ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

佐藤亜紀「戦争の法」

戦争の法

戦争の法


 ソ連が崩壊したのは1991年のことだから、それからしばらく後のことになるが、
大学生当時在籍していたウォーゲームサークルの先輩がふと、

「フリート・シリーズ*1もすっかり異世界の出来事になっちまったなぁ」

と漏らしたことがある。ソ連が日本に侵攻してくるような小説は、少なくとも現実的な題材ではない。

 本作は1975年に日本国内の某県(伏字されているが、新潟である)が突然親ソ独立国家になり、内戦が起きるという筋立てで、なんとも幻想世界の出来事*2である。

 初出は1992年、著者の長編第二作で、唯一日本を舞台にした作品である。某県というのは著者の出身地で、やはりそれなりに自分の経験が反映されているようだが*3
実際、それはどうでもよろしい。登場人物の一人が著者の投影なのではないかとも言われているが、そんなことはもっとどうでもいいことである。

 習俗の描写はかなり土着的なリアリズムに満ちあふれている(と書いたが自分は某県に足を踏み入れたことがないので本当のところは解らない)が、戦争に関してはどこか非現実的である。それはやはり、主題をどこに置いているかということだろう。

 主題はやはり、戦時下という状況で抽出される「なにか」だろう。高見広春の「バトル・ロワイヤル」の主題が決して殺人ゲームではなく、殺人ゲーム下という状況で抽出される「なにか」であったようなものだ。表層では、ない。

 この作品で好きなのはやはり主人公の物の見方、考え方である。どこか諦観していて、斜に構え、他人と隔絶しながら世の中を冷めた目で見ている。それを抽出するための状況であり、キャラクターであり、展開だろうと思う。

佐藤亜紀の諸作品はほぼそういったキャラクターの視点で語られることが多い。

 つまり、デカダンだ。

 そしてそれはとても贅沢なことなのだ。

 今回読み返して三度目になるが、やはり新しい発見はある。作中ある人物が主人公に

「本当のことを言ってみろ、何を期待しているんだ、お前は」

と問う場面があって、それは実にどうでもいいようなシーンなのだが、対する主人公の述懐は、酷く自分の胸を打った。

いやはや。

 唐突にリチャード・ギア主演の「愛と青春の旅立ち」を思い出した。本作と共通するのはどちらも主人公が女郎屋で育ったという一点のみで、まあどちらもそこから抜け出す訳であるが、本作には愛も青春も旅立ちも無い。なんにもないのだ。

*1:第三次世界大戦の海上戦闘を扱ったボードシミュレーションゲーム。ビクトリーゲームズ/邦訳版はホビージャパン刊行

*2:最近、70年代の中頃(末期か?)には「80年安保待望論」を本気で信じていた層が存在したらしいと知って仰天した。当時自分は幼稚園だか小学校だったかだが、アカレンジャーが左翼政治思想のオルグだとは聞いた試しがない(笑)

*3:http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/010101.shtml