
2024年に小説投稿サイト「カクヨム」内で行われた自主企画「ペンギンSFアンソロジー」が満を持しての書籍化です。総勢52名の書き手による「ペンギン」をテーマにした多種多彩な物語。海の底から宇宙の果てまで、ペンギンたちとの長い旅が始まる……。
販売サイトはこちらになります。
紙本ならではの仕掛け、遊び心満載のおまけ、WEB投稿時からブラッシュアップされた作品群。そして何より美しいカバーイラスト。是非是非手に取りお読みください。
以下短観を述べていきます。短観とはいえ作品数も多いのでだいぶボリュームありますから、いちおう畳んでおきますね。
淡島かりす「ペンギンの方舟」
地球を脱出した移民船団によって開拓されている惑星が舞台。人間以外の生き物を運ぶことはできず、ただ遺伝子情報を人間の中に保存することで存続が図られている。主人公のイーリスはペンギンの遺伝子情報を内包する女性で、且つ遺伝子情報の取り出しには反対する立場だ。生物の遺伝子情報を人間を使って運搬する「方舟」計画にはなんらかの瑕疵があり、その問題点を正すためにはイーリスに秘められた情報が必要だ、ということが示唆され、しかしイーリスは反発して当局の局員ジョシュアと共に逃亡を図る。如何にも物語の駆動を思わせて話は終わってしまうのだけれど、アンソロジー全体はここから開幕するんだなという、陸上競技のスタートピストルみたいな一発。「人のなかにペンギンがいる」も、トータルのテーマ性と共鳴するかのようです。おお、おお。
葉月氷菓「人鳥ゲームリプレイ」
全ての生命は海から生まれた。全宇宙規模の災厄を受けて滅亡した地球から脱出した宇宙船の中で繰り広げられる人狼ならぬ人鳥ゲーム。果たしてペンギンは誰か。ディスカッションを繰り広げた正体当ての先にあるのはペンギン、鳥類、いや生命全体への賛歌であって、旅の終わりに待つ再生と再現、再演の希望を原動力に船は進む。宇宙は海であり、全ての生命は宇宙の海で生まれる。
松田有記子「サザンライツの奇跡」
ペンギンの保護活動というのは実際の世界でも行われていることですが、ペンギン主観によるBLそしてピグマリオン・コンプレックスというのはやはりSFならでは。ややユーモラスな語り口で進行している物語の背後には人間の手による大規模な保護活動が進行し、更にその背後には破滅の足音が迫りくる。ディック的なシミュラクラに囲まれたペンギンの世界で、ではなぜ愛は無事育まれたのか?それは奇跡か、あるいは人為か。でも愛があれば、それで充分。
長月瓦礫「電脳ペンギンは青図に可愛いを描く」
南極大陸の地下に設置されたサイバースペース。そこで繰り広げられるVRゲーム。鳥をアバターとし様々なアトラクションを体験できる楽園のような場でも、犯罪は起こります。ヒロインのモモはレアデータであるジェンツーペンギンのアバターを纏って相棒のシロと共に潜入調査に赴くが……。
物語はほんのさわりで幕を閉じてしまいます。まだまだ深堀りできそうな設定と世界に期待をしつつ。
上原友里「ペンギンよあれが巴里の灯だ」
スタン・ハンセンという言葉があります。ブレーキの壊れたダンプカーのことです。違うぞ逆だ。本作は開始当初から結末まで常にアクセル踏みっぱなしで物語が加速する RUN, POWER RUN ! 心地よい疾走感を浴びせられる一本。駝鳥さんもといダッチョ・サンを求めてアフリカ大陸を縦断するイワトビペンギン、チャールズ。数多の強敵に出会ったり出会わなかったりした果てに、彼が目にしたものは!腹筋のブレーキも壊れる超展開に飲みものは遠く離しておくことをお勧めします。謎の感動巨編。
そしてあらためて読み返して思うに、妻であり母であるところのアンがいちばん物騒なひと……じゃない、ペンギンだ。
こちらの作品「朗読で聞きたい」との声がありました。講談調な文体なので、確かに音に出すのはいいかもなぁ。
九住「海が消えた日」
高次元に折り畳まれていく世界と、それを見ている「ぼく」。思弁的なストーリーの中で回顧される(あるいは展望される)ぼくのパートナー、フーとのディスカッション。
「波動のペンギンはゲヘッゲヘッって鳴く」という一節は大変印象に残り、海が消えた宇宙にペンギンの鳴き声だけが響く。寂しさがリフレインする。
上雲楽「人鳥」
「異常論文」というジャンルがあるけれど、こちらは仮想論説文というか、実際には存在しない概念(「疑制」という言葉が使われる)としてのペンギンの本質を問うもの。それは理想か希望か、実存か観念か。ペンギンとは何か。人とは何か。ペダンティックに紡がれる、別世界のペンギン観。
鳥辺野九「ペンギンマンニンゲンラン」
知性化されたペンギンは疾駆する、軽トラックに乗って。知性化されたペンギンは演説する、軽トラックの荷台の同志に。知性化されたペンギンたちは人間を走らせる、彼らの滅亡へ。エコロジカルに地球を滅ぼし、極寒の星はペンギンの楽園と化すのだ。恐竜の子孫が、ヒトに代わって再び地上を支配する時代が来るのだ。熱い野望を秘めて、軽トラックはクールに突っ走る。
人形使い「ペンギンは二足歩行者の夢を見るか」
且つて南極大陸から発生したカビによって赤道以北の北半球に追いやられた人類社会。半世紀を経てようやく回復しつつある文明の尖兵、南極調査員こそが本作でいう「ペンギン」である。氷雪に閉ざされ孤独な調査行を続ける彼らが見る幻影とは何か。二足歩行するのは何者か。ここでは、人と鳥の関係は入れ替わっている。おそらく。
ドルチェ「可愛いペンギンには旅をさせよ。そして舌を肥えさせよ」
夢とは欲望のことである。ペンギンがヒトのように暮らす社会では、ペンギンにもヒトのような欲があり、望みが生まれる。空を飛びたいと思う事、美味しいものを食べたいと思う事。希なる望みのことを希望という。翼を伸ばし足を動かせば届くところにあるもの、そういう希望を掴むためにふたりのペンギンは旅に出る。美味しいものを食べよう。いつかは空にも羽ばたこう。欲望とは夢のことである。
蒼井どんぐり「人鳥姫」
大洪水に襲われ大部分の陸地が海没した世界。ペンギンに育てられた少女は、長じて人の間で「人鳥姫」と謳われるダイバーとなる。わずかに残された陸地でコロニーを築いて存続する(それはまるでペンギンのよう)人々のために、文明の遺産をサルベージする業務に就いたユニカが本当に探し続けていたもの。それはペンギンたちを率いる女王のような大いなる存在。喪われた遠い記憶の中にぼんやりと映る影を追って潜り続ける日々は、ひとりの少女との出会いによって鮮明な焦点が生まれる。人と鳥と姫の関係は円舞のように入れ替わり、立ち代わり、そしてユニカには叶えるべき明確な目的と発見するべき明確な目標とが提示される。
palomino4th「ペンギン的思考」
駅のホームの立ち食い蕎麦屋のカウンターで交わされる、ふたりの人によるペンギンについての考察。ではペンギンは不在なのかと言えば、実はそうではない。この作品ではペンギンは演繹的(あるいは外挿的)に記述されるわけです。やがて会話の端々から、一方が人間(地球人)ではないことが仄めかされ、そして他方が、こちらは普通に人間でありながら、普通の人間(地球人)の内側には、普通にペンギンのような思考回路が結節されていることが暗示される。人もペンギンも、同じ地球をホームとする者同士ですから。
此木晶「吾輩はペンギンである。」
ペンギンは己のアイデンティティについて語る。なぜ語るかといえば、この作品の世界が極めて不安定な状況下にあるということが、読み進めるうちに明かされていく。そして語り手ではなくむしろ「語られ手」は何者であるのか?というのがひとつの焦点となり、結果この作品でなにが語られているのかと言えば、それは不在の人間を演繹的(あるいは外挿的)に記述することである。この不安定な世界の只中で、吾輩はペンギンである。本当に?
佐久ユウ「ペンギンのパン屋」
遂にペンギンがパンを焼く時代が来たのだ。おお、SF。だいぶ生活リズムがおかしな主人公、近隣の人々、鶏卵を使用しないパン。少しずつ込められた違和感が、現実のいまとは少し違った世界を描き出す。違った世界でも変わらないのは愛の在り様で、僕らの食卓からは鶏卵が消えることとなる。それが愛だから。
どくどく「【考察】かつてこの星にいた「ペンギン」なる生物についての考察」
地球文明に対する、異星人(人?)による対話形式の勘違いレポート。クスクス笑える小品ではあるけれど、大ボリュームアンソロジーの真ん中に位置すれば、これは肩のこらないインターミッションという意味もあろうかと思います。一理ある位置。
藍崎藍「人鳥たちの星」
1本のトンデモ科学論文から巻き起こる人間社会の揺らぎとパニック……のようでいて、実は人間により知性化された(させられた)ペンギンが、人類に対して認知戦を仕掛けている「静かな戦争もの」である。人間の敗色は濃厚、やがて地球はペンギンが支配することになるだろうとのビジョンを提示する。
新星緒「夢見るペンギンと夢見る人間たちのハネムーン」
知性を有し人語を解するペンギン、それは夢。でも本作に登場するペン太くんは実はロボットなのだ。然らば夢とは嘘なのか、と問われれば、答えは否。やはりそれは本物なのだ。二転三転する物語の結末で、人もペンギンも善を成し悪を挫く。ハッピーエンドは南極ハネムーン。本物の夢は本当に叶う。
八月休希「イワシが落ちる」
鳥人間コンテストというものがありますが、そもそも鳥が人間のような社会を構築している世界で、飛べない鳥が人力(いや鳥力だ)で飛行機を飛ばすコンテスト、それが本作の題材です。飛べる鳥も普通にいるからこそ、「飛べない」という事実も「飛びたい」という欲求も大きく重くなるもの。困難を乗り越えて飛び立った空で見たものは……。鳥が人間のような社会を構築していれば、そこには人間のような友情もあるのです。
久乙矢「大気圏流氷に暮らすナギサペンギンたちがかわいい理由」
理由なくペンギンはかわいい。しかしそこに理由があれば、ペンギンはもっとかわいい。かわいらしくなる。冒険を求め、歌を愛し、えっちらおっちら鎖を引き、大気上層部を漂う流氷の上で暮らすペンギンがかわいくない訳がない。地上からやってきた飛行士ペンギンによって世界の秘密と存在の不安定さを知らされてもなお、夢は消えずに在り続ける。かわいい。
なお本作では「スペースサメハンター」第5話の内容に迫る記述があります!!
桜雪「ペンギン男爵のいうことには。」
百合の間に挟まる男は〇ね。とよく言われます。しかし既に死んだ身の上なれば、百合の間にクチバシ突っ込んでも許されましょう。たとえそれがフワフワでモコモコのぬいぐるみに宿った魂だとしても。しかし思う。もしかしてこれイマジナリーフレンドに過ぎないのでは?すべてはヒロインの見ている「自分の見たいもの」の姿なのでは??
地球は守られている!宇宙から優しい慈愛に満ちた手が差し伸べられていたのだ。天候気象が激変し(おそらくは)日本も巨大台風によって壊滅している世界。ニュージーランドで気象介入の任に就く、人間とペンギン。高い知能を持ち、人語まで解するペンギンのジーラは、遥か太古の昔に惑星シュランから地球にやってきた異星生命だった。迫りくる超巨大台風を前に果敢に飛び出すジーラ。それに応じて海中から舞い上がるペンギンの群れ。彼らの体内から放出されるマイクロマシン。SFは絵だねぇ……。
子鹿白介「NHPドキュメンタリー「スペースペンギン ~光らない流れ星~」」
隣の太陽系第九惑星「・Θ・星」に暮らすスペースペンギンたちの生態を記録したモキュメンタリー調の作品。氷結の大地に築かれたマスドライバーに落雷のエネルギーを宿して、ペンギン達は宇宙に飛び出し、自在に泳ぐ。しかしそこにはただ自由だけがあるわけではなく、天敵もいれば環境自体が厳しいものでもある。愛と死、生と悲と様々なドラマを描いて、今日もスペースペンギンは宇宙を行くのだ。あるいはこっちの宇宙にも?
あぼがど「さよならスイートピー」
自作に付き感想というのは控えますが、書籍化にあたって複数の視点が交錯する段落それぞれのフォントを変え、インデントも付けて語り手の違いを差別化するようにしていただきました。かつてWEB小説の主流が個人サイトの時代はこういうこともやりやすかったのですが、最近の投稿サイトメインだとなかなかこういう遊びは出来ませんからね。そしてアンソロジー全体でなぜこの位置に配置されたかを考えると、なるほどなあと、思わされるところです。
萬朶維基「コンスタンティノープルのドンペンコーデ」
これはなかなかの力技で、まずペンギンが出てこない。出てくるのはドンキのペンギンTシャツを纏った地雷系ギャルとマジの方のドン・キホーテだ。謎の力で「ドン・キホーテ」の作品内に転送された少女るなてゃ あっこれ名前に「狂」が入ってんだいま気づいた。ともかくるなてゃはマジモンのドン・キホーテことアロンソ・キハーノ翁と共にさらなる謎の力で「ティラン・ロ・ブラン」なる物語の中の世界に転送され、そこでコンスタンティノープルの皇女カルマジーナと出会い意気投合しユニフォーム交換(違わない)する。ドン・キホーテは大体気絶している。そこで世界は修復され元の名古屋に帰ってくるるなてゃ。やっぱペンギン出てこねーなあおい。とか思うじゃん。すると謎の力によって我々は「真のペンギン」を目にすることとなり、謎の感動によって涙がハラハラと零れ落ちるのだ。
古賀裕人「『クレイジー小西』」
こいつはクレイジーだ。ペンギンは出てくる。出てくるけど語りの中心に居るのは『クレイジー小西』なる魔王のような小学生を垣間見た視点の、その在り様であっていやいやいやいやそんな小学生おるかい!とか思ったらどうもやっぱりいないようでありじゃあ語りの中心にあるのは騙りなのかといえばそうではなく、第一ペンギンはちゃんと実在するし愛は不滅だし人はより良く生きていきたいものだしでもやっぱりクレイジーだこいつは。
黒石廉「希望と僕」
世界の終わりに希望はあるのか。家族から捨てられた者同士の奇妙なバディが、優しい終末世界を旅する。当然のようにそれは人間とペンギンのペアではあるけれど、それ以外の動物も本作ではみな優しい。「世界の終わり」ではなく「人類文明の終わり」だから、だろうか?優しさはただの憐憫なのか、そういうことでもないのか……。ともあれ希望は人の傍らにあり、クローズドな世界でも旅は続く。その先にはまだは未来がある。
筒井透子「世界の終わりとペンギンたち」
世界の終わりに優しさはあるのか。絶望は無いまま余生を生きる人たちの、世界の終りの七日間。優しく閉じていく世界から、しかし脱け出せる道を入手できる僕は如何に行動すべきか。謎めいた少女に導かれた先で見つけた優しさ、それもまた幸せというものでしょう。何も知らないペンギンのように何も知らないあの人も、幸せなんです。たぶん。
坂水「コウテイペンギンのヒナはまだ海を知らない」
上巻の終わりに配置された、情感の重い(ハードな)SF。孤独な父親と娘(たち)。変革される社会と、何処とも知れない宇宙の彼岸とを繋ぐペンギンの声。世界は終わらないし、ヒナたちはこの先も進んでいく――
何処に向かって?
もちろん、ペンギンSFアンソロジー(下巻)に向けてです。
上巻ここまで、小計28本。実際に読んでみて思うにやはり「順番」の面白さ、ですかね。WEBに投稿された際には個々の作品は(当然)独立した存在で位置づけも意味合いもなかったものが、こうしてアンソロジーとして組まれて(編まれて)「順番」が生まれると、そこには「役割」が発生する。単独で読んだときに受けた「未完」な感覚が、次の作品へのパッシングのように思えたり、同じような傾向の作品を並べて読めば、傾向が同じでも明確に差分が見えてくる。物語は開幕し、ペンギンは大地を駆け宇宙に羽ばたき、そうしていったん世界は閉じる。おお、おたる水族館のペンギンたちよりちゃんと並んでいるぞ!という感覚……です。本の読み方というのは人それぞれではあるのですが、出来れば初読は順番通りに見ていくと、面白いんじゃないかなーと思います。
とはいえ自分も真っ先に自作を読んだのではあるが(´・ω・`)
次は下巻、上巻は「ペンギンとSF」を主軸にした作品を集めたものですが、対する下巻は「ペンギンと人」が主軸の作品集。これから読んで行きます待て次回。
下巻感想はこちらの記事になります。