ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ぱぱぱやー

タイトルと内容は一切関係がない。表現規制についてなんとなく思ったことをダラダラ書いてみる。

多分、公序良俗が問題視「せねばならない」事柄は具体的な行為や部品ではなく、そこで表現者が提示する主題や方向性なのだけれど、実際の所それらは抽象的な思想であって、あやふやな――不定型な――代物である。不定型な存在に網を掛けるにはやはり不定型な網でなくてはならない訳で、しかしながら要の所の判断をどうしても「有識者」なり「責任者」なるところの個人的で恣意的な判断に委ねざるを得ないが為に、不定型な投網などどこの誰も希求したりはせぬと、そんな所か。
映像なり画像なりであれば具体的な行為なり部品を指定して定型な代物に定型な投網を投げることは可能であるが、文章表現というのは抽象的な記号の羅列で成り立っているので、おそらくは定型な規制を掛けることがおよそ不可能だろう。「死ね」をNGにしても「氏ね」は防げないし、日本語で「ねいきっどびーばー」と書いてみてもなにがなにやらだが英語で「Naked Beaver」と書いたらこりゃ大変な意味合いだ。*1

えーっと、結論は無いっ!

*1:プロレスのフレッド・ブラッシーVSボボ・ブラジルの一戦でアナウンサーが「ブラッシーがボボに噛み付いたァ〜」とか実況したら九州地方では大受けだったとか、そゆことです