ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジェフリ・パーカー 著/大久保桂子 訳「長篠合戦の世界史」

長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500~1800年

長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500~1800年

この本はもっと早くに読むべきであった。大久保先生ゴメンナサイと最初に謝っておきますm(_ _)m

タイトルはいささか戦場的もとい扇情的だが、副題に「ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500〜1800年」とあるほうが内容に即している。近世ヨーロッパに端を発した「軍事革命」が如何にヨーロッパを変え、ヨーロッパ辺境を変え、アフリカ・中東・東アジアを席巻していったかという軍事史の本。

近代史はつねにヨーロッパ進出史という側面をもっている。日本の歴史はもとより、およそ世界のどの地域の歴史でも、ヨーロッパないし欧米の世界進出という文脈を抜きに、近代を語ることはできない。

訳者あとがきより、冒頭部。例えば中世ではヨーロッパ圏より遥かに先を進んでいたイスラーム文化がなぜ凋落し、現代にあっては(大衆的な理解としては)時代遅れな、原理主義的なものとみなされるのか。原理主義的には大差なく、時代がかっている程度も似たようなものである我々は何故「先進国」の座布団に座っていられるのか。その答えはここにある。火器の発達、築城術の進歩、海上戦力の発展とそれらすべてを成し遂げる為の資本蓄積と人口増加による国力の増強。それなくしてはいわゆる「産業革命」――って言葉は使うなと言われた気もするが――は生じ得ない。世界を支配するのは拡大再生産だね。

築城や兵站、海上戦力についての分析は現在でも類書がある(本書はそれらの先鞭的な位置を占めている)けれど、読み応えがあるのは第4章「非ヨーロッパ世界の軍事革命」だろうか。軍事力がどのように世界に蔓延し、世界はどのようにそれを受け入れたのか、受け入れられなかったのか。ポルトガルに始まるヨーロッパの海上覇権国家が最終的にイギリスに落ち着くまでにはどのような変遷があったのかが非常に端的にまとめられていてここは実に面白い。

思うに、ヨーロッパとそれ以外の世界では「支配」という国事行為、国家の行動を支える原理あるいは「原理主義」が大幅に異なっていて、哲学無しに技術だけを利用しても、活用するのは難しいことで…

いつもの悲劇がここでもくりかえされたというべきであろうか。インドの君候は芸術であれ、服装であれ、軍事であれ、ヨーロッパの発明をしぶしぶ採用してはみるが、採用した後の革新が足りず、遅すぎるのである。


これはインドのマラータ同盟が19世紀にイギリスに敗北し、その資源と軍事力がイギリスの支配に帰依した箇所の記述なのだけれど、1930年代に日本帝国が辿った道というのはまさにこれだなと思い且つ

イラクは少なくともある時期にはアラブ・イスラム世界の軍事力のチャンピオンだったはずだが、そのイラクの実力がこんなものでは、ひょっとするとアラブの文明は近代的な軍隊や戦争の技術とは相容れないのではないかという気がしてくる。片やアメリカとイギリスは現代の“軍事・戦争”文明のチャンピオンであり、そう図式化すると、イラク戦争はアメリカに代表される“戦争文明”とイラク側の“戦争文明の欠落”という“文明の衝突”だったのかも知れない。


戦車模型専門雑誌「アーマーモデリング」2003年10月号(特集:イラク戦争)より、軍事評論家岡部いさくによる特別寄稿からの抜粋。例えば温暖化ガス抑制問題や福島の原発事故以降にも「ヨーロッパのクリーンエネルギー事情」が広く喧伝されたけれど、果たして我々はそう容易く同じ土俵に乗るべきなのだろうかと、そんなことを考えた。乗らずに済ませられる問題なのかとも思うのだけれど、近現代の世界の進歩は大抵の場合まずヨーロッパに有利な情勢が醸成されてから、それが蔓延していく繰り返しのようにも思えるのでね。

してみると第一次世界大戦は衝撃的だったのだろうな。

などと。

でその、邦題となっている「長篠合戦の世界史」は横隊隊形でのマッチロック式マスケット小銃による斉射戦術を世界に先んじてやったのは織田信長である。というインパクトから採られているんだけれど、実際その辺どうなんでしょ?三段撃ちより野戦築城だろって話もあーいやなんでもないですすいませんごめんなさい大久保先生。


歴史の勉強には、手段と基礎知識が必要です。(略)この2つを満たしていないと、独りよがりの趣味的な勉強に終わってしまい、歴史学の面白さと厳しさを知ることはできないでしょう。


…某大学サイトの教員紹介ページより。なにかモノスゴク斉射戦術された気がする(´・ω:;.:...