ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

キャラクターの深みについて考える

ガラスの仮面」を――申し訳ないがこれは新作アニメ版しか知らないのだが――見ていて思うことは、主人公北島マヤに対する「ライバル」としての姫川亜弓の視点に立てばこの物語は全く別の筋立てを顕すだろうということだ。

たとえライバルであれ敵役であれ、脇役であれ端役であれ、個々のキャラクターが人物であればそこには個々の人生がある。

どんな人間でも人生に於いて十五分間はスポットライトを浴びる瞬間がある、と言ったのはアンディ・ウォーホルであるが、どんな人間でも自分自身の人生に於いては紛れもなく主役だ。

ライバルであれ敵役であれ、脇役であれ端役であれ、物語の中で「それ」を感じさせることが出来れば・・・

おそらくそれは「番外編」や「マルチエンド」ではない。「書き込み」ですらない。取捨の選択、抽象化、どれだけ少ない描写で、「それ」を感じさせることができるか、だろう。