ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

エリザベス・ムーン「くらやみの速さはどれくらい」

裏表紙あらすじに“21世紀版『アルジャーノンに花束を』”とある。それは確かにその通りでチャーリィと天才ネズミが好きなひとなら必読。しかし物語の主題や構造はずいぶん違っていて「アルジャーノン―」とか映画「レナードの朝」のような上昇と転落の話、ではない。主人公ルウは自閉症者であり、舞台設定は今より医療技術が進歩した僅か先の未来社会と、そこまでは似ているのだけど、本書は大部分ルウが治療を受けるか否かで悩む「To be or not to be」みたいな話だった。

重大なテーマでボリュームもある一冊だけれど大変面白く読めました。上半期(に読んだ中では)ベストを挙げて良いくらいだな。とはいえあまり迂闊なことは書けないなーと思う内容であり(なにしろ「自閉症者」とせずに「―患者」と思わず書いてしまいそうな程、この分野に関しては何も知らない)よって非常にズルイ方法だが、他人の言葉を勝手に援用してみる。こーゆーのを古代中国では諸子百家の内「引用家」と言う。*1

すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

村上春樹エルサレム賞受賞記念スピーチより。

「くらやみの速さはどれくらい」は虚構(フィクション)であり、扱っているテーマは自閉症者とその感性なのだけれども、読んで得た感想は、それだけのものではなかった。卵とブロック塀の比喩が的を射ているかどうかはともかく、世の中大抵の虚構作品で描かれている事柄は個人と社会の関わり様だと、ちょっと暴論*2


「自我」というのはどこから「権力」の範疇に入るんだろうなーとか、そんなんで。


この作品単行本は2004年刊行だったそうで、確かにその頃話題になってたような気はする。しかし今になってから読めたのはよかった。数年前ならもっと動揺してたかもしれない。*3ちょうど大学受験の直前に「アルジャーノン―」読んだ時みたいに。*4

しかし自閉症者が治療を受けて変化を受け入れるかそれを拒否して従来からの自分のままでいるかどうかを悩む、なんて話で極めて効果的な(且つ非常にささやかな)小道具としてさらっと「ヨハネ福音書」なぞを使ってしまえるあたりは西欧文明の骨太さだなと思う。宗教とか信仰の是非とかでなくそれはもう、空気みたいに。

*1:言わない

*2:なんでも二択で語るヤツは要注意だ。

*3:なにしろルウという人物は自閉症者ながら同様な境遇の仲間と共にその特殊な才能を活かしてああだめだこれ以上書けない

*4:受験生の頃あの話を読むと9割方の人間は受験勉強しなくなると思うwでも、その頃に読まないと本当に面白くはないだろうな