ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」

ペンギン・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイ

むかしむかし、ある人生の曲がり角で「問題が山積みでどうにも落ち着かないなあ」と悩んでいたことがある。ひょっとして、ものの見方を変えれば心の平穏を得られるのではないかと思った自分は「一見すると問題が山積みのようだが、それは勘違いで本当は問題はひとつしかない。それは『問題が山積み』ということである」などと考えてみた。残念ながら心の平穏は得られなかった。もっと別のことを考えればよかった。


おっぱいのこととか。


これまで森見氏の作風は大別して3つほどが挙げられたかと思う。「男くさい作風」と「怪談くさい作風」と「ポプラ社くさい作風」である。異論は認める。漸く読んだ「ペンギン・ハイウェイ」でまさかこれほど「少年くさい作風」を拝めるとは思わなかったのでそれにまず驚く。さすがの腕前、新しい風。それでも根底には一本芯の通った実に森見氏らしい筆筋が通っていて、実にこれまで親しんできた空気なのである。


おっぱいのこととか。


少年くさいようであり、ポプラ社くさいようであり、怪談くさい要素もあって最終的には実に実に男くさいところに落としこまれるイイハナシダナー。ただ、このお話には一点だけ重大な瑕疵がある。お姉さんに名前が無いのである。


いやまて少年、みなまで言うな。重大な役割を担うお姉さんに名前が無いのはむしろこの小説の機能のひとつであり、その無名性によってお姉さんはただのお姉さんではなくアノニマスお姉さんにまで昇華されるのであるが、あるがしかし。


それは小説内部でキャラクター達が生きている世界での話なので、読者サイドではお姉さんに勝手に名前を付けても良いと思う。


お姉さんの名前についてぼくはわかっているかもしれません。でもこれはぼくの大事な研究なんです。ぼくはこの研究の秘密をだれにも教えないのです。





さかもとまあやというなまえはどうでしょうか。