ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

古処誠二「メフェナーボウンのつどう道」

メフェナーボウンのつどう道

メフェナーボウンのつどう道

恥ずかしながら古処誠二を知ったのは本書が初のことである。自分と同世代(2年しか違わない)の書き手が太平洋戦争を題材にしてここまで硬質な作品を著せるということに正直感服した。

本当に面白い小説を読むとしばらく呆然となる自分がいる。久しぶりにそんな感覚を味わった。作中明確に日付は記されていないが1945年4月以降ビルマ方面軍が瓦解していく時期*1を舞台にし従軍看護婦の撤退行を主軸に据えて書かれたこの小説はフィクションであり、実録戦記や体験手記の類ではない。「真実」は一片たりとも存在しないのだろうな。然しながら小説の戦略的価値はそのような所には無く、むしろ経験に則らないからこそ書けることもあるのだと、そんなことを思わされる。

「メフェナーボウン」というのはビルマ(現ミャンマー)の言葉でお面・仮面のことだそうだ。そのタイトルに違わず登場人物は皆すべて何か仮面を被っているような、建前とは裏腹な本音を隠し持っているような人物ばかりである。容易に共感は出来ずまた安易に反発することもできない。現代を生きている人間と同じようにはものを考えないし、同じようには行動しない。それが良かった。太平洋戦争を扱うと稀に見る(小説作品よりは映画のほうに多いと思うが)なんでこのキャラは当時に於いて現代的な志向哲学をもっているのだと言うようなものがひとつもない。なるほど同じ人間である。が、ものの考え方は違う。社会構造が違えば思考方法は当然異なるのだという極めて単純な「真理」あー「心理」か?それを描くのは簡単なようで難しいと僕は思う。

いつの時代、どんな場所でも「社会」が存在する限り、ヒトは社会性を持つ動物として行動せざるを得ず、そのことが必然的に「仮面」となるのだろう。それは本音と建前とか言った単純なアンピバレンツではなく、二律どころか律はいくつも存在して、それらすべては背反しない。そういう「仮面」が動乱する「社会」の中で揺れる、ズレる。その所為で見えるものがある。その主題のための舞台であり、人物であり、物語である。


有り体に言って僕は「メフェナーボウンのつどう道」を読んで感動したのだ。