ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

マイケル・ジョーンズ「レニングラード封鎖」

レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44

レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44

副題にもある通り第二次世界大戦のいわゆる独ソ戦で包囲下に置かれたレニングラード市の記録。でこの分野では以前読んだソールズベリーの「攻防900日」が古典的な地位を占めているけれど、近年になって明らかにされた資料、特に大勢の市民の証言や日記などを生々しく伝える内容です。

読んだ感想を言葉にするのはちょっと難しい。同じく激戦となったスターリングラードはしばしば映画になるけれど、レニングラードを映像化するのはおよそ不可能なことだろうな・・・とは思った。戦争と飢餓は密接に関連する脅威で、非常にグロテスクなものだ。そこに遍在する「死」に華やかさは欠片もなく、長期間広範囲に在り続ける点では疾病のそれに近いかも知れないがしかしこれは人為的に計画され、冷静に利害を計算して実行されたひとつの大規模戦略である。80万人を越えるといわれた死者は、およそなんの「大量破壊兵器」も用いられず、ただ都市を包囲し糧食を断つという極めて古典的な戦術によって殺戮せしめられる。通常の戦略と通常の兵器による大量死を、どう捉えてどう反駁していくべきなのだろうと、そんなことを考えました。

戦争当初に防衛指揮を任されていたヴォロシーロフ元帥の無能ぶりはそれはそれは酷いもので、粛正されたトゥハチェフスキーと対照的に記述されています。その対比は興味深いものですが、

ヴァトゥーチンの部隊は猛然と攻撃し、ドイツ国防軍を一時あわてさせた。トゥハチェフスキーが生産を推進した重戦車KV1とKV2が、その進展を妨げるのに力を尽くした最大のライバル、老騎兵クリメント・ヴォロシーロフの名をとって命名されたというのは最高に皮肉なことだった。

トゥハチェフスキーが処刑されたのが1937年5月、KV重戦車の設計が開始されたのが1年後の1938年5月のことなのでこの記述には疑問があります。ああ、軍オタってイヤですねえ(w


記録写真や当時実際に描かれたスケッチなど生々しい資料も多くあり、いささかショッキングな内容でもある。ページをめくる手が決して早くは進まなかったことも確かで広く一般にお薦めするような本ではないのでありましょうが、貴重な記録であることもまた、確かです。極限的な環境下では、ひとの行為もまた極限的になるのかも知れません。良くも悪くも。