ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

パオロ・バチガルピ「ねじまき少女」(上)(下)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

まず、上巻を読んで。

表紙イラストが素敵だなーと思う。ここ最近のハヤカワSF文庫ではどうもイラストと本文が乖離してるような印象を受けるものが多かったのに対して実に的確で判り易い。巨大な象たち(いや象ではないのだが)を背景に、奈落の底へと通じるかのような巨大なファンの上でキモノの裾をはだけたまま、伏し目がちで読者を見つめるこの女性キャラクターこそが「ねじまき少女」だと誰が見たってすぐわかる。それはとても大事。よくみると足元にはゾウムシがたかっている、このフェティシズム満載のイラストたるや…

サイバーのサの字もないけどギブスンのサイバーパンクを意識してるのはよくわかる。なんでもサイバーだポストサイバーだ言いだすのは年寄りの悪い癖(w; だけれど物語のカギを握る(であろう)重要人物が「ギ・ブ・セン」って言われりゃ、まあねえww 80年代には日本こそがエキゾチカNo.1の地位を占めていたのに、現在ではそれが東南アジアに移っているということなのか、それとも著者バチガルピの経歴と嗜好によるものなのかは、ちょっとわからない。ところでむかーしSFマガジンに載ってたカンボジア?を舞台にした短編を読み返したいと思ってるんだけど、著者もタイトルも全部忘れてしまったww「征たれざる都市」だったか、なんだかそんなよーなの*1


  あー、いまわかった。「征たれざる国」か。ジェフ・ライマン著。河出文庫の「20世紀SF5」[asin:4309462065]に収録とメモメモ。


原著が発表された2009年ってちょうどバイオエタノール燃料が普及して穀物価格が高騰、先進国で自動車動かす為に開発途上国で餓死者が出るなんて風刺マンガが描かれてたような時期だっけ? 石油資源が枯渇して海面は上昇し、遺伝子組み換え技術とその反作用としての疫病やら害虫やらが蔓延する未来を題材に、歴史上でも東南アジアで(名目上は)独立を保っていたタイ王国を舞台にするのは面白いなーと、思った。遺伝子操作によって生まれた象類の「メゴドント」を動力源にした工場、子どもを産めない新人類「ねじまき」の娼婦が夜な夜な凌辱される歓楽街。難民と迫害、権力と汚職。とかく猥雑な世界に溺れていくような楽しさは確かにある。

多彩な登場人物たちの行為行動に頻繁に視点が切り替わる一方で、ではこの作品はどういう物語なのか…が、上巻読み終えた時点ではまだ掴めない気はする。それはつまり誰が主人公なのであるのかよくわからないからでも、ある。

ンガウについてはマクガフィンだろうと考える。


ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

下巻まで読了。21世紀版「ヴァーチャル・ガール」のようなものを予想していたら実際は「幼年期の終わり」かはたまた「地球の長い午後」のはじまりかと、そんな感じ。上巻ラストで「あーこりゃ絶対『実は生きてる』パターンだろ」と思ったジェイディー隊長があっさり死んでたのにはビックリしたが、その後も何事もなく霊(ピー)として出続けるのにはもっとビックリした(笑)仏教の国すげぇなあ。

現在、現実のいま、タイのほぼ全土が洪水に襲われバンコクですら被害を受けているこの時に読めたことは良いか悪いか、上巻で既にバンコクを守る巨大な堤防が描写されたときにも東北・東日本大震災を経験したいち日本人としては、それはまるで人類の無力さを象徴するかのように読めたりもしたものだけれど。ねじまき少女のエミコがついに自分の感情と意思で行動する、その瞬間から物語が加速していく様は気持ちがいいものですね。クーデターが勃発し陸軍の戦車が白シャツ隊を駆逐していく場面では、失礼な話ながら現実世界でのタイで頻発する政治的衝突や王宮の関与の仕方などを想起したものですが…

ところでこの世界のゼンマイ銃はディスクを射出する火器なんだけど、蒸気駆動戦車の戦車砲はなにを発射してるんだろう?

蒸気、そう蒸気か。年寄りじみた読み方をするとこの作品はスチームパンクの変奏なのかも知れません。スチームパンクというジャンルは決して19世紀的な世界、世界観を扱うだけのものではなく、現実の、史実の、未来像としての我々の文明とは違う技術社会を構築するものであって、故に未来スチームパンクというのも全然アリなんです。が、それをただ alternative な「違い」だけでなく、明らかにそれが「間違っている」 wrong であるように扱うのがパンクたる所以で、例えば「宇宙英雄物語」なんかそうなんだよなーとかあーいや、脱線脱線。「ねじまき少女」の未来観ってそれほど間違っていないように見えるところが面白いのかなーと思う。未来の日本人は全員老人でHENTAIである。間違っちゃいねえ。

わたしたちが自然だ。わたしたちの手を加えることが、生物学的な努力が自然だ。わたしたちはわたしたちだし、世界はわたしたちのものだ。わたしたちは世界にとっての神々だ。きみたちの唯一の問題は、自分たちの潜在能力をそっくりそこに解き放とうとしないことなんだ」

強調部分は実際には傍点処理。ギ・ブ・センことギボンズのこの台詞が本書いちばんの強印象でした。なんでしょうね人類が万物の霊長のように振る舞うのは実に傲慢な行為なのですが、その地位に安逸としながら「人類は傲慢です!」などと抜かすのはもっと傲慢だなー、とか。

「何故ならばあんたが滅ぼそうとしている人類もまた、天然自然の中から生まれた物・・・・いわば地球の一部!それを忘れて、何が自然の、地球の再生だ! 」

ねじまき少女とは何の関係もない「機動武闘伝Gガンダム」のドモンくん一世一代の名台詞を思い出したりだ。つまり原発も自然の生み出したものなんだよ(マテ)


そしてラストはそのギボンズによってねじまき達が解放されることが示唆されて終わる。うん、やっぱこーポストなんとかだよ。ギブスンの「あいどる」[asin:4042659047]読み返してみようかな。


それで…だね、実はこの作品にはひとつだけ不満があるんだ。「ヴァーチャル・ガール」[asin:4150110794]でもっとも萌えだったのはロボット少女のマギーが家庭用コンセントから電源とって自分自身を充電するシーンなんだけど、どうして本作ではエミコが自分自身のねじを巻く場面がないのだろうねえ。ア××××プまで書いてるのにねえ

*1:ディヴィット・シンデルの「ありえざる都市」ではないと思う…