- 作者: 大瀧啓裕,H.P.ラヴクラフト
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2009/09
- メディア: 単行本
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冒頭の一節だけ異常に有名だったラヴクラフトによる恐怖小説評論。曰く――
人類の最も古く最も強烈な感情は恐怖であり、恐怖の中で最も古く最も強烈なものは未知なるものの恐怖である
この続きをちゃんと読めるのは非常に喜ばしいことなので、さて感想を挙げる、前に。上記の引用文にはもちろん続きがあって、ちと長いけれど、更に引用してみれば――
この二つの事実に異議を唱える心理学者はほとんどいないだろうし、彼らに認められた真実によって、文芸形態としての超自然の怪異譚が、あらゆる時代を通じて、まがいものではないことや価値あるものであることが立証されるにちがいない。これに鋭い矛先を向けてくるのが、ありふれた感情や外界の出来事に固執する、物質主義にどっぷり漬かった知的教養と、満悦する楽天主義の適当な段階に読者を引き上げるべく、感性に訴えようとする動機を非難して、教訓を授ける文学を求めてやまない、愚直なまでに退屈な理想主義である。しかしこうした反撥があるにもかかわらず、怪異譚は生き残り、発達し、驚くべき完成の高みに達している。深遠な根本原理を土台にしており、その魅力は必ずしも普遍的なものであるとは限らないが、必要とされる感受性をもつ者にとって、必然的に心を揺り動かす恒久的なものなのである。
…すごく、厨二病です(笑)ジャンルの人ってたまにこーなるよねー、ってのは今も昔も変わらないのだと安心する。「必要とされる感受性をもつ者」なんてゆんゆんすぐるw*1
とまあ、冗談はともかくとして、西欧の怪奇小説の発展を歴史的につづる内容は面白いものです。何人もの作家作品が採り上げられていて、そのうちの幾つかは高名伺い知るものだったり実際に読んだことがあるものだったりするのだが、
例によって「テレヴィ」こと大瀧啓裕大先生の訳文なので
「私の蔵書の中から該当する書影を収めたので、少しは目を休めることが出来るだろう」と珍しく親切な事を言ってる(!!)のにその作品が邦訳されているのか、現在入手可能なのかなんてことには一切触れずに「幽霊を見る者、カーナツキイ」とか書いちゃうのです。優しくない、優しくないよテレヴィ!「エマリイ・ブロンティ(発音を無視したローマ字読みの慣用表記ではエミリー・ブロンテ)」と書いてしまえる自信は羨ましいけれど、結局カタカナ表記にしちゃえば…その…別にいいじゃん、ディオラマで。でもまさかラヴクラフトの文章で「嵐が丘」なんてもんが採り上げられてるとは思いも寄らなかったし、楽しく読書できました。有り難う御座います大瀧先生、でもやっぱり「ラフカーディオゥ・ハーン」なんて書いてあると違和感バリバリです(´・ω・`)
全体的には創元から出てる「ラヴクラフト全集」を補完する目的があるようなので先生!版元が違います!!かのごとき矮小な人類社会的問題など考慮もせず、表題作以外に論文2本の他散文詩やいくつかの掌編(ウィアード・テイルズ関係者が総出で荒廃した未来の地球で地下ボクシング?を繰り広げる共作品「世紀の決闘」は爆笑モノ)などが収録されている。とりわけ5人の作家によるリレー小説「彼方からの挑戦」があって、実はこれ他でも読める*2のだけれど、それぞれの筆致文体の違いがよりいっそう際だって見られる*3点は流石の技だなぁと、感嘆。
でもテレヴィ先生は日常生活でも「カズマパラトゥン」*4とか言ってるのだろうか。それは正しいとか間違いとかいう以前にコミュニケーション不全を起こしそうだな。
余談。
「評論って必要だろうか」と人から言われたことがあって、その時は前に書いたようなこと*5を話して煙に巻いたのだけれど、やっぱり必要だろうと思います。止揚だけでなく、そもそも誰かが採り上げることによってはじめて第三者的に知ることが出来る事象だってあるわけで、野田昌弘がスペースオペラを紹介しなければ「宇宙英雄物語」は生まれなかったろうし「宇宙英雄」がなければ「ゼーガペイン」も無かったのだ!
問題点1:この考え方では「紹介」と「評論」の区別がついてません。
問題点2:「評論」を読んでいるのではなく単に「論者」のネームバリューにすがっているだけなんじゃないかしら???「エッセイを読む」んではなくて「エッセイストの書いた文章を見る」みたいな。