ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

神林長平「アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風」

アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風

アンブロークンアロー―戦闘妖精・雪風

ジャンルを問わず作品に対して「難解だ」と評するのは好きじゃない。それは面白い/つまらないで割り切れば良いだけの話だ。と普段なら書くところだけれど、これすっげー面白いのに何が面白かったのか全然説明できない一冊。そういうのを「難解」と言って良いのか疑問ではあるがとにかく難解だな。ダイエーになる前の

もう一度読み返して…とそのまえに「グッドラック」から読み直してみる。この項後日追加するので…

それまでMADムービーをどうぞ。



うん、こんなにわかりやすいとわかりやすかったんだけどな。

そんでもう一度読みました。


本書に先立つ「戦闘妖精・雪風」と続編「グッドラック」の内容を要約すれば、とんでもないツンデレだと思われていた雪風が実は素直クールであると判明しむしろ愛だろ、愛!で飛んでいく。だいたいそんな感じ。


それをふまえて。


第三巻「アンブロークンアロー」では雪風が消失します。


ハルヒかよ。と軽くツッコミを入れつつ――

「無意識の思考や意志というのは<自分>ではない、というきみの考えはわかった。ではそれは、なんだと思う。たとえば暗黙知などと言われるようなものは?<自分>が考えているのではないのだとしたら、ではだれが考えているんだね」
「テストですか、大佐。そのような問いはナンセンスだと、ぼくはそう言っている。<自分>でも<だれ>でもないんですよ。だれかが考えているのではない、その思考は、自動機械の作動と同じ、エネルギーの流れに過ぎないでしょう。そのどこにも<自分>などというものは存在しない」
「では<自己>はどこに発生するんだね」
「だから、言語上に、ですよ」
「脳の言語野に発生する、ということか」
「そんなのは知りません。脳なんかなくても言葉さえ存在すればそこに自己が発生する。理屈上、原理的に、そうなる」
「合格だ」大佐は言った。「いまきみが言ったことは、おそらくジャムの人間観を表している。ジャムは、人間とはそういうものだと捉えているに違いない」
「そう言い切れる根拠はなんです」
「ジャムのメッセンジャーであるきみの発言だからだ」
「ぼくはいまジャムに喋らされていたというわけか」
「そういう自覚があるのかね?」
「いや」

雪風シリーズの面白さってこーゆーところにあると思います。なんてアニメに向かない話なんだ。
それにしてもロンバート大佐がどんどん愉快なキャラクターになっていくなー。

消失したのは雪風ではなくて我々の方だ、のような、そんな展開を見せつつやはり消えたのは雪風でどこにいたかと言えばつまりはページの外側だと?いやでもこれメタフィクションとかクォンタムとかそーゆー話でもないんですよ…ね?兎にも角にもジャムの正体はますますつかみ所のないものになって行き、その能力は想像を絶するほどに拡大して行くのであった。こっちが郵便を出したくなると例え戦場のど真ん中でもちゃんとポストを用意してくれるジャムのやさしさに感謝w

様々な人物が消失したり出現したりロンバート大佐がベルクカッツェのように逃げ回ったりしているうちに、零とブッカー少佐の眼前に、ついにとうとう雪風自身がエディス・フォス大尉のモニター画面という形をとって現れる。戦闘妖精少女キタ━(゚∀゚)━!!たすけて、メイヴちゃん!

これは、少なくとも、雪風の意志を反映した疑似人格である可能性が高い、と零は思う。そして、その雪風の疑似人格らしきものの応え方に、自分が感じていた違和と生理的な嫌悪感が少し解消されているのを意識した。これがもし、あからさまに<そうです、わたしは雪風です>などという返事をされたならば、自分はもう以前のような精神状態では雪風には乗れず、雪風を愛機として飛ばすことはできなくなるだろうという予感がしていたが、それは回避されたわけだ。


深井零大尉には人間らしさが欠落していますね(´・ω・`)

いや、そうではない、雪風には<自分>という概念そのものがないのかもしれない、だから、こちらの問い、<おまえは雪風なのか>に答えられないのだ。ようするに雪風には、ブッカー少佐が言う意味での<自分>にあたるものが、ないのだ。このフォス大尉の姿をしたものは、雪風が生じさせている<創作された自分>なのだ。それは、疑似人格といったものとは違うだろう。雪風は、真の自分を疑似人格というものに翻訳しているのではなく、自分そのものを創作しているのだ――


なんて健気なマシーンだ(´;ω;`)

いろいろ引用してみてやっと掴めました。神林は基本コントって理解で大丈夫だと思います。いやそれすっげー今更なハナシですが…