ディックの長編でだいぶメジャーなやつだけど未読だったものを、ツイッターでのやりとりがきっかけで読む。タイトルは昔からよく知ってて、且つ旧版のカバーイラストがだいぶんインパクトがあって、それで「なんだか知らんが警官がぼろぼろ泣く話なんだろう」とか思っていたのよね。そのカバーイラストというのはamazonでもこっちに出てるか。
読了してあらためて思うに、これ警官の絵じゃねえ(´・ω・`) 自らの存在感を社会的に失っていくジェイスン・タヴァナーを表したものなのでしょう。記憶喪失でもないのに今でいうインフルエンサーなタヴァナーは、目を覚ますと社会に自らの存在を忘れられている自分を発見する。アイデンティティを回復させんがためにタヴァナーが訪ねるのはモトカノだの元鞘だの行きずりの陶芸家だのと言った女性ばかりで、透明な主人公が様々な女性遍歴をするというのはなんだか「ときめきメモリアル」みたいだ(みたいだではない)
その一方で、なぜか地球上からすべての個人データを消した謎の男(と誤解される)タヴァナーを追い詰める、ロサンゼルス警察のバックマン本部長というキャラクターが中盤からストーリーを牽引していき、結局はこの人がぼろぼろ泣く話なのであった。間違ってなかった。なお本文でも言及されているけれど「流れよわが涙」というのはこの曲です。
それで、えーと、なんだ、割と脱線も多くこのパート必要?と感じるところも多いんだけれど、タヴァナー自身は「スィックス」というある種のミュータントなんだけれど、バックマンがタヴァナーを尋問するにあたってこっちは「セブン」という上位能力者だとハッタリをかまして優位に立つシーンはかなり良かった。「スィックス」たちは極秘の研究結果として生まれ密かに社会に潜伏しているので、自分たちの後にも同様の秘密研究が行われているとカマをかけるとあっさり信じる、というような理屈。考えてみるとこれ「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」に出てくる偽警察署シーンみたいでもあるなあ。問題はタヴァナーがある種のミュータントだっていうその設定、ホントに必要?なレベルであんまり話に関わってこないことで……
むしろ重要なのはバックマンの妹アリスが重度のヤク中で高身長ボンデージファッションで兄とは近親相姦して子供までいるというだいぶやべーガールで、初めて彼女と出会ったタヴァナーが
鞭はどこに持ってるんだ?
などとビビり散らかすのはちょっと面白かった(*´艸`*)
彼女の自宅(すなわちバックマン宅である)に誘われてさあこっからそっち方面にアクセル全開か!などと思わせておいてただ古切手のコレクションを見せられるというのはなんかこうその、
なんだよ(´・ω・`)
なんだかんだでアリスは急死しタヴァナーの社会的記憶は回復されバックマンはぼろぼろ泣くのであった。おしまい。
ではなくて、
第三部のラスト、エピローグとなる第四部の直前に唐突に挿入されるかのように描かれる、バックマンが降り立ったガソリンスタンドで、見知らぬ黒人男性とばったり出会い二、三の会話をする場面がなにか物悲しく寂しく、それでいて妙に心暖まる感覚で、こういうものはアメリカ文学なんだろうなと思ったのよね。例えればこういう感覚だな。
それ文学じゃねぇ(´・ω・`)
