ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ブライアン・フリーマントル「別れを告げに来た男」

別れを告げに来た男 (新潮文庫 フ 13-2)

別れを告げに来た男 (新潮文庫 フ 13-2)

ミステリ、と言い切ってしまうのはちょっと乱暴なエスピオナージュ。「冷戦」という時代は世界の大半にとって色々な意味で辛く厳しい時期だったと思うが作家にとっては良いメシの種である(笑)
フリーマントルは一連のチャーリー・マフィンシリーズが有名だが、自分は単発のこれが好きだ。などと書くと通ぶって聞こえるが何を隠そうフリーマントルで読んだのはこれ一冊だけだったりする…

東西両陣営、米ソ超大国の間に於いてたかだか一個人などちっぽけな存在に過ぎない。ジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ (ハヤカワ文庫 NV 174)」の衝撃的なラストシーンが象徴するように、実存的な諜報戦にはジェームズ・ボンドのようなスーパーヒーローは居ないのだ。
本作の主人公エィドリアン・ドッズは(チャーリー・マフィンの原型的なキャラだそうだが)ちょっと他に例が見つからないほどちっぽけでつまらない人物である。服装は冴えない、仕事は閑職、秘書には舐められ、奥さんは同性愛者の愛人の元に逃げ、若禿はもう若くないところまで進行中*1。そのちっぽけな個人が、個人なりに頑張るといったところか。
内容については詳しく触れないが、大変に面白い「冷戦時代のスパイ小説」で、今後このような作品が書かれない、あるいは書かれても同時代的な意味づけを持てない現代にあっては広く読まれて欲しい一冊なのだけれど版元絶版、品切れ状態である。ならば図書館や古書店で探せば良い、実際自分もそうして見つけたのだけれど、今現在出版されてる新潮文庫の他のフリーマントル作品の著作リストからも落ちているのはいただけないと思う。新しい読み手がそもそも作品の存在を知ることが出来ないなんて、なんの為の文庫だろう。

などと吠えたところでソノラマ文庫にも「宇宙戦艦ヤマト」の書誌情報など載っちゃいないよなーと今更当たり前なことを思う。

自分自身もちっぽけな人間に過ぎないヴィクトル・パーヴェルが夜空の星を見上げて何を思っていたのか、そのことに想いを寄せてみるとまぁ、この話は結構な面白さが感じられると言うわけなのさ。

余談。「どこそこに持って行く一冊」ってよくある。無人島に持って行く本、とか。自分にとってこの「別れを告げに来た男」は「夜逃げするときに空っぽの部屋に残しておく一冊」だ。そういうものだ。

*1:最後の所には実に実に共感を覚える。あ、あと「なんとなく自殺してみよかなー」などと自省がヒド過ぎて素敵。