ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

マシュー・ニール「英国紳士、エデンへ行く」

英国紳士、エデンへ行く (プラチナ・ファンタジイ)

英国紳士、エデンへ行く (プラチナ・ファンタジイ)

タスマニアこそ聖書に記されたエデンの地であると信じて彼の地へ探検に出かける三人の英国人、という概容に加えてやけに和やかな装幀からこの本はどこか牧歌的なコメディだろうと思っていた*1ら、とんだしっぺ返しを受けたような気分になる。この小説って映画「地獄の黙示録」からやさしさを取り除いて残酷さを倍返ししたような話だった…「地獄の黙示録」にどの程度やさしさが含まれているかは、この際ともかくとして。
なにしろ舞台は19世紀の中頃である。当時の英領タスマニア(別名ヴァン・ディーメンズ・ランド)と言えば大抵の地獄も裸足で逃げ出すほどトンデモない場所だったのだ。まさしく「モンティーと地獄へまっしぐら」*2だ(笑)

20名にも及ぶ語り手達も19世紀中頃の人物であるからして(19世紀中頃の人間がそうであった程度には)善良で、(19世紀中頃の人間がそうであった程度には)愚昧である。ぶっちゃけ登場人物のほぼ全員がバカでオロカで自己中心的な人たちばかりです。

しかしながら、悪意は有れども悪人ではない。それぞれのキャラはそれぞれの倫理道徳観に従って行動している。それは原理主義的宗教意識であったり、優性論的人種観であったり、民俗社会的同族思想であったりする。それらは殆ど現代の社会から見れば到底容認し得ない思潮であって、それぞれの人物は少なからず「悪人に思える」
単純に「悪の西欧文明」と「善の先住文化」なんて安手の対立軸にしていないのは良い。(先住民族は迫害を受けて気の毒だなあ)などと考えたとき我々は既に侵略者であって、無垢な傍観者などではないからだ。

少しも共感できないような行動原理に基づく視点人物ばかりという点では読み辛い作品かも知れないが、読み応えはある。共感や感情移入ばかりが読書の楽しみではないし、なにか教訓めいた物を得られなければ書物が無価値だという訳でもない。

強いて教訓めいた物を言うとするならば、

 ・タスマニアはエデンじゃないw

に加えて

 ・我々が150年前の人物に対して容易に共感できないように、150年後の人物も我々に対して容易に共感してくれることはあるまい。

といった事が挙げられようか。いやもう、同時代の人間に対してでさえ、そうであるというのに。

…だって書店に並んでるのみたら帯に「ユーモア小説の調べで」とか書いてあるんだぜ、これ。

*1:実を言うと実話に基づく奇譚の類だと思ってた。なにしろ相手は英国人だ、本気でやりかねない

*2:AM誌2003年7月号参照。マーケット・ガーデン作戦を立案した頃は、確かにモントゴメリーも紳士だった!