単行本刊行以来あまりに話題沸騰となった一本。いささか天邪鬼なところがあってここまで話題になると却って読むのを控える質なんだけど(だから「ハイペリオン」も「三体」も読んでないのです)、こちらは映画化を前に文庫になったのでようやく読んでみました。以下ネタバレありです
いやあ、おもしろかったよ!
冒頭、記憶を無くして謎の密室で死体とともにいる開幕から、ラストシーンの「教室」に至るまで、すごく練り上げられた構成を感じます。「勢いで一気に読んでしまった」という声も聞くけれど、ゆっくり手探りのように「未知」のなかを進んで行きました。
未知、だな。宇宙というのはスター・トレックのように未知にあふれ、それを解明すること自体が既に冒険なのだ。という感覚。最新の作品ながら、どこか懐かしい感覚に通じるものがある。実際巻末解説に載せられたジョージ・R・R・マーティンによる評なんかそんな感じですし。
主人公のグレースが段々と記憶を回復し状況がつかめてくる中で、適時挿入される過去パートが広い視点を与えてくれるプロット。太陽のエネルギーを奪う宇宙生物という存在にはどこか野尻抱介「太陽の簒奪者」を思い出したし、地球の滅亡を防ぐために訪れた別の星系でやはり同様の悩みを抱えた異星人と出会う、という作品も本邦にあった気がする(ちょっと作者もタイトルも忘れてしまったけど)。「古い」のではなく、「変わらない」いまでも通じるテーマとストーリーということなんでしょうね、なんとなれば、広く繁栄する生き物というのは、出来るだけ多くの資源を有効に活用できる存在であるからだ。それは多分、不変で普遍なことがらですね。
タウ・セチ星系で出会った異星人ロッキーがまず「固体のキセノン」なんてとんでもないシロモノを持ち出してくるので驚かされるけれど、それが人類よりも優れた存在ではないというのはよかった。人類もエリディアンも、それぞれ秀でたところ、後れを取るところがあり、なぜそうなったかというのは生まれ育った惑星環境の差によるところが大きい。お互いの長所で相手を補い、時には自らの身を挺して、遠く離れた2つの種族の生存のために奮闘するふたりぼっちのバディ。いい話だ。
やはり科学、でしょう。謎を解くのは科学であり、それは我々人類の有する資産である。未知の存在に対して既存の科学が立ち向かい、これを解明していく良さ、ハードSFの良さを存分に感じられるのは「宇宙のランデヴー」に通じるものがある。
それと同じくらい「情」に訴えるのはキャラクターの良さで、相棒となるロッキーの魅力はそりゃ山ほど語られているでしょうけれど、過去パートの地球で語れるたくさんの人々もまた、魅力的です。テーマ・プロット・キャラクター、どれをとっても魅力たっぷりで成程大ヒットも頷ける。
それで、アメリカのエンタメフィクションでよく言われる「ストーリーのアーク」みたいなものを、あまり感じなかったのよね。もちろんお話には上げ下げあるんだけれど、そこが露骨ではない、ということかな?
さて、映画はこれどうなるんだ???

