ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んだりしてます。

まだ第一章あたり。著者の言ってることはわかるけど素直に首肯したくないこの気持ちはなんだろう(笑)自分が大学いた頃にも「現代日本は四字熟語的社会目標が喪われてる。バブル崩壊は五文字」みたいなことを言ってたような気はするんだ。あー、あれは本読みの師匠に聞いたんだったか。

格差社会」はいまの四字熟語的社会目標なのかも知れません「『蟹工船』がブームだと聞いて『蟹工船』を買ってくるのはただ資本主義に踊らされてるだけだ」って言質を最近どっかでみたんだけど、どこだったかな…あー「文學界」だったかなー。「文學界」といえば同人誌は終わった的な特集は面白かった。なるほど確かに終わっていて、ここまで世代間ギャップを感じた文章も最近ないよ。矢張り文学とか文芸ってデバイス無しにはありえないよな…(ライトノベルを生み出したのはワープロです)

先日国籍法改制問題、特に二重国籍に関する記事を読んでたら筑波批評の「『コンテンツ植民地』日本」はもうちょっと広く読まれていいんじゃないかなーとか、思ったな。コンテンツと聞くとマンガとアニメしか思い浮かばないのは文部科学省の陰謀!ではなくてジャンル・プロパーの視野は狭いと。

「昔は自衛隊の研究者から論文が投稿されても実質無視するような風潮がありました」と確かに教授に聞いた覚えがあって、あれは「史学雑誌」の編集方針だったかな。理系の学会にはどんなトンデモ学説でも必ず発表する場は用意されてる(だからUFO研究者が「ネイチャー」を持ち出したり出来る)なんて聞いたこともあるけど、それでも書式方式は大事です。

建築家の人のお話を読んだり聞いたりしていると「東京都庁舎の設計」と「自宅玄関のドアノブを決定」との間の、どの辺りで理解すればいいのかわからなくなったりする。それはもう自分自身の知識能力の無さ故なんだけど、そういえば最近の居酒屋ってどこも昔とは感じが違って心地よい空間ですね。って話はインテリア設計なんだろうな…

やっぱ「スカイ・クロラ」とか「イノセンス」あたりのネームバリューで「携帯捜査官セブン」の監督やっといて「御先祖様万々歳!!」を撮った押井はズルいと思うんだよな。

フィクションの対語が「ノン−フィクション」で単なる否定語なのはなんでだろうな?

そうそう、ボクぁ哲学ってセネカディオゲネスさえいればいつの時代でも生きていけると思うんだ。お笑いマンガ道場の富永一郎と鈴木義司みたいな関係でさあ(いやそれ土管が酒樽っぽいってだけの話だろ)

うわ、とりとめないこと書いちゃったよ…

<追記>

読んだ。なるほど以前本読みの師匠が*1「金輪際『メタ』禁止だ」とか「○ね!」*2などとゲキドしてたのを思い出した。あと、以前ギャルゲーの先生んとこで俺がドリキャスのコントローラー落としてケース割ったゲーム*3が「Ever17」だったんじゃないかなーと記憶している。かくも様々なモノが身の回りを通り過ぎていくものだなぁと、なんとなく述懐。

<おまけ>
直接の関係は無いんだけど、これからの時代はセカイ系じゃなくて決断主義らしいので、70年代アニメシーンに於ける決断主義の先行事例を紹介しておく。決断主義であり同時にセカイ系であるってのは…ガイシュツならごめんよ。

すいませんすいませんこれ「セカイ系」じゃなくて「セカイ大戦系」でした…

*1:この人は自然主義的文学的なミステリー小説読者なのだ

*2:この人はガラスの仮面ファンなので思考が激情型なのだ

*3:正直スマンかった