ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」⑨

 

 6年生1学期編ということで、今巻はクラスの新キャラ紹介みたいな話が続きます。前回のクラスメイト一覧を見比べると個性豊かで良いねえと思いつつ、普通のマンガになりつつある気がしなくもない(笑)

まあメインのカップリングが全然揺らがないマンガだから、そこは仕方が無いかw

フィリップ・カー「静かなる炎」

 

新グンターシリーズ2冊目。決して「新ベルリン三部作」とは呼ばれないのだろうなあ。三部作ではないし今回の舞台は主にアルゼンチンなので。

前作ラストでアドルフ・アイヒマンらと共にドイツを脱出する羽目に陥ったグンターが、渡航先の1950年アルゼンチンでファン・ペロンに会ってうっかり「医者と名乗っているけどホントは元刑事の私立探偵でして」などとバラしてしまって、当地で起きた少女惨殺事件を解明することになる成り行き。それが実は戦前にベルリンで起きた連続惨殺事件と同じ犯人なのではないか…という流れで半分ぐらいは1932年のベルリンが舞台ではある。例によって反骨精神ムキ出しで女にはコロリと弱く、軽口叩きすぎてしょっちゅう死にそうな目に遭うのは。舞台がドイツだろうとアルゼンチンだろうと大差ないのだなw そして例によって気が付けば他人の掌の上で踊らされてるだけでした!残念!!で今作ラストもアルゼンチンから尻尾撒いて逃げ出すことになる。それでいいのかフリップ・カー。まあ、それだけサム・スペードやフィリップ・マーロウよりもヤバい相手を敵に回してるということなんだろうけれど、ヒロイズムとしてどうなんだろうという気はしなくもない。今回グンターは実に若く美しいヒロイン、アンナ・ヤグブスキーと目出度く結ばれるのだけれど、最後のこの決断に同意させることは出来ず、独りウルグアイに落ち延びるのであった…。

 

本作は20世紀のアルゼンチンとユダヤ人迫害がメインテーマで、「政令十一号」というものが大きなカギを握っているのだけれど、実際のアルゼンチンでは公式に存在が認められたものでは無いそうで、どこまでが史実でどこからがフィクションであるかについては注意を払う必要があるでしょう。

 

ところで今回、登場人物一覧にオットー・スコルツェニーが並んでいて、そういうのは隠してほしいもんだなと幻滅したのだけれど、真のスペシャル・ゲスト・ナチは別に隠し玉で出てきましたよかったよかった。ほんでスコルツェニーが何をするかというと「酔っぱらって凄む」ただそれだけである。なんで出てきたスコルツェニー。まあ出さずにはいられなかったのだろうなあ…

 

フィリップ・カー「変わらざるもの」

 

 フィリップ・カーのベルリン三部作に続きがあって、しかも10年も前に翻訳が出ていたとは知らなかった。版元を変えているとはいえなんという失態。

今でこそいろいろ出ているナチスドイツ体制下ハードボイルドミステリーですが、90年代にベルリン三部作が新潮文庫から出たときはずいぶんと興奮して読んだものです。特に第2作「砕かれた夜」が大好きでこれはいまでも本棚にあるのですが、他はほとんどないよう忘れてましたね…。第三作「ベルリン・レクイエム」がタイトルとは裏腹に主な舞台がウィーンだったのは覚えてたけど、主人公グンターに奥さんがいたのはさっぱり忘れていた。

 

本書では序章こそ1937年の開戦直前のドイツ・パレスチナを舞台としていますが、主たる時代は1949年、終戦後のドイツ社会を舞台に戦犯の追跡や逃亡がテーマか。ダッハウで小さなホテルを営んでいたグンターが妻の死とともに探偵に復帰し、小さな事件を扱いながらだんだんと大きな陰謀に飲み込まれて行く…という流れ。反骨精神と正義感は存分にありながらどこか抜けたところもあって黒幕にいいように操られちゃうのは、前もそんな感じだった気がする。ブチ切れて私刑じみた制裁を実行するところも、たぶん前々からだ。だから「変わらざるもの」という邦題は秀逸で、”The One from The Other” という原題はもっとし秀逸である。例えどれほど時代や社会が変わっても、変わらないものが、受け継がれている。それはなんだろう?

 

今作のラストでグンターは結構とんでもないことになるんだけれど、次はどうなるんだろう。ていうかこの新シリーズ全5作なんだけど、どうも翻訳は3冊で止まったらしい…。

 

そうそう、旧三作のお約束、登場人物一覧には書かれていないスペシャル・ゲスト・ナチの登場が今回も健在で、そこは非常に楽しめましたw

「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」見てきました。

公式。考えてみるといかにもハコ然とした四角い船の艦長に「輝けるノア」なんて名前のキャラを配置するのも大概だよな。そりゃ息子もおかしくなるだろう。

 

そうじゃない(´・ω・`) そういう話じゃあ、ない(´・ω・`)

 

原作は遥か昔に1巻だけ読んで、あとは読んでも無いのに結末は知っているというオタク特有のアレで、アニメ化の第一報を聞いた時から正直それほど興味はなかったんだけれど、ようやく公開されるやありとあらゆる場所で好評で、あまりの流行りにこれは見ておいた方がいいかなあと。

 

まあ私にも日本政府官僚やオリンピック関係者をマフティーしたい(隠語)という欲求が無きにしも非ずで、しかしガンダムというのも反社会的な主人公が多いシリーズですが、ここまでガチなテロリストが主人公というのも大変なことですな*1。昔から「背後霊の多い方が勝つ」というのがガンダムですが*2、本当に幽霊に取りつかれている主人公というのもまた、大変なことです。

 

ガンダムUCみたいだったらどうしようとか思ってたハズなんだけれど、メカの描写もキャラの芝居もどこかちょっと洋画じみた良さがあり、ポンポさんと同じですでにターゲットは日本市場ではないのだろうな。ストーリーとしては無論逆シャアの続きな訳ですが、別に逆シャア知らなくても楽しめると思います。なんなら中国市場の顧客層にも、この行き場のない詰んだテロリズムに打ち込まざるを得ないハサウェイの立場に、共感する人は多かろう。

 

悩むダバ・マイロードみたいなところはあるのだろうなあハサウェイ。全方位にモテモテだけれど寄ってくる女は爆弾みたいなのばかりで、最後に1シーンだけ出てくるケリア・デースの「あっこれヤバい人だ」感がマックスモリモリである。ミヘッシャちゃん可愛い。きっとこういう人春先の大学で偽勧誘やってる(´・ω・`)

 

それで、えーと怪獣みたいな所作が話題のモビルスーツですが、ロボットアニメに特撮のライティングを取り入れたと言えばそう、ゼオライマーですね!だから森木メカであるところのΞガンダムペーネロペーが怪獣みたいに暴れまわるのはそれは実質ゼオライマーなのである。そんな馬鹿な。

 

しかし映画を見終えて大満足でも、なぜかプラモを買おうという気分にはならなかった。試しにヨドバシのぞいてみたらすっからかんだったんだけどさ(´・ω・`)

 

「あれが新型というやつなら、アナハイムはやりやがったってことだ!」

 

人間はいつになったら学びを得るのか。進歩も進化もしねえなぁ(´・ω・`)

 

ギギ・アンダルシアの妖艶さとかレーン・エイムの実直さとか、ここに書ききれなかった良さはたくさんあります。みんなも見よう、「閃光のハサウェイ」!

 

ケネス大佐が「馬で来るやつはヤバい」という最近のガンダムの法則に乗っているところは実に良い(´・ω・`)

 

 あ、そうそう、マハの局員ゲイスというキャラを佐々木望さん*3がやってて、ハサウェイの聴取とかとにかく全部が全部、会話内容は穏便なのに終始何かにイラついているような芝居で大変面白う御座いました。何しろ上司はギュネイ・ガス*4だし、このキャスティング決めた人天才だと思うw

 

<7/23追記>

ちょっと時間を開けちゃったけど、2回目見てきました。新しい発見というよりは初見後にツイッター等で見た感想や演出など(ハサウェイ飲み物飲めない芸とか)を確認しに行った感じかな。「ハサウェイが恋に落ちた瞬間」というのはやはりテイザービジュアルにもなっていたダバオ空襲時にガウマンのメッサーが撃破されたときなのだろうか?目の前で仲間が倒されているのに、その目を閉じてギギの肉体を抱きしめる。ハサウェイにとってギギとは現実逃避の為の存在なのかもしれないなあ。てなことを思いました。そしてやっぱりね、ニュータイプでも英雄でもなく「ただの人」なんだろうな。だから人並みに弱いし、悩むわけで。悩める若者をいつ誰がどのようにどこへ導いたのかは、それは次回ということか。

 

冒頭、大気圏突入前のハウンゼン356便は2機のジェガンが護衛してるんだけど、あれはSFSに逆シャアのシャクルズ使ってるんだろうか? 

*1:ガンダムWの連中はどちらかというと芸人枠だと思われる

*2:ゼータ以降ね

*3:つまりかつてのハサウェイね

*4:の中の人

日本SF作家クラブ・編「ポストコロナのSF」

 

 いま、まさに読まれるべき一冊。日本SF作家クラブがここまで時勢にマッチした作品をというか行動自体を起こしたのは初めてじゃないだろうか。やっぱりいろいろ変わっていくのでしょうね*1。総勢19人の作家陣によるすべて書き下ろしの新作と、巻末巻頭に配されたエッセイ、前書きすべてがコロナ禍の現代で「SFになにが出来るのか」を提示している。ベテランから若手まで作風も様々だけれど、共通して言えることは社会とそして人間の変容を描くことはSFと相性が良いのだ、ということだろう。変容し続ける世界に生きている我々もまた、SFとは相性が良いのだ。

柴田勝家「オンライン福男」若木未生「熱夏にもわたしたちは」立原透耶「書物は歌う」小川一水「受け継ぐ力」

 

お気に入りを上げるならこのあたりでしょうか。特に若木未生がよかった。例え世界と人類がどれほど変容したとしても、変わらないものはあるのだ。

 

百合とか(´・ω・`)

 

*1:企画時代は林譲治会長時代に立てられたそうで

「映画大好きポンポさん」見てきました。

公式。 いやー、面白かった。原作はツイッターでバズった時に読んでいてそれもとても面白かったのだけれど、今回映画化されて、原作とはずいぶん違う話になってた気がするんだけれどさてどうだったかな。原作にはないアランのキャラクターが、成程映画化にあたってpixivよりも広いターゲットに見てもらうにはこういうキャラによるこういうエピソードが必要なのだろうなと、インナーサークルだけでは完結しない物語に昇華されているのがよくわかります。

映画製作をテーマにした映画というのもよくあるけれど、編集作業をアクションシーンに出来たのはアニメならではの力なのかな。先日NHKでやってた庵野ドキュメントじゃオッサンがポテトチップスを飲み物にしながらブツブツやってるだけだったからなあ…・カットすること、何かを切り捨てることで作品としての完成度が高まっていくのだというのは、やはりスリリングなことで、「何も足さない、何も引かない」だけが正解ではないのでしょうね。

もともと日本を舞台にしては成立しないタイプのストーリーなんだけれど、アニメはアニメで海外セールス狙ってんだろうなというのも、それもよくわかるつくりで。自分が10代20代の頃は身の周りの同世代にいずれアメリカに行って何事か成し遂げたいというひとが時折いたのだけれど、ひるがえって今の若者にとってのアメリカってそういう位置にあるのかなあと、そんなこともふと考えた。

小原好美さんをキャスティングしたのがもう優勝だろって感じもあって、今回EJアニメシアター新宿で見たのだけれど、最後にここ(経営形態は異なる)に来たのって「いばらの王」だったか「文学少女」だったか、花澤香菜さんが映画初主演したころだったと記憶している。時代もひと回りしてるんだなーてなことも思ったりだ。

しかし、おかげで新宿ではシネコン上映やってないのよね。コロナだったり他の大作と重なったりでいまいち多くの人に見られてないんじゃないかって気もするのですが、良作で幅広く見られてほしいものです。なんらかの創作を志している若い世代の方々や、なんらかの創作を志して挫折した年寄りとかにだw

 

<追記>

原作読み直してきた。いやー、全然違う話だなコレ(笑)

 

comic.pixiv.net

マイケル・ドズワース・クック「図書室の怪」

 

 四編の奇怪な物語、とサブタイトルにある通り表題作「図書室の怪」「六月二十四日」「グリーンマン」「ゴルゴタの丘」の四作を収録した短編集。とはいえ「図書室の怪」が中編(ノヴェラ)といってよいボリュームで、ページの8割がたは表題作が占める。これほど古式ゆかしいゴースト・ストーリ―を書くひとが現代にまだいるのだなあということに驚かされます。静謐で上品な恐怖を、ある意味朴訥に語るというか。「図書室の怪」はシャーロック・ホームズの「マスグレーブ家の儀式」を思わせるような謎解きで、館の秘密と一族の過去が明らかにされていくなかなか読ませるものでした。原題を「Libraian」といって、普通に訳せば「司書」なのだけれど、図書室を司るもの、図書室に憑りつかれていたもの、それはいったい誰だったのか…。読了後、そんなことをちょっと考える。いい幽霊譚でありました。

その他3本はいずれも小品だけれど、ノスタルジックな視線と過去からの因縁が絡まって抜け出せなくなるような、広義な意味で「呪い」のお話なのだなあと、だいたいそういう印象を受ける。

著者クックはミステリーの研究家が主で本書が初のフィクション作品らしい。いろいろと人となりを知りたいところなんですが、訳者あとがきがいわゆる「あとがきにあらすじをのせるタイプ」のそれなので、大して情報が無い。それはちょっと不満。