「マズグ」と呼ばれる秘密の(秘密なんだろうか?)集団に伝承される謎めいた食べ物。食品衛生法なにそれ美味しいのという気もするけれど、美味しけりゃそれでいいのだ。お話だしね。

ロイスが自分の焼いたパンをタネに起業しようと「ファーマーズ・マーケット」に足を運んで面接を受けるくだりはなんとなくファファード&グレイ・マウザーシリーズのランクマーに集う神々を思わせてクスクス笑うとこなのだけれど(そんなのはお前だけだ)、そこでは選に漏れてしかしまったく別の「マロウ・フェア」なる地下マーケット(ほんとうに地下にある)に招かれ…と、あらすじとしてはそんなところでしょうか。話はとんとん拍子に進み過ぎるきらいはあるしトラブルが起きても簡単に解決できてしまうなど、食べやすいパンのような気楽さがあってむしろそれがよいのでしょうね。変に説教臭かったり自然食品万歳だったらどうしようと思って、全然そうはならなかったのが良し。遺伝子組み換え食材や合成食糧みたいなものも出てくるし、そちら側のキャラクターは主人公と対峙はするのだけれど、対立ではないんだな。

巻末の解説(池澤春菜嬢だ!)に引用されている著者インタビューを見て「対立構造にはしない」というのがどうも作風らしい。「ペナンブラ氏の24時間書店」というのが出てるそうなので(https://www.amazon.co.jp/dp/4488226035)、そちらも読んでみようかしら。

 

クリストファー・R・ブラウニング「普通の人びと 増補版」

 

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

 

 重いなあ…。たいへん重要で貴重な内容、興味深いところであるけれども、ではすいすいページをめくれていくかというとそうでもない。第101警察予備大隊という、ナチスドイツの軍事組織でもは補助的な位置を占めるに過ぎず、最前線で勤務するには相応しくない中年の兵士たちが主体となった集団が、ドイツ占領地のポーランドでどれほどの大量射殺や強制収容所への移送、パルチザン追討としての「ユダヤ人狩り」などホロコーストに関与していたかを研究した物。当事者の証言と回想を主な研究材料としている。末尾にはいくつか当時の記録写真が掲載されていて、あまり画質は良くないが遺体のものもあるのでその点注意が必要です。

 

タイトルにもある通り普通の人びとの記録ではある。大量射殺というのは決して警察大隊の本義的任務ではない(簡単に言うと警察大隊というのは警察官出身の兵士で構成された占領地域の保安・治安維持を担当する部隊だ)ので、この種の任務がはじめて下令された際には反発する人間も多いし(なにしろ大隊長自身が意に沿わない者の離脱を即している)、実際外れる者もいる。しかしだんだんと人は「慣れてきて」躊躇うことなく虐殺行為を行っていくと、だいたいそういう内容です。初版刊行後に起きた論争と、後日刊行された同テーマの研究書(ダニエル・J・ゴールドハーゲン「普通のドイツ人とホロコーストhttps://www.amazon.co.jp/dp/462303934X)に対する反駁を含めた増補版。著者の(そして翻訳者の)立場としては、悪魔じみた狂信者としてのナチではなく、ごく普通の人びとが状況に感化されて非人道的行為に携わっていくことを提示しているわけで、卑近な例だとアニメ版「アンネの日記」に出てきたドイツ兵やゲシュタポは普通の人だったから怖かったなってのを思い出したりだ。

 

「恥の文化は順応を最優先の徳とする」とあるように、任務を忌避するものや命令を受けるたびに発病する将校(いかにも詐病のようだがどうも実際に過度なストレスで発症していたらしい)が蔑視される一方で、積極的に過度な暴力行為を振るうものがやはり軽蔑されていたことはんー、まあどこの国も、どこの人も同じなんだろうなあと。世界はひとつで人類はみな兄弟だ。

 

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戦争という背景は、それが戦闘によって誘発された野蛮性や狂乱の原因であるというに止まらず、より一般的な観点からして重視されねばならない。戦争、すなわち「敵」と「わが国民」との間の争いは、二極化された世界を創造し、その中で、「敵」はたやすく具象化され、人間的義務を共有する世界から排除されてしまうのである。

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「戦争における『人殺し』の心理学」https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480088598/ とも共通する何かこう、なんだろうなあ、やっぱり世界はひとつで人類はみな兄弟だってことですかね。ヒューマニズム、ヒューマニティ…

ニール・ゲイマン「墓場の少年」

 ニール・ゲイマンを読むのもなんだか久しぶりだけど、やっぱりこのひとは面白いな。謎の人物に家族を惨殺されひとり墓場に逃げ延びた赤ん坊が、その墓場の中で幽霊たちに育てられて成長し、友情を結んだり知識を得たり、傷ついたり悲しんだりしながらも、やがて外の世界へと旅立っていくビルドゥングス・ロマンというかなんというか。かなり変化急なダークファンタジ―のようでいて、直球な児童文学であるように思う。墓場を舞台にしたファンタジー小説といえばピーター・S・ビークルの「心地よく秘密めいたところ」(http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20051015/1129391168)がすぐに浮かびますが、これもまた、傑作で。

この作者は人外のもの、ひとならざる怪異や超自然的な存在の描き方が非常に巧みで、今回も墓場の奥底、墳丘の中に眠る守護者スリーアや、主人公のボッドことノーバディ・オーエンズの後見人となるサイラスとその仲間ミス・ルベスク(おそらく吸血鬼と人狼)の描かれ方は大変印象に残る。魔女のライザやボッド自身も非常に魅力的だけれど、とりわけ「敵」であるところの「ジャック」と呼ばれる男たち、有史以来連綿と受け継がれてきた、ただの人間たちによる秘密組織(結社?)の得体の知れなさには唸らせられるもので、なにしろただの人間の集まりで何かするわけでもないのだけれど、ともかくも不気味な集団ではある。

たぶん敢えて説明をしないところが、物語の内容を深めてそしてキャラクターの魅力を高めているんだと思います。日本でも時折こういう書き方をするひとはいますね。でも、それはよほど上手くやらないと単なる説明不足に陥りかねないので、やはりこういうスタイルできちんとお話をまとめられる人はすごいのだなあ…

コララインとボタンの魔女」は映画になったけれど、こちらもどうでしょうか?

そうね、普通ならボッドとガールフレンド(?)のスカーレットがいい仲になって終わりそうなものだけれど、そうはならないところがまた、いいんだろうなぁ…