「スタジオぬえ」という名前を知ったのは「プラレス3四郎」で成田シノグの本棚に何かそういうタイトルの本があって…などといきなり古い話をしてみる。スタジオぬえ創立50周年記念特集というのはいろいろと意義深いものではあるけれど、懐古趣味であることも否定できまい。誰もが知ってる様々なメカニクスやキャラクターが描かれた今月号の表紙画も、考えてみれば何もかも昭和の時代の作品だ。そのうえで「銀河辺境シリーズ」の垂直離着陸宇宙船のデザインなどは現代最先端のテクノロジーと実に調和するし、パワードスーツの軍事利用も絵空事ではなくなっているし、ガチャピンとムックはあいかわらずガチャピンとムックだ。俺は何を言っているんだ。
しかし50周年記念と言いつつ「スタジオぬえ年表」が1970年から1985年までのわずか15年で止まっているのはどういうことか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
松崎 結局誰一人として本質は変わらない。二十歳前後の若いアホな連中が、七十代のアホなおじいさんになっただけです(笑)
座談会にあるこのひと言が全てなのだろうなあと思う。オタクのロールモデルというか、これがアニメ方向に傾けばガイナックスになるのだろうし、ゲーム方向に進めばTYPE MOONになるというか、そういう夢、希望のパイオニアたる存在でもあります。今後も幅広く日本のSF界隈を牽引してほしいものですね。あと「スタジオぬえ メカニカルデザインブック」復刊してくださいおねがいします。
あとはいくつか興味あるところをちらほらと。
・上遠野浩平「無能人間は明日を待つ」
○○人間シリーズも遂に完結です。前回マンティコアvsユージンなんて夢の対決もやってたけれど、いろんなものが「ブギーポップは笑わない」の前日譚としてスタンバイされる、大体そういうことになった。これまた懐古趣味なことだなーと、特集と併せて強く感じられたものです。あとマンティコアが統和機構から脱走したのもエコーズが街をふらふらさまよってたのも、全部カレイドスコープが悪い。あいつとんだヘタレ。
内心では自分が戦闘機になりたい伊歩大尉萌え。つまりこういうことである。
その調子でどんどん続けてくださいいいぞもっとやれ。
ロボットSFというのは人間を外挿的に描き出すもので…という理屈が手に取るように解りやすい、ロボットSFの手本になりそうな印象を受ける。交通事故で片足を失ったダンサーがAI制御される義足を使い、さらにはロボットと組んでダンスを創作することで、人間の手続き(プロトコル・オブ・ヒューマニティ)とは何ぞや?を探求するような、そんなお話になるのでしょうね。しかし冒頭150枚の間で二度も交通事故が起こって、身体欠損やら脳死と延命処理中止やらと痛い(身体的に痛い)エピソードが続出するのでツラい(´・ω・`)
・池澤春菜「SFのSは、ステキのS」
おお連載第100回だ。(SFマガジンが発行されない)9月には日本SF作家クラブの会長任期が切れるので、今月の内に2年間の活動回顧ですね。就任当初はいわれない暴言を向けられることもあったけれど、いま振り返って見れば後任の人が大変じゃないかと心配するほどの大活躍でありました。お疲れ様でした。個人的にはSFカーニバルとさなコンに大変感謝しております。
・T.キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」
「ブラザー」「シスター」と名付けられた2体のAI、自律機械のきょうだいが父親から離れて(離されて)自立し、悪意持つ知性体「第3ドローン」にかどわかされ強制労働させられて、如何にしてその束縛から逃れて再び自由を得るか…というようなお話。ちょっと童話めいた雰囲気も感じるのは、著者紹介で魅力的なファンタジー作品の刊行が予告されているから、かな。十四歳の女の子がジンジャーブレッドクッキーをお供に大活躍する「パン焼き魔法のモーナ、街を救う」要チェックや!