10代の頃に読んで、いずれ読み直したいなーと思っていた作品を、SFマガジンがファッションSF特集やるというので読む。なおamazonが出してるのは大森望による新訳版だけど、今回読んだのは冬川亘訳の旧版。
元祖ファッションSF、ですねえ。人は見た目が9割というけれど、見た目を構成する大部分は実は衣服で、衣服が人を作るとはどういうことなのか、をSF的に描いたワイドスクリーンバロックか。冒頭から超音波を発する恐竜が生息している惑星とか、大気中に蠅が密集している惑星とかおよそワンダーなセンスの宇宙がバシバシ登場し、その「蠅の惑星」は導入部分のギャグだけで済ますのかと思いきや、中盤ストーリーが大きく変転する場所として再登場する。
服。やはりテーマは服で、その超音波恐竜の惑星に降りるべく着用される遮蔽スーツをはじめ、様々な種類の被服が登場します。その華やかな多様性に比べて人間は皆どこか醜悪に描かれているように見える。ある筋では有名な(どの筋だ)ヤクーサ・ボンズは作中唯一の服を着ない種族で、全裸宇宙サイボーグ中年みたいなもんだな。日本人なんだけどな。全長12フィートの、ほぼ小型の宇宙船のようなスペーススーツの中で、退化してウジ虫のようになった身体のまま一生を宇宙で過ごすソヴィア人とかイカす。電波で直接感情コミニュケーションする。
そんな宇宙でとりわけ優れた衣服を生産・輸出する「カエアン文明」の秘密を追い謎を解き明かす……というのがこのお話のキモなんですが、初読時頭を岩でブン殴られる様な衝撃を受けた箇所があしました。今回再読してみてなるほどここだったなあとなつかしく思い出す。さすがに初読時ほどの衝撃は受けなかったけど、活字が小さくてページが褐変した古書で読むのは大変目に辛くて、そこは衝撃を受けた(笑)
当時衝撃を受けた箇所は2つあって、ひとつはカエアンの様々な風変わりな衣装が箇条書き的に挙げられていく中で突然「スーツ」という我々の良く知る衣装が挙げられ、地球文明のエキゾチック感(何)が相対化されるところと
奇妙な知性、とは言えるかもしれない。一般的な意味では、とうてい知性とは言えない。だがしかし――知性なのだ。
ここだなあ、後者は今でも、ちょっとゾクゾクしますね。