ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

眉村卓「司政官 全短編」

司政官 全短編 (創元SF文庫)

司政官 全短編 (創元SF文庫)

うわ、こりゃ面白いわ。眉村卓ってジュブナイル向けじゃないのを読んだ記憶が(皆無ではないが)ほとんど無くて、司政官シリーズもむか〜し読み始めた頃のSFマガジンに「引き潮のとき」が延々と連載されてた事こそ覚えているものの、典型的な読まずに飛ばすページで…

今になってはじめて司政官シリーズを読んだことは良かったと思う。当時目を通していたとしてもそれほど楽しめなかっただろうと思うからだ。

地球人類が宇宙に進出し、数多の植民惑星から成る広大なネットワークを築いている時代。各植民惑星を征服した地球連邦軍の軍政が、自由を求める植民者や原住者とのあいだに摩擦を生み、その軋轢が限界に達したとき、連邦政府機構は軍政に代わる統治制度を設けた。それが司政官制度だ。司政官とは連邦から植民惑星に派遣される官僚であり、惑星統治の技術を徹底的にたたきこまれた専門家である。その司政官がロボット官僚群を駆使して惑星の統治にあたるのが司政官制度であり、司政原則と呼ばれるその理念を端的にいうならば、「植民者を守り原住者と融和させ、その世界にふさわしい文明を作り出す」となるだろう。しかし、この司政原則そのものが矛盾をはらんでおり、時間の経過とともに新たな問題を生み出していくのだった……。

中村融による解説より、的確にシリーズ主題を説明した一節を長文ながら引用してみる。全九編から成る個々の短篇を見ていけば、それぞれの惑星に於ける原住生物の特殊な生態・社会制度に対峙する人類の文明、さらにその人類の内側でロボットに囲まれながらただ一人重責を担うそれぞれの司政官を主人公に据えた連作短篇群である。けれども本書はそれら作品を執筆の順番ではなく設定年代に沿って編纂することにより、司政官制度の変遷や変質、破綻のほころびが露見するまでを俯瞰させる構成となっている。つまり主人公は官僚制の中にいる個人ではなく官僚制度そのものだと、これは10代の頃読んでもあんまり面白くなかったろうなーと、思う。視点となるべき司政官たちも、中年男性率高い*1しなw

司政官の手脚となって働くロボット官僚たちに信頼が置けるところは神林SFとか読んできた身としては意外(苦笑)。更に時代の下がった長編ではまた違う空気らしいのだけれど、この短篇では真面目に働く素直な機械です。メモリーを参照して動く、つまり前例主義な点が実に官僚的で、効率化の為に組織が拡大していくところがまさに官僚的で、縦割り行政が不如意に硬直化していく様子がまったく官僚的で、時代の変化に合わなくなっていく姿はとても官僚的だ。

などと本当に公務員のひとが読んだら怒り出すんじゃないかと思うw、そういう種類のある意味素朴な社会SFを書くことが出来た時代の産物なのかも知れないな。あまりに人間的な振る舞いをする異星生物――外見や社会性ではなく、精神的な意味に於いて、だ――など、いまの時代にこれをこのままっていうのは難しいんじゃないかな…と、思います。*2「ワープ航法」みたいなものですかね?

加藤直之の表紙イラストは実に良い仕事をしていて流石のベテラン。まったく同型のロボットが整列するなかを宇宙船(あるいはより大きなロボット)のタラップから降りてくる、一体のロボットにエスコートされた人影の、姿形はシルエットとなって個人の「個性」は判別されない。そして異星の原住者が一体も描かれてないところがまさにこのシリーズの本質を突いていると思う。やはりこの作品は、人間のストーリィなのだ。


余談。解説には1960年代後半に眉村卓が唱えていた「インサイダーSF論」*3と、それに対する小松左京平井和正の反駁を対談でやった記事が一部抜粋されている。


…むかしもいまもSFのひとがイタタなのって変わんないよね(´・ω・`)

*1:考えてみれば全員男性である。このシリーズに於ける女性の占める位置はとても狭小なもので、その点で古さは否めないかと。

*2:ハル・クレメントの「重力への挑戦」は今読んでも面白い名作だけど、今の時代にあれだけ人間味溢れるムカデ宇宙人を書くのは難しいだろうなとか、そういうこと。

*3:なんてことは初めて知ったが