ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

まんが大会がはじまっていますが、私は党大会の映画を見てきました。

「意志の勝利」

出来れば上記リンクをクリックし、その上で関心をもったひとだけが続きを読んでください。全くもって一般的でも万人向けでもない映画なのです…



なんだろうその、遊び半分で見に行ったら予想外の体験に打ちのめされた。と言うか


                  い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今日 わかった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『映像表現というのはカメラワークのカット割りと
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        それを繋げるバックサウンドのパワーだ』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何を見させられているのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    東京オリンピックの開会式映像だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…


自在に切り替えられるカメラの「視点」に否応無く共感させられ、カットインされるモンタージュの不自然さも鳴り響き続ける行進曲と絶えることの無い大歓声で自然に同一化させられてしまう。ある瞬間は窓から身を乗り出して讃える観客の主観であり、次には行進する隊員の目、また閲兵する高級指導者のそれへと移行させられることに、少しも違和感を感じさせない編集能力。自在にカメラを切り替えて、それでいてアドルフ・ヒトラーの位置には決して立たない、なぜならそこは啓して遠ざけ仰ぎ見る立場、それでいて表情も身振り手振りも認識できる席までには近づく事が可能な距離感。ロングショットの力強さとパンの表現力、そこにインサートされる無名の個人の顔、顔、顔…

これに比べたら共産圏のプロパガンダ映像なんて子供だましみたいなものだ。軍事兵器にもマスゲームにも頼らず、不自然な無表情など全く存在せずに、ただ人間が行進するだけでその、なんだ、エクスタシーを味わえるものでこんなものを作られたら政治運動的に思春期だった1930年代の人々がころりと参るわけだなーと、そんなことを考えた。

思うにレニ・リーフェンシュタールが完璧だった訳では、ない。ただ追随者たちが全くその域に到達出来てないだけなのだ…


全く持って毒気に当てられそうな映画でしたが、幸いにして後世の我々は後世の後知恵として客観視する事が可能なのです。映像の中で心の底から自発的な幸福感、他動的な自己啓発の虜になっている人々を、我々は批判できる。この道は、正しくは無い。

ゲーリングゲッベルスヒムラーも、その他有象無象のナチ・リーダーたちも皆人生最良の日の恍惚に浸っているそのときに、ただ一人だけ居心地悪そうにしているルドルフ・ヘスを、僕らは笑い飛ばして良い「そりゃ逃げ出したくもなるさプゲラ」とかね。

TV放送など金輪際有り得ないだろうしもしビデオ化されたとしてもこれは映画館で目撃した方がいかがわしさが3倍増しな、そんな歴史の記録映像。


その上で更に現代社会に生きる我々は、迂闊にこの暴力装置に感情移入をしてはならないのだと、自戒した上で、

俺の目の前の席でデカイ頭を3分に一回左右にブラブラ振り続けて観てた男、あいつは東部戦線行きだな。


なんだかイタタな文章だが、それぐらい衝撃を受けて一時的狂気に陥っているのだと、笑ってお納めください…