ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ジョン・キーガン「戦略の歴史」

戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで

戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで

読んだー。割と物騒なサブタイトルがついているけど内容もそれなりに物騒で、人類の発展と進歩を軍事史的観点で叙述するというあーつまり「人間の歴史はせんそーせんそー♪」ってヤツ*1で、この手のは嫌う向きも多いかな…と思う。別に軍事技術だけがヒトを牽引したわけではないし、ヒトは軍事技術だけを進捗させてきたわけでもない。「調理器具の歴史」が在って良い。筆記用具でも可。

それだけいろいろ世の東西から引っ張ってきたのは一面クラウゼヴィッツの命題否定にあるわけで、文中に次の一節を発見できたのは素直に嬉しかった。

理性的な政治の究極の目的が福祉国家の推進である時代に、どうして戦争が政治の延長でありうるのか。

文章自体は核兵器の登場を受けての一文であり、なるほど総力戦思想など現代では通用し得ないのだと簡潔に説いてくれている。無論のことそれが完全な思想などではなくて、例えば現代のソマリアでは軍事活動というのはほぼ唯一の生産的(!)行為だ。ひどい話もあったものだ…が、何かを考える手がかりにはなりそうだな。何を??

またユネスコの採択した「暴力に関するセビリア声明」*2についての記述があって

このセビーリャ声明は五つの条項を含んでおり、それぞれの条項は「以下の事柄は科学的に不正確である」と言う文面ではじまっていた。この条項はことごとく、人間は本性上暴力的であるとする決めつけを非難するものだった。引き続いて声明は、「我々は我々の祖先である動物から戦争を引き起こす傾向を受け継いでいる」とか、「戦争、もしくはその他の暴力行為は遺伝学的に我々の本性にプログラム化されている」、もしくは「人間の進化の過程で、攻撃的な行動が優先的に選択されてきた」、「人間は『暴力的』な脳を持っている」、「戦争は『本能』もしくはなんらかの単一の動機によって引き起こされる」といった考え方を否定したのだった。
 セビーリャ声明は、有力な支持を得た。アメリカ人類学協会に受け入れられたのは、その例である。とはいえ戦争の起源は古代にあり(後略)

そういう声明があったとは知らなくて大変勉強になった。至極当然なことを改めて文章化しているだけなのかもしれないが、人類の暴力行為は意図的な選択によって十分に回避が可能である。

そして現代に至るまで人類はちっともそれを回避していないのだと、そゆことだな。

じゃ、おいら岩男潤子のCDを聴きながら戦車のプラモを作るしごとにもどります

*1:山本正之がそんな曲歌ってた様な気がする

*2:全文はこちらに掲載されているhttp://homepage2.nifty.com/1234567890987654321/Seville-Statement.html