ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

古橋秀之「ソリッドファイター 完全版」

ソリッド・ファイター[完全版]

ソリッド・ファイター[完全版]

うは、こらおもしれーわ。やっぱ古橋は巧いなー、と思った一冊。

その昔格ゲーがブームだった頃、スト2やらサムスピやらが結構アニメになったり実写映画になったりしたものだけれど、まーどれもこれもツマランものでしたな。その時は特に何も思わなかったんだけれど、その手のものがおしなべて面白くなかったのは脚本が下手レとか香取慎吾のアフレコが棒読みとかヴァンダムがヴァンダムってるとかそーゆーことでは全然無かったんだなぁと今更ながら当時の人たちに詫びたい気持ちになる。*1

だってそれは「将棋が面白いゲーム」だからといって「ただ将棋の駒が画面内を行ったり来たりする」アニメや映画を作ったようなものだからだ。将棋が面白いのは「将棋をやっている」事が楽しいのであって格ゲーの楽しさも「格ゲーをやってる」事が楽しいのだと、そゆことですね。

でもそういう楽しさ、心理を表現するのに映像は向いてないと思う。大昔に高橋名人と橋本名人だか毛利名人だか大山康晴十五世名人だかが「対決」する映画が本当にあったけれど「端から見ていて面白い」と「やっている自分の楽しさ」はまたちょっと、違うもので*2、その「格ゲーをやってる自分の一人称的な面白さ」を実際一人称の視点で描ききっていて、これは非常に面白い克己心の小説作品なのです。が、


そーゆー面白さは地味な面白さなので


初刊当時に全三巻の予定が一巻だけで打ち止めになったのもすごくよく判る(´・ω・`)

いろんなプレイスタイルがあって良いんだ、ってことが書かれるのがクライマックスの全国大会*3になってからなんで、そこに至るまではストーリー上のストイックさとキャラクターの媚びが何か上手く関連してないような気がします。その上で春日野のスタイル(倫理的に卑怯でも合理的に勝利するのが正々堂々だ)とかケンパくんのそれ(エドモンド本田は空飛ばしてナンボだ)とか、おもしれーなぁ。そしてのその「スタイル」ってことは別にゲームだけの話ではなくて

「俺はタケちゃんをどうしたいのか」
「俺の持てる手段で、タケちゃんからなにが引き出せるのか」
要はそういうことだ。
俺ターゲットの設定。俺戦略の遂行。俺ミッションの勝利条件。
つまるところ、「勝ち」も「負け」もみな、他の誰でもない、この「俺」が決めるのだ。
さて、そこで――


以前読んだ「スラムオンライン*4と似ている(いや「スラムオンライン」が似ていると言うべきか)ようでどこか違うなーともゃもゃしながら読んでいてここで気がつきました。「ソリッドファイター」は「スラムオンライン」と比較して

乳揺れ要素がデカイ。非常にデカイ

ところが違いますね。


ところで、人から借りて読んだこの本が、なんでamazonでは「おもちゃ」扱いなんだ??と思ったらJANコードだけでISBNが無い。なにゆえ??と、調べてすぐわかった。これ一般書籍としては流通してないんですね。こんなに面白いのに残念だなー。

*1:最近になってもまだ作ってる人たちには、意見を全然持ちません

*2:実際今でも「ゲームレコードGP」とかあるしな

*3:シリーズが順調に進んでいれば第三巻だと思われる

*4:http://d.hatena.ne.jp/abogard/20090411