ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

コードウェイナー・スミス「スキャナーに生きがいはない」

 

 

人類補完機構シリーズは旧版で「鼠と竜のゲーム」「第81Q戦争」だけ読んでいて、長編「ノーストリリア」と第2短編集「シェイヨルという名の星」は未読でした。旧版2冊読んだのも10代の頃で随分記憶が薄れていたから、あらためて全作品が補完されるこの企画は素直にうれしい。

全部を読んでいなかったとはいえ、なぜか家にあるSFマガジン1994年8月号の巻末に「コードウェイナー・スミスを楽しむための人類補完機構の手引き」なる記事が掲載されていたので、年表や世界観は概ね補完されていたんだけどな(笑)

 

SF作家にもいろいろあるけれど、ある種のSF作家には稀有壮大な「未来の歴史」を構築して一大サーガのような連作を作りたくて堪らぬ性分の人がいます。ハインラインアシモフがそうなんだけど、主にそれしか書いていないという点では、コードウェイナー・スミスは面白い作家ですね。生い立ちや執筆履歴などもユニークなのでまあ皆さん、読んでごらんなさいな。

 

寡作な割には多くのファンに愛されて、日本のSF界隈への影響も少なからずありました。もっとも有名なのはエヴァンゲリオンだろうけど、あれは「人類補完計画」という単語レベルのオマージュであって、むしろ上遠野浩平の作品にいくつも響いているように思います。どこがどうだかと、具体的なことは言えないのだけれども。

 

全短編を設定年代ごとに再構築した3巻本で、第1巻である本書には人類の暗黒時代と補完機構による統治の初期、人類が外宇宙へと広がっていく黎明の時代の作品が納められています。ひとつひとつの作品は短編であると同時に密接に関係する連作なのですが、執筆の順番は個々の作品の年代順とは異なっているので、作品ごとのつながりは希薄でいわば断片的に歴史を俯瞰するような感じではある。断片的であるからこそ、そのつながりには想像を働かせる余地があり、科学的というよりはむしろ詩的、ポエジーな文章・単語やキャラクター造形には、情感を刺激する働きがある。「青をこころに、一、二と数えよ」なんてすごくいいタイトルで、伊藤典夫浅倉久志の二巨頭による翻訳の素晴らしさもまた、日本のSF出版が豊潤であることの証左であり。

 

マンショニャッガーの健気さには初読時以来何年経っても胸を打たれるものだけれど、「大佐は無の極から帰った」のハーケニング大佐が二次元航法の空間で「むきだしの快楽」に囚われて帰ってこないというのはその、そりゃ帰ってこないよなあとイマドキの人は思うのであった。

 

詩的で猫的、大時代的な恋愛観には郷愁も感じて、やはり長く愛される作品なのだなーと、あらためて。