- 作者: 由良君美
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1985/10
- メディア: 新書
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この手のアンソロジーは(手を出せる範囲では)大体読んだかなあ、などと思っていたらUブックスにもあったのね。収録されているのはM.R.ジェイムズやレ・ファニュ、ジョン・コリアなど幻想小説界隈(何)では著名な大家のみならず、コナン・ドイルやH.G.ウェルズ、サキにキプリングなど「一般の」読者層にもっと有名な名前が並んでてなんていうか「文学」よりかなーと読み進めていたら編者の巻末解説が
<幻想文学>というジャンルが、現在のような隆盛をみることは、ほんの一世紀前までは多分考えられなかったことに相違ない。
多くの理由が考えられるが、なかでも、文学の本質がリアリティーの忠実な文字による反映であるという信仰が一時期を支配した間、この分野は文学の中でも最もあやふやな、わけのわからぬ分野として軽視されてきたことが常識的に上げられなければならない。
そんな書き出しから始まって近代文学のリアリズム重視と、翻って近代以前から連綿と続く「文学」の想像性・非現実的な意味合いについて語られていて、本書が刊行された1980年代当時には、幻想文学全般に現代のようなエンターテインメントとはちょっと違った性格があったのだろうなと、そこがいちばん面白かった(笑)。前に真クリの7巻にあった、宮壁定雄による
僕等の世代は、学園闘争に敗れ幻想文学へ逃避した世代だ、などと片付けられる事があるけれど、むしろ僕等の中では沖縄もラヴクラフトも同じ重みで存在していたと言っていい。総ては、自己の存在を見つめさせ、または存在の意味を認識させてくれるもの――そんな意味でラヴクラフトは僕等の「青春文学」だった。
そういう、ちょっと身構えた感じがあったんだろうなあこの時期。スプラッタ映画がブームになったり宮崎勤事件が起きたり、80年代っていろいろ大変だったのよ。
作品に戻ると、今回読んだ中ではミドルトンの「幽霊船」が面白かった。片田舎の田畑に突然幽霊船が降ってくるお話なんだけど、幽霊がひとを呪う訳でもなく…というのがホラーというかホラ話みたいなんだけど、こういう幽霊譚はイギリス的だなと思いますはい。
ウェルズの「ポロックとポロの首」、キプリングの「獣の印」はどちらもアフリカやインドを舞台に「原住民の呪い」を扱った内容で、帝国主義的というか人種差別的なのは間違いない。間違いないけれども、19世紀というのはまだこのような作品を発表して世に受け入れられることができる、そういう時代だったのだなーと、いや20世紀でも21世紀でもそんなのはゴロゴロしてるんだろうけど、まあそんなことを思ったわけです。
時代と共に作品の表現・内容に対する規範は変わるものだけれど、作品の表現や内容を弾圧したがる人間は、いつの時代にも変わらず存在するのだろうな