ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

SFマガジン2024年10月号

「ファッション&美容SF」特集。ファッションSFでも美容SFでもなく、この2つをセットにしたことで深みが増すのだろうな、と思う。服飾と美は様々な切り口に対応し得る。

分かる話と分からない話に差があり過ぎて、例えば対談・インタビューのページは何を言ってるのだかさっぱりわからん(笑)これなら侵略宇宙人と対話した方がまだリカ機を得られるかもしれない(´・ω・`)

もっとも分かったのは斜線堂有紀『お茶は出来ない並んで歩く』で、ファッションとは装備であり美容とは強化のことである。生きることは常に戦いであって、人はそのために自らを強化し装備を更新せねばならない。「ロリータファッションで参加するデスゲーム」というあまりに魅力的な題材をすべて背景で済ませて、戦友*1との同志的友情を軸に据えたのはすごい腕力。

 どれも欠けることなくロリータブランドのものでなくてはいけないのに、全てを正規品で揃えようとすると十万を超える。こだわれば二十万円近くなる。高校生のバイト代では辛いし、社会人になったって痛い出費だ。それなのに、懐に余裕ができる歳の頃になると、ロリータファッションからは卒業という風潮になっている。

 この構造は寂しく、納得がいかない

極めて軍装趣味に近いものを感じる。軍装趣味は年齢より一般社会常識との間で軋轢を起こしそうなものだけれど。おれ最後に買ったのスウェーデン軍迷彩上衣だったけど、着る機会も着ていく場所ももうどこにも無かったよ(´・ω・`)

 

池澤春菜『秘臓』は人の全身を包む「アンブレラ」なる膜状のデバイスが普及し、あらゆる男女が「美的」になることを約束された世界で真美を探求する……?話なのだけれど、ちょっとホラー・サスペンス風味でこれまでに無い作風。(この著者にしては極めて珍しく)三人称で記述されることの意味を考える。ファッションも美容も「装う」ものであって、カート・ヴォネガットの金言、

われわれはなにかのふりをするとそのものになってしまう。だから何のふりをするかは慎重に選ばなくてはいけない。

を、思い出しました。「装い」の無い、人間の真なる美はどこにあるのか、それは……

あとこのおはなし、ちょっとえっちなのです(・ω・)b

 

特集ではないけど「戦闘妖精・雪風」であまりにも無造作に戦術核ぶっ放したので、そこはクスクス笑ってしまった。フェアリィ空軍最低だな、やはり無人化するべきである( ˘ω˘ )

 

*1:デスゲームの戦友では無く、ロリータファッションの同志。

バリントン・J・ベイリー「カエアンの聖衣」

10代の頃に読んで、いずれ読み直したいなーと思っていた作品を、SFマガジンがファッションSF特集やるというので読む。なおamazonが出してるのは大森望による新訳版だけど、今回読んだのは冬川亘訳の旧版。

元祖ファッションSF、ですねえ。人は見た目が9割というけれど、見た目を構成する大部分は実は衣服で、衣服が人を作るとはどういうことなのか、をSF的に描いたワイドスクリーンバロックか。冒頭から超音波を発する恐竜が生息している惑星とか、大気中に蠅が密集している惑星とかおよそワンダーなセンスの宇宙がバシバシ登場し、その「蠅の惑星」は導入部分のギャグだけで済ますのかと思いきや、中盤ストーリーが大きく変転する場所として再登場する。

服。やはりテーマは服で、その超音波恐竜の惑星に降りるべく着用される遮蔽スーツをはじめ、様々な種類の被服が登場します。その華やかな多様性に比べて人間は皆どこか醜悪に描かれているように見える。ある筋では有名な(どの筋だ)ヤクーサ・ボンズは作中唯一の服を着ない種族で、全裸宇宙サイボーグ中年みたいなもんだな。日本人なんだけどな。全長12フィートの、ほぼ小型の宇宙船のようなスペーススーツの中で、退化してウジ虫のようになった身体のまま一生を宇宙で過ごすソヴィア人とかイカす。電波で直接感情コミニュケーションする。

そんな宇宙でとりわけ優れた衣服を生産・輸出する「カエアン文明」の秘密を追い謎を解き明かす……というのがこのお話のキモなんですが、初読時頭を岩でブン殴られる様な衝撃を受けた箇所があしました。今回再読してみてなるほどここだったなあとなつかしく思い出す。さすがに初読時ほどの衝撃は受けなかったけど、活字が小さくてページが褐変した古書で読むのは大変目に辛くて、そこは衝撃を受けた(笑)

当時衝撃を受けた箇所は2つあって、ひとつはカエアンの様々な風変わりな衣装が箇条書き的に挙げられていく中で突然「スーツ」という我々の良く知る衣装が挙げられ、地球文明のエキゾチック感(何)が相対化されるところと

 奇妙な知性、とは言えるかもしれない。一般的な意味では、とうてい知性とは言えない。だがしかし――知性なのだ。

ここだなあ、後者は今でも、ちょっとゾクゾクしますね。

 

チャールズ・ディケンズ他 夏来健次編訳「英国クリスマス幽霊譚傑作集」

夏はホラーだろ!ということで読んでみる。うん、普通に季節外れだ(´・ω・`)

さすがに150年ぐらい前のお話ばかりだからねえ、古いものです。そういうのを現代に読めることは、言祝ぐべきことかと思います。

ディケンズの「クリスマス・キャロル」のヒットでヴィクトリア時代のイギリスに「クリスマスシーズンのゴースト・ストーリ―ブーム」が起きてたと知れたのが、最大の収穫かなあ。あとがきの書誌的価値……ですかね。

「お化けが出たのでびっくりしました・死にました」みたいな話も多い中、幽霊が出てもおびえることなく謎の解明に努め、結局全員ハッピーエンドなJ・H・リデル夫人「胡桃屋敷の幽霊」と、下宿先に出る幽霊自体の謎は謎のまま、その事実を頑として認めない家政婦の存在がむしろ怖いセオ・ギフト「メルローズ・スクエア二番地」がよかった。後者は主人公が女性で、女性がロンドンでひとり下宿することってあったんだなーという驚きと、幽霊見ると悲鳴上げて気絶しちゃうという、なかなか主人公にあるまじきところもよかった。

むかしから怪談って女性に好まれたのでしょうね。

高島雄哉「ホロニック:ガール」

ところで、カミナギ俺の嫁なわけですがみなさん、「エンタングル:ガール」に続くこの高島雄哉版ゼーガペインスピンオフ小説「ホロニック:ガール」では俺の嫁大活躍ですよついにネ申ですよネ申!!!(本当)

 

というわけで姉妹編・シリーズ第2弾は最初から文庫本として固定されて世に生まれてきました。なお前作の感想についてはこちらをご覧ください。記事が3本もあるぞ💦

abogard.hatenadiary.jp

とはいえ、WEB版(矢立文庫版)の「エンタングル:ガール 舞浜南高校映画研究部」はもう冒頭だけしか読めないんですね。いささか残念なことではありますが、データロストもゼーガペインには日常(´・ω・`)

読了してすぐに思ったのは「広げたなあ」ということで、これまでいくつものノベライズ作品がゼーガペインの世界を深め、広げてきたけれど、こんなに遠くまで Zeit und Raum が広がるものだとは思わなかった。それだけのポテンシャルを、基盤となったゼーガペインの世界が持っていたということなのでしょうね。(これは批判でも皮肉でもなく言うのだけれど)なんとなく「青の騎士ベルゼルガ物語」のようでもある。やはりゼーガペインにはソノラマの空気感があるんだ、そういうこと。

ファンの間ではよく知られた話だけれど、ゼーガペイン最終回のラストシーン、懐妊した女性が「早く生まれておいで、世界は光でいっぱいだよ!」と語りかけて終わるシーン、CVこそ花澤香菜さんがあてているけれど、台本にはただ「女」とあるだけでカミナギ・リョーコだとは明示されて無いのよね。「ホロニック:ガール」のお話がどれだけ遠くに行ってしまっても、最後はちゃんとそこへ落着するのは流石だなあと思います。プロに流石も何もないですが。

前作は映画を撮る話、それと対比するように今回の前半部分では、生徒会長になった守凪了子が演劇部の助っ人というかなんというかで劇を演じることになります。時系列的にはプロジェクト・リザレクションを終えて舞浜サーバーに9月1日以降が生じた時期。本書は新作「ゼーガペインSTA」のスピンオフでもあって、オルタモーダも登場します。特に「作るな」もといツクルナさんはかなり重要な役どころで、映画での活躍にも期待大ですね。京とハルは結構仲良さそうなんだけど、どうなるんだSTAは……?

それではまあ、劇というのは(普通は)舞台の上で虚構を演じるもので、虚構の役割を演じながらも「舞浜南高校の生徒会長」である自分もまた虚構の存在なのだと、そんなことを思う守凪さんがちょっと、ちょっと可愛いじゃないですかブンブンブン!!!(腕を振り、観衆に向けて熱狂的に語る)演劇やっている内にテンション高まって何か見えてしまうというのは恩田陸の「六番目の小夜子」を思い出したりだ。古い細胞が疼く。その守凪了子という存在自体が実は……だ。という、これはかなり攻めた記述もアリで震えますねいろいろとね。

そして前作読んだときに「このひとガルズオルムになりそう」とか思った天音先輩も無事普通にセレブラントに覚醒して、さらにはリザレクションした千帆先輩と子供作ったりしますうわっ!女の子同士でそんなことできるの?出来る!ゼーガペインの世界にはそれだけのポテンシャルがある!!人類の進化万歳!!!「ゼーガペイン」シリーズを通じて描かれている「実体を持たない幻体は実際のものごとに、人間にも触れられない」という命題に対して、天音と千帆というオリジナルキャラを使って、それを超えてしまう解を導く。そういう役どころになっています。それもまた、巧みなところで。

なお渦原先輩はロストしたままである。現実は非情だ(´・ω・`)

あーあとあれ、守凪たちが演劇に関していろいろ歓談する際に、シェークスピアの「テンペスト」が引用するされるんだけど、そこでのプロスペローの台詞が「我々は夢と同じもので出来ている」(実際には坪内逍遥役なのでもう少し古い文語体である)なのね。重ねてさらに守凪が言うには

「ううん。劇を原作にした映画は見たけどね。そっちはプロスペローじゃなくてプロスペラーって性別を変えていた」

 

 

じゃん!!!!

 

まあちょっと、うふふってなりましたわよ(・ᴗ・)

 

巻末の「カーテンコール」は、いわばあとがきなんですが、そこでは本作の執筆に於ける順番について記されています。なんかここが、ちょっと刺さった。章立ての順番に書かれたわけではないという旨なんですがフムン……

とりあえず初読の感想はそんなところなんですが、考えてみればこの感想も「物語りの順序」に従ってる訳ではないんだよな。

おっと書き忘れてた。本文途中で271451体のイェルが出てきた(本当)とこで

「あ、姉十兆人!!!」

なんて呻く程に、十分高島雄哉SFしてました。ランドスケープは夏の季語ですね( ˘ω˘ )

「カミノフデ~怪獣たちのいる島~」見てきました

公式。この作品を知ったきっかけはちょっと遡る。2019年というからもう5年も前か。東京都瑞穂町の郷土資料館けやき館で開催された、特別展「特撮造形師村瀬継蔵 ~瑞穂でうまれた怪獣たち~」というのを、たしか入場無料に惹かれて見に行ったら、過去の資料に混じって構想中の新作としてイラストボードか何かの展示があったのね。そのときは果たしてこれちゃんと完成するんだろうかと疑問はあったんだけど、昭和10年生まれで自分の父親と同い年の方がまだまだ現役で創作活動を行うことに感銘を受けて、ブロマイドにサイン貰いがてらささやかな声援を送りました。

 

 

それからしばらく過ぎて、実は全く忘れていたんだけれど(汗)映画の完成と公開の報を聴いた時には、是非見に行かねば!と固く誓ったものです。

そして今日拝見して、いろいろ複雑な感想を抱く(笑) パンフも読んでなるほどご自身の人生にいろいろあったことの集大成みたいな作品なんだなーというのはよくわかりました。操演を駆使したミニチュア特撮は楽しいし、ヒロインの朱莉を演じた鈴木梨央さんは可愛い。陽の目を見ずに失われつつあるプロットを現世に繋ぎ止めておくために心象風景を旅するというのも悪くない。けれど総監督ご自身が「子どもに見てほしい」といってる映画で釈由美子とマンホールとか樋口真嗣樋口真嗣で出てくるとか、旅のパートナーがいささか鬱陶しい特撮オタク少年だという、マニアのオッサン向けみたいなギミック仕込むのは……

 

正直どうかと思う(´・ω・`)

 

これクラファンとかやってたのね。支援すればよかったねえ。まあ温泉シャークにやったから勘弁してください。しかし2019年に見たストーリーはもちょっと和風神話みたいな印象を受けたけれど、撮影禁止物だったからいまいち記憶に信頼がない……

死別した祖父を理解し今後も遺品を保管していこうというラストは現在の須賀川とかアニメ特撮アーカイブ機構とか、あのへんの活動に寄り添うものでイマドキではありますね。そしてふと思い出す。自分の高校は隣が映画の撮影所で(どうも昔はガメラを撮っていたらしい)、いちど文化祭に使うベニヤ板を受け取りに中に入ったことがあるのだけれど、案内してくれた職員の方がスタジオの入り口ではさっと手を伸ばして遮って、ここから先は立ち入り禁止と示してくれました。

 

教訓:みだりに子供が入ってくるような環境を「現場」にしてはいけない(´・ω・`)

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」⑱

引き続き修学旅行編。高田くんと西村さんが出来上がり過ぎにも程があるので(とはいえ意識の目覚めはあったりするけど)、今回スポットが当たるのは北川くんと笠原さんか、この二人当初は西村さんをいじめるキャラだったけど、いつのまにかみんな仲良しになっていて、それは何故かと言ったら「太陽にあたっていたから」なんでしょうね。特に笠原さんの、誰がどう見たって玉砕に向けた決意の結果は次巻か。この辺「巻き」が入って来てるのがありありわかる。水口くんどうすんのかな。わかりやすいジャッカル*1になるのは勘弁してほしーなー。

 

*1:島本和彦「一番星のジャッカル」参照