今回はエマさんが大変なことに!!
「探偵小説」というジャンルが、科学捜査の発達によって現代を舞台とし難くなっているのはご存じの通りで、古代ローマで殺人事件が起きたり薔薇十字探偵が昭和30年代あたりでブイブイ言ってるのもその辺りの事情である。
で、現代というのはつくづく「個」の時代で世間には恋愛が溢れている。大変結構なことである。自由恋愛万歳。しかしながら「恋愛の不自由」を描くには現代はあんまり向いていない、と思う。成就させがたい恋愛関係を自然に描くために用いられたものが、「階級差」という形がはっきり存在している19世紀イギリスという舞台設定だろう。*1
現代だったら親の決めた結婚相手が云々なんて話は正直、リアリティを保てない。仮に「実際自分はそうである」という作者・読者がいたとしても一般的には「そんなもん好き勝手に生きりゃえーねん」の世界であろう。
これがまた同じヨーロッパだとしても「19世紀スウェーデンの貴族社会」とか、想像がつきません。*2その点で「19世紀末のイギリス貴族階級・エスタブリッシュメント」という存在が何を考え、どのような行動をしていたか、非常に想像しやすく、ストーリーの展開に無理がないのは良いと思う。
このマンガの主人公は当然、タイトルに従ってメイドのエマなのだけれども、キャラクターとして面白いのは相手のウイリアム・ジョ−ンズとその立場だ。恋愛もの場合大抵ストーリーを展開させる要素として「三角関係」が導入され、その点「エマ」も準じるのだけれど、ここで展開される三角関係の構図は「義務」と「責任」の間で踊る「権利」によって発生する。「親の決めた結婚」は重要な因子だが、「親の決めた結婚相手」であるところのエレノア・キャンベル嬢はまったくもって埒外に置かれている。今回ようやく、状況が彼女にも介入し始めたが*3
「自由意志による権利」を主張するウイリアムと「上層階級のもつ責任」を説くパパジョーンズ。アンチテーゼである父親の意見・視点・思考方法にそれなりに筋が通っていて、説得力がある。だからこそ、葛藤に重きが生まれ、物語に厚みが生じる。
「親の決めた相手」がただそれだけではなく、自分が属する体制を維持し、目上には義務を、目下には責任を持ち、「個」ではなく「社会」のために生きることなのだ――
なかなか、現代を舞台にしては描けないことだと思う。
「それでもメイドとケコーンしたいっ!」と自説を曲げないウイリアム君にも、共感する(笑)
今回これまで影の薄かった次男坊アーサーにもスポットが当たってる。割とイイ奴である。しかし長男も次男も真っ当に家督をつぐつもりが更々無い、という辺り、パパジョーンズ氏にも同情を禁じ得ない。
また今回「アメリカ」という単語が出てきたが、「システムの枠外に逃亡してハッピーエンド」は勘弁してほしいなあとも思う*4