ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

ベルンハルト・ケラーマン「トンネル」

 

トンネル

トンネル

 

 原書は1913年初版刊行の、ドイツの娯楽小説としては初の国際的ベストセラーとなった作品。だそうな。日本でも1930(昭和5)年に翻訳がなされていて、本書は漢字仮名使い等を現代風に改めた復刻版。そしていちばんの現代的要素は書影にある速水螺旋人画だと思われる(笑)

ドイツの作家が大西洋横断海底トンネル建設をテーマにした小説を書くにあたって、アメリカ人を主役に据えてアメリカ世界からの観点で描くというのが何か面白かった。第一次大戦以前の20世紀社会(それはほんのわずか、10数年間しか続かなかった)が持っていたエネルギーや展望の一端*1に触れるような思いがする。とはいえアジア人の扱いは低く日本人はフツーにJAP呼ばわりされるという20世紀ではあるのだけれど。

主人公マック・アランは天才的エンジニアであって、彼の開発した「アラニット鋼」なる新素材が建設機械に用いられるのだけれど、ガジェットSFの要素はそれぐらいで、本書では主に四半世紀にわたる巨大な土木建設プロジェクトとそれに翻弄される社会や人々の在り様が描かれている。稀有な計画に大規模な投資を募り、資本や人員が限りなく投入され、工事のために新たな街が生まれ、社会は熱狂の度合いを強める。現場の犠牲も何もかも呑みこんで邁進されるプロジェクトXには当然のように大事故が起き、ストーリーは一転して悲劇の様相を示す。

 

それでも、トンネルは掘られる。

 

トンネル工事を熱狂的に歓迎していた大衆が、一転してトンネル工事を熱狂的に攻撃し始める転換は面白かった。「大衆」の凶暴性とそこに根付く無名の正義感は「怒り」として表出され、社会に生け贄を求める。またトンネル・シンジケートの社内で重役が資金を大規模に横領しそこから(まるで1930年代を先取りするかのように)世界規模の恐慌が引き起こされる様も、何か示唆的ではある。いつの世も人は破滅を予想しているのだろうなあ。

 

それでも、トンネルは掘られる。

 

カバー画(というか函画なのだけれど)に描かれたキュートな登場人物たちのうち、最後まで無事だった者が2名しかいない*2というのは驚いた。妻子は暴動に巻き込まれて死亡し、親友は廃人となり、横領した重役は鉄道自殺する。その背後には無辜で無謬の(そして愚かで暴力的な)人々が普遍に存在する。うん、いい絵ですね。画角の中央にはいかにもな機関車が鎮座しているけれど、それらしいものが登場するのは最後の最後だというのはともかくとして、何か悪人、悪い人間というのは出てこなかったように思う。会社資金を横領するウルフ(これがいかにもシャイロック的なユダヤ人蔑視の匂いがするキャラなのだけれど)も悪人というよりは弱い人間として見えて、人の弱さがシステムの弱点となるのは、これはいつの世になってもかわらないことなのだろうなあ(じっと手を見る)

 

そしてついにトンネルは開通し、一番列車が海を渡る。ラストシーンはむしろ地味で簡潔で、たぶんそれがよい。

面白かったですよ。

 

あとこの作品の底本、昭和5年の翻訳本は時代が時代だけに一部の不純異性交遊の描写が伏字になっております。やあ20世紀初頭の人々は健全ですね(・ω・)ノ

 

本書は手塚治虫筒井康隆がお気に入りだったとかで、巻末には二人の綴った小文も収録されている。もしもそれがなかったらこのように復刊されてただろうかと、ふと考えるところでは有ります。

 

 

*1:あくまで一部の一端にしか過ぎないとは思うが

*2:もうひとり物語の最初から最後にまで関わる人物がいるけれど、そのキャラは描かれていない