- 作者: 中島敦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1994/07/18
- メディア: 文庫
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パロディは最近読んだこともある「山月記」だが*1、原典を読み返すのは実に高校生以来。
いやぁ……
おもしろいぞこれは。
現代国語の授業内容的には近代人の煩悶とか懊悩とか言われるんだろうと思うけれどあーなんだろうなこれ。これから先どんな年代で読んでもその時々に応じて感じ入る事が出来ると思うし、多分これ世界中のあらゆる言語に翻訳しても内容主題が共感できそうな気がする。
何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし考えように依れば、思い当たることが全然ないでもない。
(略)
共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の所為である。己の珠に非らざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった
(略)
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。
。・゚・(ノД`)・゚・。
性質、思考方法が人をして人の世の敵たらしむるというのはいつの時代も変わらんのだろうな。
他にも「Gガンダム」のドモン・カッシュとマスターアジアが殴り愛してるような「名人伝」とか子路がかわゆすぐる「弟子」とか中国古典を翻案したものは誰にでも薦められる名作ですね。この翻案というもの、長らく日本の主流文学(という言い方はあんまり好きではないが)に地位を占めていたけれど、中島敦の後はあまり聞かない*2(ライトノベル・サブジャンルの世界では数多くあるのでしょうが、そういう意味ではなくて)なあとかそんなことを考えながら読んでいたのだが、自伝的作品また巻末解説を読んでこの夭折した文人が儒家の末裔と知って些かたじろぐ。儒者であるということは決して個人独りで成り立つものではないと、そんな感慨を得るのだが、暴支膺懲の時代に儒者であるということはまたなにか違う意味合いが在りそうで、複雑。*3
しかし本当に、この本は、面白いぞ〜・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・