ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

辻村深月「凍りのくじら」

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

書店手書きのスタンドポップで「号泣するドラえもんという素敵すぎる図柄を見て手に取り発作的にレジに走る。何方だか存じ上げませんがブックスルーエ2Fの担当者様、あなたですよあなた!のお陰である…

全編「ドラえもん」へのオマージュに溢れていて、独白や会話の中にぽんぽん「ひみつ道具」やエピソードが語られる。章題もすべてひみつ道具から取られていて、さも当然のように「どくさいスイッチ」もちゃんとある。これは読まずにいられない。文庫版の初版発行は昨年11月でよくもまあ平積みポップ付きにしてくれたものだなと、そうでもなければ気づかずにいただろうからそれは嬉しいことなのだ。が、読み始めてしばらく失敗した感は否めなかった。主人公があまりに他人に対して傲慢で且つ自分自身には弱すぎ、読んでいて余り気持ちの良いものでは、ない。それ自体はごく普通に誰でも持っている過剰な自意識*1なのであんまり面白みがない。自分の「頭のよさ」と「心の弱さ」を自覚して他人と適切な距離関係を保ち、適度な依存関係を構築する、そういう自分を特殊だと思いつつ他人にラベルを貼って分類*2していく心理は解かり易いだけに気分が悪いのだな。

物語の進行も、正直退屈なものではある。空虚なエロスと濃厚なタナトスに支配される女子高生の生活、のような展開で、恋愛も犯罪も強くストーリーを牽引するような働きはしていないと思われる。(あまりこういう使い方をしたくはないが)嫌な意味で純文的とでも言うか。

その構造が最後の最後でがらっと崩れてああ成る程つまりはそういうことだったのか!と気がつかされ、件のスタンドポップ宜しく(;ω;)ぶわっ…と泣けてくるとゆー

「すこし・不思議」なお話なのです。

*1:自意識過剰でない人間など存在しない

*2:分類とは傲慢な行為である。対人関係に於いて又対書籍関係に於いても尚。