ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

山尾悠子「山の人魚と虚ろの王」

まあ、わからないよな。山尾悠子の作品というのはストーリーを読むものではないと思うけれど、この話が何を語っているのかというのは、よくわからない。

筋立てを言えば主人公の私と妻との新婚旅行で起きた顛末を綴ったものだけれど、ひとつひとつの情景は謎めき、断片的で、陶酔的でもある。嫌なことがあるとすぐに目を閉じ口角を下げてムッとしている妻は可愛い。

タイトルとなる「山の人魚と虚ろの王」は二人が訪れる「夜の宮殿」で上演されている舞踏の演目名だけれど、葬儀と相続をテーマにしている(らしい)舞踏とともに、私と妻はなにがしかの遺産か権利か、なにかを相続し継承する立場である(らしい)。時折唐突に姿を見せる死した母、現実と幻想との端境は、これまたよくわからない。

わからないものをわからないまま眺める心地よさというのはあって、なにか夢の中を彷徨うような、そういうタイプの幻想小説です。

 

時浜次郎「科学闘姫シルバーライナSG」

同人誌時代に描かれていたキャラが満を持して商業連載+単行本化。長く愛されるキャラクタ―というのは良いものですね。自分は同人版は断片的にしか知らないのだけれど、今回も愛と幸せに満ちあふれたお話でした。「巨女」「ふたなり」などこれまで見ない要素も増えて、そして今回メガネ度高し!それがよい。

 

ああ、軽率先輩も軽率にリブートしてくれないかなあ。シリガルのモブとかでもいいから(笑)

 

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」㉓

んんんー

 

お使いミッションでした。

いい話だなとは思うけれど、露骨に引き延ばし感を感じなくもないんだよな……

 

「パリに咲くエトワール」見てきました。

公式。

えっと、まずシャア・アズナブルという人物について書こうと思う。書くというか引用なんだけど、シャア・アズナブルというのはだいたいこういう人である。あ、GQじゃなくてね。

シャア・アズナブルの不幸は、彼が一流の見識を持ちながら、二流の才能しか持ち合わせていなかったことである。
一流の才能を持つものが二流の見識しか持たないことは不幸ではない。なぜなら、自己の行動の規範となるのは見識にほかならないからである。
二流の見識にしたがって行使される才能に彼らはなんらもどかしさを覚えることはない。一流の見識を持つものが自己の才能が二流であることを認識し、なおかつ、他者より一流たらんことを求められ、それに応えよと見識が訴えるとき、心中がいかに苦渋に満ちたものとなるかは。容易に想像できよう。
シャア・アズナブルはまさしく、一年戦争からシャアの叛乱に至る後半生、魂に地獄を抱えて生きたのである。

皆川ゆか編著「機動戦士ガンダム公式百科事典―GUNDAM OFFICIALS」シャア・アズナブルの項目より抜粋。

自分の見識が広まると自身の才能の限界に気づかされる。そういうことってありますよね。自分は二流三流どころかド底辺も良いところの人間だけれど、それでも自分の能力の無さを自覚できる程度には、自分にも見識がある。

映画館では散々予告を見ていながら1ミリも食指が動かなかったこの映画の、公開直後からのツイッター大絶賛の声を見ていて感じたのは

(もしかしてこれ「逆襲のシャア」みたいな話なんだろうか?)

と、そういう思いで、いざ見に行って確信した。本作「パリに咲くエトワール」は実質「逆襲のシャア」である。見識が才能を上回ってしまった人間と、才能が見識より高まってしまった人間とが出合い、互いのもつギャップを埋めて何事かを成し遂げる。だいたいそういう話だ。端折り過ぎだ。

「カレイドスター」とか「かげきしょうじょ!!」などの系譜に属する、クリエイターの創造性をテーマにしたものだから、趣味であれ仕事であれ、そういうことをやってるひとにはきっと刺さると思います。ザクザク、グサグサ。

でもなあこれいろいろ刺さり過ぎるのよ。

常に失敗する可能性をあらかじめ見当に入れておいて予防線を張るようなフジコの言動とか、「他人を応援することで自分を肯定していると、自身の立場には頓着しなくなる」とかまあいろいろ。応援している相手の慶事を喜び手を握りたくても自分の手は「本来汚れるべきものとは違うもので」汚れているからその手を取れない。とか。

(追記:インチキおじさんが夜逃げした時に画廊にあった金目のものは持ち去られてしまうのだけれど、フジコの描いた絵は放って置かれるのが地味にキツイ)

 

全体的にハウス世界名作劇場みたいな感じではあるんだけれど、ひとつ違うなと思ったのは誰も不幸になる人がいないのよね。むかし星里もちるが「わずかいっちょまえ」のなかで「登場人物の中で誰か一人は不幸になる者がいるのが名作劇場」だと看破していたけれど、本作は第一次世界大戦の渦中というだいぶ世の中不幸だらけの時代を扱っているのに、安直に人が死んだりはしない。そこは狙ってやっているのでしょう。むしろ、それが良かったように思います。ホープパンク的だな。

インチキおじさんもジャムおばさんもフランス棒術マンも薙刀で最前線に躍り出るハマーン・カーンもみんないい人。オルガさん素敵。おれ未亡人属性なんて無いのになぜキュンキュンしてしまうのか謎。

あとやっぱ絵、美術よね。背景の美しさは言うに及ばず、随時挿入される実際の名画が、このどこか浮世離れした物語に重さを与えている。「実はロボットでも出てくるんじゃないか」などとあらぬ誤解を招いたメカ作画も良い。馬車とか。スパッドA2戦闘機とか。

簡単に頂点を極めないのは、それもまた良さである。千鶴の掴んだ夢が、決してひとり個人がスポットライトを浴びる事ではなく、全体の中のひとつの部品として(それは決して欠けてはならないし、すげ替えの利くものでもない)機能することだ、と言うのも何か良かった。鉄郎がネジになったエンドか。そうじゃねえよ。

でもこの作品がいちばん刺さるのは、いまフランスに居て日本でアニメやマンガの仕事をやりたいと思っている人たちじゃないかなあ。実はそういう人に向けて作ったんじゃないかって、だからこそ日本人観客に解りやすいような飛び道具はあまり使わなかったんじゃないかと思うのよね。アルボアニメーションのカルキ・ラジープってどういう人なんだろう?パンフにインタビュー載せるべきよな。

自分が社会に出た頃は同世代にも「アメリカに渡って○○がしたい」という人が幾人もいました。翻って、今の人たちにそういう夢は、どれほど提示できているんだろうね世の中ね。そんなことも考える、良い作品でありました。

 

(20260308追記)

2回目見てきました。シアタス調布じゃ1日1回上映でシアターも小さめだったけど、ほぼほぼ満席。新宿ピカデリーは上映回数増やしたらしいんで、多くの人に届いてほしいですね。

夢中、ということを考えました。夢の中に居ること、夢の途中であること。「パリに行って絵の勉強をする」というフジコの夢は、実は開幕早々叶ってしまっている。本場に渡って本物を見るだけでも、勉強にはなる。そして「絵だけじゃ食っていけないだろ」と言われて真顔になるほどには、自分の才能の無さを自覚しているフシがある。そういうフジコがもう一度夢に飛び込んでいくには、千鶴が魅せる舞台の幻想が必要だったと、そういうことになるのかな。「見る!見る!見る!」は千鶴のセリフだけれど、フジコも風景ではなく人々の美しさを見る必要が、多分あったのでしょう。ツイッターでも度々「対称的」であることは指摘されているけれど、必要なものは自分の手元にあったフジコと、自分の持っていたものを手離す必要があった千鶴は、やはり対称的だ。

ルスランが自分のピアノ曲を弾きながらフジコと会話するシーンでは、鍵盤を弾く手元を執拗なまでに映すのに、話している二人の口元は映さない。まるでお互いモノローグでコミュニケーションしているようにも見える。これはだいぶ不思議な演出で、意図を知りたい。

あと、ウワサのオリガさんバレリーナ時代の写真もばっちり確認してきました。

せくしい!!

ヽ(゚∀゚ヽ 三 ノ゚∀゚)ノ

ジャネット・スケスリン・チャールズ「わたしたちの図書館旅団」

「あの図書館の彼女たち」作者による第二作。今回は第一次大戦と図書館を題材に扱うもので、前作の感想はこちらに。

abogard.hatenadiary.jp

前作はドイツ占領下のパリということでだいぶ複雑な人間模様を描いていたんだけれど、それに比べると今回はかなりシンプルで、分かりやすいお話でした。「荒廃したフランスのためのアメリカ委員会(CARD)」という実在した組織に属する図書館司書のジェシー(実在の人物)が主役となる1918年からの過去パートと、作家志望の女性図書館員ウェンディ―がCARDとジェシーの果たした役割を追い、それを作品にしようとする現代パートとの2つの構成で、女性の自立・独立や恋愛を描くものです。今回も現代パートというのは1980年代(1987年)で、何故この時代かというと過去と現代の人物が実際に出会うクライマックスを用意するためには、このあたりがギリギリなんでしょうね。

CARDというのはそもそもアメリカの大富豪モルガン家の令嬢アン・モルガンがパートナー(女性である)のアン・マリー・ダイクとふたりで始めた組織で、女性の社会進出という意味もあって、全編を通じてジェンダー的な意味合いは強いです。彼女たちが派遣されるのは西部戦線の最前線に近いブレランクールとその周辺で、一度ドイツ占領下に置かれて奪還された土地なので、土地にも住民にも戦争の傷跡は深い。対してドイツ軍は「顔の見えない敵」であって、ジェシーが直接ドイツ兵と対峙するのは休戦後労役に就いた捕虜と、そこから脱走した兵士による性的暴行の危機に陥りそうになる、ぐらいであって、あまり善悪の逡巡は無い。

フランス国民の生活再建が主たる任務のCARDのなかで、図書館の復興というのがどこまで重要なのか?という問題は起こるけれど、案外スムーズに、特に児童書と読み聞かせ会によって戦災被害を受けた人々の心情は解きほぐされていきます。児童書の普及ということに関してはかなり重要な役割を果たした人物なんですね、ジェシーは。

ようやく軌道に乗った頃に19818年春季攻勢(カイザーシュラハト)が発起し混乱は起こるのだけれど、やがて休戦は結ばれ一息ついたと思ったら、インフルエンザが蔓延してメインキャラでも無慈悲に死ぬ。とかあります。史実通りです。

現代パートでのウェンディ―の調査は、果たしてジェシーはこの戦争を生き延びられたのか?ということが焦点になるんですが、実在した人物であるんで、そうそう突飛なことにはなりません。恋人もゲットしてめでたしめでたし。

前作に比べてやや淡白さは感じるんだけど、巻末の著者解説を読むと、2023年のアメリカで戦争に反対し図書館の自由を訴える物語を書くというのは、やはり直球にやる必要があるのかな、とは思いましたね。

 

それと、「戦争が終わったので救急車を移動図書館に作り替えよう」というのはなにか良かったです。自分も始めて図書館に接したのはマイクロバスによる「移動図書館」でしたから。

エミリー・テッシュ「宙の復讐者」

冒頭にいきなりこんな注意書きが掲げられててビビる。

いやー、しんどかったよ?宇宙に進出した人類が恒星間知的連合みたいなものに敗れて母星を破壊され、唯一生き残ったグループがガイアステーションなる小惑星要塞でコロニー集団を形成しているところから話が始まるんだけど、そこが強烈な男性原理に基づく戦闘カルト組織で、人類のこっち側に属する人間としては微妙に落ち着かない💦 軍国主義、先軍思想的に運営される組織の中で、一定数の女性は「繁殖」任務に就くようなまあそんなとこです。ヒロインのキアは逃亡した双子の兄マグスを追って「外」の世界に出て、薄々感じていた自分たちの組織が秘していた虚偽と世界の真実に気づき、異星人のテクノロジー<叡智(ウィズダム)>によるリセットに巻き込まれて何度となく世界を良い方向に導こうとする、ちょっとまどかマギカのアンサーみたいな話でもある。魔法少女は出て来ないけど。

著者はロンドン出身のイギリス人だけど、アメリカSF界隈の現状とか、現在の世界の惨状とかを強く考えさせられる作品ではあります。それがマチズモvsクィアみたいな構図になるのも、現代の病なのかな。

ガイアステーションでは同年齢の男女それぞれが「寮」に属する班を形成しているのだけれど、キアがリーダーとなっているスパロー寮のメンバーが、当初はギスギスしていたのがループの先で真に友情で結ばれ強権的な支配体制を覆すために立ち上がるのは実に良かった。あと途中で一回「あまりに幸せだけどインチキ」みたいなループやるところも好き。

「ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ大作戦です!第3幕」見てきました

公式。

家元シスターズで騒然としているけれど、中村桜さん演じるエル隊長の出番が多くて良かった。相変わらずアイリスアウトと微妙に色気のない水着シーンは多いアニメだ。

そして戦車が出て来たんでビックリしました。ガルパンなのにビックリするってどうよ(笑)

手錠で繋がれた押安はトイレどーしたんだろーなーとか思うと薄い本がヤヴァい方向に行くから

 

思うな。