ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」

 

第11回アガサ・クリスティー賞を選考委員満場一致の満点で受賞した新人デビュー作。ということで発売前から話題沸騰だった一作。とはいえ、発売前からツイッターの有力なアカウントにゲラを配布する宣伝の仕方(無論それは現代に在って有力な手法なのだろうけど)や、現代の日本人が書いた独ソ戦の小説ってどこまで面白いのかとか、最近のハヤカワの百合流行りに押され過ぎてないかとか、不安も無きにしも非ず…だったけれど、

 

しかしながら。

 

一読して自らの不明を恥じる。第二次世界大戦当時のソ連陸軍女性狙撃兵部隊という極めて特異なテーマを採用しながら、そこで描出される物語は極めて現代の日本人読者に向けられた、極めて普遍的なものだと感じたからです。つまりこれは時代小説である。同時に冒険小説であって、そして青春小説でもある。「百合」とか「シスターフッド」とか性的(ジェンダー的)な切り口は無論大きいけれど、性差を越えて楽しめるものだと思うところ。そしてエピローグでは本作が「戦争は女の顔をしていない」を受けて書かれたものだというアンサーが明確に提示される。なるほど戦争は女の顔をしていないかもしれないけれど、女が戦争の顔をしていないとは、誰も言っていないよな。

 

物語のなかで「お前は今どこにいる?」と問いかけられるシーンが2回ある(正確には3回)。前半で相当に印象に残ったそのシーンがクライマックスでもう一度呼び起こされる構成にちょっと感服しました。

 

お前は今どこにいる?

 

流されていないか。間違っていないか。見当を外していないか。

 

流された者、間違った者、見当を外した者たちが次々に死んでいく中で、最後まで生きて残るのは正しい場所で正しくあり続ける精神の在り方だ、多分これはそういうお話で、流されて間違って見当外れな人生を生きてきたポンコツは脳天を打ち抜かれるような衝撃を受ける訳です(笑)

 

笑えねえ(´・ω・`)

 

狙撃、狙撃兵というのもフィクション/ノンフィクションを問わず人気の分野で、スナイパー物というのはひとつのジャンルを形成していると言っても過言ではないでしょう。一体人はなにに惹かれるのだろうな?「剣豪」とも似た、どこか超絶的な技術・能力・精神性、そういったものかな…

 

アニメ化してほしいですが、どう考えても無理でしょうねぇ…

M・ジョン・ハリスン「パステル都市」

 

サンリオSF文庫総解説」*1に記載されたなかでもあらすじが面白かったもので、買える値段のものを探していた一冊。神保町の羊頭書房でややヤケあり1400円だった(@ワンダーでは2000円だった)のでまあいいかなと。それでその

 

あらすじは面白かった。

 

(´・ω・`)

 

科学文明が崩壊し中世レベルにまで後退した未来世界が舞台で、既に現役を引退した剣士が祖国の危機に際してもう一度立ち返り、かつての仲間を探して若き女王のために戦う。あるものは年老い、あるものは敵に寝返り、苦難の戦いの中で敵方は旧世界の恐るべき殺人機械の一群を戦線に投入し…

 

みたいなことを書くとなんか面白そうなんだけど

 

そうはならないのだ(´・ω・`)

 

件のサンリオSF文庫総解説には

 

機械の整備士である小人のトゥームが忘れがたい。外骨格をまとい、三メートルの巨人となって大暴れする。

 

とある(中村融の評)。たしかにこのキャラは大変印象に残る。というよりほかが印象に残らない…。

もう少し頑張ればムアコックの初期「ホークムーン」みたいになったんではないかなぁとは思うのだけれど。

 

「アイの歌声を聴かせて」見てきました。

公式。 今年は劇場アニメの良作が多いけれど、意外な伏兵というかなんというか。テイザーPV自体は何度も見ていて、多分バンダイナムコが製作だからガルパンで流してたんだろうなあ。女子高生でロボと来たら「To Heart」のマルチみたいな話なんかなー、程度の興味で特に惹かれることもなかったんですが、公開以来のあまりのクチコミの絶賛さにちょっと「若おかみは小学生!*1みたいな空気を感じて、足を運んでみました。

 

やー、

 

面白かったですよ。

 

ロボットというのは人間の似姿で、似姿というのはそのものではない。そのものではないから、そこには人に成し得ない希望や理想を求めたくなるのでしょうね。ロボット、アンドロイド、いやまあAIか。人間の中に混じって活動するAIのシオンが起こすいくつかの奇跡が、それは歌うことによって起こるわけなのだけれど、普通は歌を歌ったからって何かがどうなるなんてのはマクロスの世界ぐらいじゃあるまいか。でも一番最初にゴッちゃんとアヤの仲を取り持つときに、まず「水の上を歩く」カットを入れることで、ここから始まるシーンは普通ではない、超常的なものなんですよというエクスキューズを受け止められて、不自然さもむしろ自然に。

 

そこで妙にキリスト教な見地を感じちゃったものだから、これはきょうだいと精霊とAIの御名に於いて、遍歴の魂が長い旅の果てに受肉し、人の世に幾何かの奇跡を起こしてそしてまた天上に還る話なのだなーと、そんなふうに納得しました。進歩したAIとネットワークに覆われた世界には、八百万の魂の座があるのだ。あるのだ。

 

ラストシーンで月観測衛星(だっけ)に宿ってるところにかぐや姫かよ!と思ったらどうも本当にそうだったようで、パンフレットによれば劇中作「ムーンプリンセス」はディズニー風なかぐや姫のお話だった。

 

「サカサマのパテマ」も「イヴの時間」も未履修だったのを恥じる思いです。後者は批評系の同人誌なんかで取り上げられてた印象があるな。

 

みかこし演じるアヤちゃんがどんどん可愛くなっていくのは良かったな。あとサンダーが良かった。柔道って社交ダンスだったんだ!

 

しかし考えてみれば「家具に話しかける」なんて「NHKにようこそ!」の頃は病気の一種だったのに、いまではごく普通の行為なわけで、精々20年でも世の中随分変わったものですねぇ…

 

そしてやっぱり歌なわけですが、これCD化はされないんだろうなあ、古い人間なもので物理的に欲しいのだけれど。

 

 

ガードナー・R・ドゾワ他「海の鎖」

 

国書刊行会のSF叢書「未来の文学」シリーズ、その中で短編アンソロジーとしては第散弾にあたるもの。なのだけれど、まあ古いSFだナーと思う。「未来の文学」自体最新のものでなくむしろ過去の埋もれた名作を掘り起こすような性格のシリーズで、伊藤典夫翻訳作品の自薦アンソロジーというところの意味があるのだろうけれど。

 

でもなー。

 

そのなかで唯一フレデリック・ポールの「フェルミと冬」はあとがきに

 

この作品に関しては「いま読んでも古さを感じさせない」はずである

 

とあるように、確かに今でも十分通用するものだと考える。米ロの核戦争とその後訪れる「核の冬」という実に古臭いテーマにもかかわらず、いま読んでもちゃんと面白い。そういう作品に出会えたときは、いつも嬉しくなるもので。タイトルだけ知ってたブライアン・オールディスの「リトル・ボーイふたたび」を読めたのも貴重ではありました。しょーもない話なんだけどなw

 

ところでM・ジョンスン・ハリスンの「地を統べるもの」は神がイギリスに高速道路を作る話なのだが、何を書いてるんだかさっぱりわからない。ほんとうにわからなかった。訳した本人もさっぱりだったようでこれまたあとがきには

 

本当に難しい作家で、本作を訳してかなりへばってしまい、他の作品は読む気力もなくなってしまったというのが本音である。

 

などとある。

 

どうしよう俺こないだ神保町で「パステル都市」買って来ちゃったよ(´・ω・`)

伊能高史「ガールズ&パンツァー劇場版 variante」7巻

 

ストーリーもいよいよ佳境で、サンダース勢の脱落から島田愛里寿の参戦あたりまでのパート。基本の流れは映画の通りなんだけれど、各校それぞれの事情にページを割いたりするvarianeぶりはいつもの通り。とはいえ細かなところで差分はあって、前巻でおケイさんだけが撃破されたサンダース勢はアリサが隊長に昇格して策士ぶりを見せる。樅鉄*1もそうだけどアリサって使いやすいキャラなんだろうなあ。ああでも個々のエピソードの順番は変わっているのか。映画ではサンダースに先んじてT28を撃破して退場するダージリンチャーチルが、このマンガでは後の流れになっていて、17ポンド砲さんの代わりに橋を撃破するのは2ポンド砲のルクリリ車だ。ダー様かっけえ。知波単の描写が最終章からフィードバックされているのは前巻同様か。(いまのところ)カットされているジェットコースター上のCV33対チャーフィーとか、ボカージュ迷路の戦いも順番変えて挿入されていくのかな?繰り返し砲撃される観覧車先輩の運命や如何に。

 

あと愛里寿車の装填手は化け物。女子大生のフリをしたゴリラ(´・ω・`)

 

月村了衛「機龍警察 白骨街道」

 

ビルマの竪琴」という作品がある。自分は中井貴一の映画を見て原作を読んだ。いい話だし名作だと思うけれども、現実のビルマ即ちミャンマーに、あのフィクションのイメージを重ねるのは危険なのだろうなとは思う。そんなことを考える。そんなことを考えるのは主に古処誠二の一連のビルマものを読んだ時なのだけれど、月村了衛の「機龍警察 白骨街道」を読んで、やはりそんなことを考えた。

 

いやあ。

 

ひさしぶりにすごいの読んだなって。

 

世間様からは2周ほど周回遅れだろうと思うので書いちゃうけど、作中では(現実のミャンマーがそうであったように)軍事クーデターが勃発する。でも執筆時期を考えたらなにそれ未来予知?とか思うところなんですが

 

決定的だったのは連載中に勃発したクーデターだ。これには参った。

amazonのリンク先掲載著者コメントより)

 

そりゃ参るよな。

 

それでも大筋を変えることなく物語は落着した。いったいどうやったらそんな作品が書けるというのか。現実はどこに在るのか。現実はここに在るのだ。

 

アウンサンスーチー習近平といった現実の人名が出てきたのは初めてだろうか?もしかしたら「暗黒市場」*1のときにロシア関係の人名も出てたかな?ともあれ「機龍警察」シリーズが近未来ものでは無くパラレルな現実を舞台にしていて、むしろこれはパラレルですらなく、文学という手法を取って現実の我々が住むこの世界をエクスポートしているんじゃないかな…とか、そんなことを考える。

 

「この国はね、もう真っ当な国ではないんだよ」

 

いやまったく。

 

ストーリーの詳細に関しては余所様にいくつも記述があるでしょう。海外ロケスペシャルのようでいて実は京都とミャンマー、2か所の戦線で特捜部は厳しい戦いを強いられる。一方では敵地での逃避行という冒険小説王道をやりつつも、他方では金融犯罪と国家レベルの汚職事件の捜査をする。警察ロボ物ではしばしば戦闘担当と捜査担当が別々にならざるを得ず*2、しかしこのシリーズは別々の担当者が実に上手く話を回しているなあと、思うわけです。城木理事官ストレス過多で死んじゃうんじゃないかと心配になるぞ。宮近のそれとは天と地ほど差がある。どちらも家族親族に由来するものだけれど。

 

前々からライザ・ラードナーは沢城みゆきのイメージなんですが、城邑鞠絵花澤香菜さんですねー。「かげきしょうじょ!!」見たばかりなのでね。

 

そしてアクション、久しぶりに機甲兵装の激しい戦闘シーンを読んだ気がする。これまでミステリマガジン掲載作品でこんなにロボが戦う話なんてあったんだろうか?SFマガジンの「戦闘妖精雪風」よりも戦闘しているぞ。今回は特捜部の龍騎兵が国内据え置きで、現地調達した第一種・第二種の機体で戦うためにハードウェアのアドバンテージが無い。おかげで緊迫感が増しているのは否めないなあ。じゃあ特捜部の機体は何のために存在するのかと言えば、いずれは陳腐化する技術を、いまはまだ先進的なものとして所持していられる危うさのためにあるのか。それがなければお話は駆動しないしね。

クライマックスに登場するミャンマー国軍の機体が使用する装備が、まるでボトムズのザイルスパイトかあるいはガサラキのワイヤーかコードギアスのハーケンか、ロボットアニメみたいな戦いを繰り広げるのは実に爽快で、アルキメデススクリューというのもメタルギアソリッドのどれかで使ってたしで、実にアニメっぽい戦闘を繰り広げる。そしてこれまでちょっと疑問を抱いていた、なぜ機甲兵装は人間用の火器をほぼそのまま使っているのか?という点にひとついい答えというかギミックを見いだせて、それは良かった。

 

しかし装甲性能の不足というのは現実にコマツ陸自に納入した試作車輛で発生した問題でもあるのだよな。そのへんの生々しさも良いな。

 

いかにもオタクっぽい仁礼財務捜査官を一撃で墜とすみどりちゃんも良いな。

 

良いところだらけである。

 

いずれ物語の根幹にはアメリカの影が出てくるのだろうと推測しているのですが(なにしろあまりに不自然なほどアメリカとアメリカ人が出てこない。このテーマでそれはあり得ない)、いわゆる「敵」の中核に皇族出てきたりしませんよね?

 

敵は海賊」ってあったけどさぁ…

 

ああそうだ、本作が面白かった方はぜひ古処誠二ビルマものも読んでみてください。きっと面白いと思います。本作のラストシーンは「7月7日」*3のそれを彷彿とさせたんだけれど、「7月7日」自体はビルマものではないんだよな…

 

書き忘れたので追記。

 

十二神将」と「八部衆」はいかがなものかと思います(´・ω・`)

*1:https://abogard.hatenadiary.jp/entry/20140113/p1

*2:といっても思いつくのはパトレイバーアップルシードでどちらも別々の担当者が上手く話を回しているのだけれど

*3:https://abogard.hatenadiary.jp/entry/20090210/1234274460

シオドア・スタージョン、G・K・チェスタトン他「夜の夢見の川」

 

「奇妙な味」作品を12本収めたオリジナル・アンソロジー中村融の編集によるもので「街角の書店」*1に続くシリーズというか姉妹巻。編者あとがきに

誤解がないように書いておくが、江戸川乱歩の造語である<奇妙な味>は作品の傾向を示す言葉であって、ジャンルを表す用語ではない。(略)以来<奇妙な味>は増殖を続けたが、ジャンルを超越してさまざまな場に存在する「傾向」である点には変わりはない。

とある。なるほどなあと思う一方で、ハードSFやハイファンタジーにはあまり見られないだろうし、比較的現代社会と地続きなまま、わずかな一歩を踏み外して…という作品が多いような気はする。

本書では冒頭のクリストファー・ファウラー「麻酔」と巻末の表題作「夜の夢見の川」が異常に濃い。偽物の歯医者に怪しげな治療を施される前者は固定カメラのまま進むドラマや、あるいは同じ構図のまま描かれるマンガとかビジュアル方面にアレンジすると面白いだろうなあ。しかしオチがグロすぎるかもしれない。後者は「闇がつむぐあまたの影」のカール・エドワルド・ワグナーで、チェンバーズの「黄衣の王」に範を取ったオマージュ作品。脱獄囚(女囚)が迷い込んだ女主人とメイドの暮らす館での奇妙な共同生活が急にエロくなるところが(///)。混濁と混乱のまま物語は急展開し、そしてぞくりと寒気だつようなラスト。よいねえ。その他ロバート・エイクマン「剣」とかG・K・チェスタトン「怒りの歩道――悪夢」とか、とにもかくにもその、

 

奇妙である。