- 作者: 米澤穂信
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/11
- メディア: 単行本
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米澤穂信にはいくつかシリーズがあるが、これはノン・シリーズの短編集。とはいえ連作短編の体を成しているのでこれ自体がひとつのシリーズというべきか。一見北村薫の「ベッキーさん」シリーズを思わせるような戦前日本*1の上流家庭を舞台にした作品集。どれも作中に大なり小なり「バベルの会」なる女子大学生の読書サークルが関係し東西の古典、文学作品が効果的に用いられる話があるところなど「円紫師匠と私」シリーズのようであり、やはり北村薫風味を感じられる。しかしその「バベルの会」の役割は精々狂言回しと言ったところで*2、本題に据えられているのは主従関係、家庭内の主と「使用人」達、個々のキャラクターの規範と理念、行動原理である。メイドさん萌え〜、とか執事スキー、とかそちらの向きに極めて強力に推し薦める。
そういう人がうかつに読むと冷や水をぶっかけられたような気分になるかもしれない。しかしそこが楽しいのですよ。
人を使う、あるいは人に使われる、とはどういうことなのか。用いる側用いられる側それぞれに立場はあり、どちらも安直なことではない。事件が起き謎が解かれる階梯で「書かれたこと」は全て正しく、それでいて「書かれなかったこと」がある。その空隙、行間に横たわっているものを読者(reader)に想像させ、あるいはあらぬ方向に誘因(lead)する。騙された!と思ってもそこがまた、楽しいものでその点非常に巧みだった。それはミステリーに限らず広く小説の楽しさだと思うのだが、実生活で同じような事をすると誰も楽しんでくれないのです(´・ω・`)*3
最後の1行まで少しも気が抜けない傑作揃いの全5編、どれも楽しかったがお気に入りをひとつ挙げるとしたら「山荘秘聞」だろうか。作中の仕掛けがいささか杜撰に思えて軽く展開を予想できる気分にさせられ、その実まるで巧妙な形で杜撰な想像を覆される。素晴らしい。メイドさんがふたりもでてくる。いやそれはどうでも…よくない。そこが大事なんです。*4
ところで掉尾を飾る一本「儚い羊たちの晩餐」で、これは主題とも仕掛けとも関係ない事柄で全く説明が無く、自由な想像に委ねられているのだが、一体夏さんがどういう方法で「アミルスタン羊」を狩猟してきたのかちょっと気になる。古典部シリーズ風にいうと