ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ひとやすみ読書日記はスティーブ・ジョブス氏を追悼する。


自分はあまりMacに触れたことはないのですが、10年近く前かなあ?はじめてAirMacが稼働しているところを目撃した時には度肝を抜かれました。出先のビジネスホテルのコンセントに電源つないで、ただそれだけで複数のノートPCを無線LANで繋いで…

いまならあたりまえの光景でしょうが、当時としては目が点になるような驚きでした。「Macとはコンピューターの名前ではなく、もっと別の種類の概念である」だったか、重篤のマカーであるSTH氏(仮名)が誇らしげに述べていたのが印象的で。

スティーブ・ジョブス氏はアップルコンピュータ社を世界最大のIT企業に成し遂げた」ニュースではそんなふうに言われますけれど、かの人の最大の功績は人類世界の文明レベルを底上げしたことではないかな。「文明レベル」って言葉はいささか胡乱に響きますけれど「トラベラー」知ってる人間に通じればそれでいいのだw

旧約聖書でりんごは知恵の実、そして英語でAppleseedといえば「理想的な開拓者」のことでもある。1976年にはじめてのパーソナル・コンピューターを666.66ドルで販売したかの人は蛇であり、同時にプラグ&プレイを始めとする様々な「概念」を世界に広めた理想的な開拓者でもあった。ご冥福をお祈りします。


まあしかし、考えてもごらんなさい。もしもこの世にMacが存在せず、WindowsPCだけがコンピューターとネットワークの全てを占めるようになっていたら、それはきっとこんな世界だろう。


全地は同じ発音、同じ言葉であった。
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。


これによってその町の名はマイクロソフトと呼ばれた。なぜなら、OSが脆弱でFAQが意味不明だからである。

その証拠にバベルの塔の絵画は多くのwindowsであふれた欠陥建築として描かれることが多い。