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ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ミュシャ展行ってきました

公式。ふだんこういうのは人混みが空いてきてから…と思っているのだけれど、昨今の美術展って一度混みだすと二度とおさまらないまま延々と行列が続いて糸冬了。な例が続いているので「NHK日曜美術館で採り上げられたらもう終わりだ」という言葉にも煽られて開催初期に早手回しで行ってきました。いやあ、開館前から行列して美術展に並ぶなんて初めてだけど、おかげで余裕をもって見ることができました。今後も積極的にこの手を使っていこうかな。

 

さてミュシャ(展示内では母国語発音に近い「ムハ」表記が多用されるけれど、やっぱりこっちのほうがしっくりくるなあ)といえばその昔、とある小さなSNSミュシャの話題が出たときに、ある方が「サラ・ベルナールハムレットのポスター」を新聞記事から切り抜いてスクラップしていたという話をされて大変驚いた覚えがあります。何故かといえば自分も全く同様に「サラ・ベルナールハムレットのポスター」を新聞記事――たしか朝日新聞日曜版の「世界名画の旅」からだ――切り抜いてスクラップしていて、まあネットでは稀にそういうことが起こるのですよ。ところで自分がその絵をスクラップした理由というのが、塩野七生じゃない方の「ロードス島戦記」のイラスト(第2部のヒロイン、シーリスのキャラデザイン)にそっくりだったからだ…というのは当時黙っていたのだがもう言ってしまえ、ミュシャに入れ込んだのは「ロードス島戦記」の影響ですハイ。一時期ロードス島とかダンバインとか露骨にミュシャ風だったのは、やっぱり出渕裕のしわざなんだろうか。でも自分と近しい世代の人ならミュシャアール・ヌーヴォーから受ける印象が「ファンタジー要素」だという話に同意してくれるんではないかしら(チラッチラッ

 

ですからして、とても楽しかったのです。まるで「ロードス島戦記」の世界に迷い込んだような感覚でね。それは決して画家が描いた題材でも主題でもないけれど、スラブ民族の歴史も受難も全部通り越して、どこか遠い世界で起きた、遠い時代の出来事として、非常に面白い体験ができました。むしろ自分がチェコ人だったら素直に楽しめただろうかと、そっちの方が疑問である。日本とチェコスロヴァキア、あるいはボヘミアと、その置かれた立場は全然異なるものだけれど、もしも1920年代の日本で一人の画家が歴史的題材を連作絵画にして「大和民族叙事詩」なんて作られてもその、困るだろうなと。発表当時母国では高い評価を得られず、むしろアメリカで評判だったというのも、エキゾチックなモノとして受け止められたのかも知れないなあ、などと。

 

「現代美術はわからない」とよく言われます(あまり好きな言い方ではないです)。多分、それと同じぐらい今回のスラヴ叙事詩も日本人には「わからない」ものでしょう。むしろ余程ヨーロッパ史に精通していないと「わかる」だなんて口が裂けても言えないものだと思います。でも「わからない」絵画であっても十分「楽しめる」のだという例にはいいのかも知れません。日本のマンガやアニメのファン/クリエイターが好む訳だなと、それはとても「よくわかる」(笑)。力強い主線とあー淡い?中間色で塗られたポスター類なんて実にアニメ絵で、スタイリッシュにデザインされたパリ時代を見た後でもういちどスラヴ叙事詩に戻ると、まるで教会に飾ってある絵のように古臭く感じたことは確かだ。それでも会場にはパリ万国博覧会ボスニア・ヘルツェゴビナ館壁画の「下絵」が展示されていて、その主線だけで構成された画面はまったくもって漫画のようで、実に日本人に好まれるタイプの絵なのでしょう。

 

これは混むだろうなあ。

 

大きな絵もありまた切手や紙幣も展示されているので、小ぶりな双眼鏡、オペラグラスや単眼鏡を持ち込むとよいでしょうね。

 

会場で気になったのは物販コーナーにあった絵葉書で、サンプルで飾ってあっても売り場に無いものがいくつかあったんだけどあれはなんだったんだろう?すでに完売したとは思えないし、期間内に入れ替えやるのかな??

 

それにしてもヤン・ジシュカはキャラが立ち過ぎだよな。そら21世紀の日本でマンガのキャラにもなろうて。