ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

デュ・モーリア「レベッカ」<下>

レベッカ〈下〉 (新潮文庫)

レベッカ〈下〉 (新潮文庫)

愛は権力です。

レベッカに対する敬愛があればこそダンヴァーズ夫人は「わたし」に対して権力を振るえるし、「わたし」がマックスの愛を真に勝ち得てからはその関係は逆転する。こえー、愛こえー。


死んだレベッカは決して甦りはしないのだけれど、死せるままに生者を自在に支配する。「音」や「声」はこの小説をずっとコントロールしていて、「わたし」が空想の中で怯える情景には人々の語りや騙り、囁き呟きが満ちているのに対して、やはり空想の中で感じる幸福感は静謐な風景で満たされている。作中唯一「レベッカ」が姿を現わす仮装舞踏会の場面では(これ上巻ですが)一同皆沈黙するのは、それはどういう効果だろうなーとか、そんなことを考える。下巻158ページでマックスと「わたし」が漸く二人の真実の愛(プギャー を確かめ合う場面が静かに薄暗い状景なのは、とても素敵だ。そしてやっぱりマックスは悪いヤツだった(笑


ところでこの本、もとは2007年に刊行された新訳で、古くからの読者にはすこぶる評判が悪いらしい。あまりに現代的な訳文が、古典文学の興を削ぐということで一般論としてはよくわかる話である。が、


僕は古いマンダレーを知らないので、


その非難に対する落ち着かなさと自分の立ち位置への不信とが、実に読後感としては楽しいのである。

「イギリスのカレーはカレーと言うよりハヤシライスだ」って文章を書いちゃう翻訳者のセンスは確かに疑うんだけどな。


上下分冊を読み終えて、あらためて作品の冒頭に立ち返ってみる。あまりに有名な――と、される。恥ずかしながら自分はそこまで詳しくない――その書き出し、

ゆうべ、またマンダレーに行った夢を見た。


マンダレーが「住む所」でも「帰る家」でもない「行き先」だという不確かさが、確かにこの作品を際立たせる。