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ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジョー・ウォルトン「図書室の魔法」(上)

刊行以来ある種の本好き*1には絶大な支持を得ている作品。一読して成る程なあ、と思う。1979年のイギリスを舞台に、双子の妹を事故で喪い自らも重い傷を負った少女が、実母の暴力から逃れ初対面となる父親の家庭から寄宿制の女学校へと送られ、孤独な境遇を唯一慰めるのは父親の蔵書、学校の図書室、さらに地域図書館で手に取る大量のSF小説。

なるほどこれは絶大な支持を得るわけですね。現在では概ね古典、名作の地位を得ているいくつものSF小説を同時代のものとして読めるヒロイン、モリの喜びは同時代、同世代の人ならばより一層深い共感を得ることが出来るでしょう。ああ、俺も身の回りにヴォネガット用語を駆使できる女子中学生がほしかったなあ。

これだけだと児童文学のようだけれど、純然たるSFとして出版されるだけの仕込は成されているようです。モリと亡き双子の妹モルはイギリスの田野に潜むフェアリーと言葉を交わして「魔法」を使うし、ほぼ発狂したものとして扱われる母親の暴力嗜好は殴る蹴るではなく「呪い」として表出される。エヴリデイ・マジック(マジック・リアリズム?)風味なこれらの要素が実際に作用しているものなのか、あるいは本文が日記体で記されているようにこれら全てが「信用のおけない語り手」による思いこみの産物なのか、とにかくヒロインが思春期の少女且つ重度のSF者なので、どこに落ち着くのか上巻からではさっぱり見当が付かないのである。陰湿ないじめを受けたり友人を得たり、性に悩んだり恋に落ちたりする(?)一方で

ジョン・ブラナーの『衝撃波を乗り切れ』を読む。けっこう面白いのだが、『ザンジバーに立つ』ほどではなさそうだ。傑作を書いてしまった小説家が、もうこれ以上の作品は書けないと気づいたとき、彼は何を思うのだろう?

なんてさらっと書いてしまうのだ。『ザンジバーに立つ』が面白いってゆうひとはじめてみたぞ*2

上巻読み終えた後で気がついたんだけど著者は「ファージング」三部作*3のひとなのね。あちらは大きなテーマの割に最期まで「軽さ」が付きまとう作品だったけど、今回は小さな世界で「重い」内容のように感じます。

*1:池澤春菜嬢とか

*2:1969年ヒューゴー賞長編部門受賞作“Stand on Zanzibar” 歴代の作品で唯一邦訳されてないほど も の す ご く つ ま ら な い と、もっぱらのウワサ。

*3:http://d.hatena.ne.jp/abogard/20120602 http://d.hatena.ne.jp/abogard/20120620 http://d.hatena.ne.jp/abogard/20120629