まあ、パンを焼く話です。まんまか。いや、パンだっちゅーねん。
サンフランシスコのハイテク大企業でプログラマ―として毎日激務で生きながら死にかけていたような主人公のロイスが、不思議なデリバリー美味しいパンと出会い、その種を譲られて自分で作り始める…。なんとなく「食の安全」とか「現代文明と伝統食文化の対決」などのそういうテーマになりそうな気がするじゃない?でも、そういうふうにはならないのが面白かった。毎日ゼリー食で栄養補給していたような状態から手作りパンを焼き始めて人間らしい生活を取り戻して、じゃあどうするかというとビジネスです。ビジネスにしても社畜生活と自立起業の対立項でなくて、会社の設備を使ってパン種を自動的にこねるようロボットアームをプログラムするとか、ロボットアームで卵を割れるようにするとか、テクノロジーの活用を主幹に据えるようなところがある。
不思議なパン種というのが「サワードウ」という種類のパンのあー、スターターなのだけれどこれは日本で言うところの「ぬか床」のように継ぎ足しで使われ続ける発酵食品で、音楽を聞かせると歌い出したり焼き上がるとパンの表面に「顔」が浮き出たりとかなりのファンタジックな存在だ。「マズグ」と呼ばれる秘密の(秘密なんだろうか?)集団に伝承される謎めいた食べ物。食品衛生法なにそれ美味しいのという気もするけれど、美味しけりゃそれでいいのだ。お話だしね。
ロイスが自分の焼いたパンをタネに起業しようと「ファーマーズ・マーケット」に足を運んで面接を受けるくだりはなんとなくファファード&グレイ・マウザーシリーズのランクマーに集う神々を思わせてクスクス笑うとこなのだけれど(そんなのはお前だけだ)、そこでは選に漏れてしかしまったく別の「マロウ・フェア」なる地下マーケット(ほんとうに地下にある)に招かれ…と、あらすじとしてはそんなところでしょうか。話はとんとん拍子に進み過ぎるきらいはあるしトラブルが起きても簡単に解決できてしまうなど、食べやすいパンのような気楽さがあってむしろそれがよいのでしょうね。変に説教臭かったり自然食品万歳だったらどうしようと思って、全然そうはならなかったのが良し。遺伝子組み換え食材や合成食糧みたいなものも出てくるし、そちら側のキャラクターは主人公と対峙はするのだけれど、対立ではないんだな。
巻末の解説(池澤春菜嬢だ!)に引用されている著者インタビューを見て「対立構造にはしない」というのがどうも作風らしい。「ペナンブラ氏の24時間書店」というのが出てるそうなので(https://www.amazon.co.jp/dp/4488226035)、そちらも読んでみようかしら。