ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

佐藤亜紀「小説のストラテジー」

小説のストラテジー

小説のストラテジー

珍しく自分の母親から仕入れた笑い話をひとつ。母の友人が若い頃アメリカに留学していて、結構貧しい生活を送っていたそうだ。そんなときよくスーパーマーケットで「犬印の安い缶詰」を買って食べていたとか。後でわかったことだが実はそれはドッグフードだったとかで。

それを踏まえてもうひとつ、グランドピアノは殺人凶器に使えるという話。「ロジャーラビット」ばりに哀れな被害者の上空数メートルから落下させても良いし、いささか気品に欠けるやり方だが哀れな被害者の嘆願に耳も貸さずに死ぬまで頭部を叩き付けても良い。

片方は実話、片方はでっち上げだがどちらの場合も作り手と受け手の間で作品を媒介したコミュニケーションは、実は成立している。作り手の意図とは全く無関係に、受け手は作品を利用するものである。そしてどちらの場合も作品を媒介せずに直接作り手と受け手がコンタクトを取れば状況はディスコミュニケーションへと一変することは明かだろう。「あなたの食べてるのは犬のエサですよ」「なんだってえー」「おたくのピアノは殺人にピッタリですね」「誰か警察を呼べ!」最早それらはジョークではなくてスラップスティックの領域である。

なぜネット上で小説を書く、あるいは読むという行為に於いて、これらのディスコミュニケーションがしばしば容易に発生するのだろう。

作り手の意図しない形で受け手が作品を利用するという行為は、一般社会に於いては極めて普通に発生する出来事である。例えば日本で一番殺人に使われる凶器は包丁だが、包丁職人が殺人目的で作っているわけではない。そして(ここ重要です)自分の作った包丁が殺人に使われたからといって、わざわざ犯人に文句をつけに行った職人を、僕は知らない。

mixi株式上場関連でどっかのワイドショーが「どうして自分の日記を他人に見せたがるのか全然判りません」とか言ってた。わかりませんで金がもらえるなら結構な話なのだが答えは簡単、ネット上の「日記」は実は日記ではないからだ。それは全く別の物だ。
往来のど真ん中で「今日の晩ご飯はカレーライスです」と叫ぶのはNGだが、ブログ上で「今日の晩ご飯はカレーライスです」と書き込むのはOKである。

その差はどこにあるんだろう。「自己顕示欲の代行機関です」よりも上質で美しい答えを探してみたいものだ。既に発見した方が居られたら、是非とも教えていただきたい。

「小説のストラテジー」を読んで思ったのはそんなことだ。作者の意図するところとは異なること甚だしいだろうが、大蟻食先生は気にもしないであろうな。