ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

大森望 編「逃げゆく物語の話」

ゼロ年代日本SFベスト集成<F>」とのことで<S>の方もある*1んだけどそっちについてふれてないのはなんでなんだぜ?と、いうあたりのアンソロジーです。優れた書き手による優れた作品がいくつもある。古橋秀之の「ある日、爆弾が落ちてきて」は何度読み返してもよいなあ。自分的に「ライトノベル」の代表例として提示したいほどの何かか。ライトノベルとはなんだろう、それは学園と爆弾です。被害者意識に立たなければ、原理主義の軛を外れて自由な題材として扱えるわけだ、あれとかそれとか(現代の日本社会はこのことについて非常に原理主義的なので、詳しくはふれません。大したことじゃないんだけどね)

冲方丁の「マルドゥック・スクランブル“−200”」は以前「ゼロ年代SF傑作選」*2で読んだ「“104”」よりはストレートに楽しめた気がする。不思議なものでこのシリーズ2つしかない短編はどちらも読んだけど、何冊あるんだかよくわからない長編のほうはひとつも読んでいないのである。ヘンなの。

石黒達昌冬至草」は美しい外観をもつ新種の植物を題材にしながら、記述される物語は実にグロテスクでその鮮烈さがよかった。過去の研究資料を遡る、一種伝奇的な構成がいいんだろうなあこれは。

作品だけでなく巻末に収録されている編者によるデータベースも労作で、2000年から2010年のいわゆるゼロ年代に於けるSF小説とその界隈の諸状況が簡潔にまとめられています。5年10年先に重みを増しそうな概況ってもう3年経ってるけどな(笑)

いろんな言葉、ジャンルやレーベル、キャッチコピーなどが様々に飛び交う10年だったけれど、それはみんな作品の飾りであってそのものではない。そこのところを押さえておかないと5年10年先に誤解を招くことはあるかもしれません。

九○年代半ばに書いてそのまま放置していたのをたまたま依頼のあったテーマに合うので久しぶりにいじってみよか、と出してきたこの小説が、当然ながらいわゆるゼロ年代的なあれこれをまったく含んでいるはずもないからで、(中略)だからそんな区切りは自分としてはどうでもよくて、でもあえて区切るんなら、住んでたアパートが地震で壊れてまだ妻ではなかった今の妻のところに転がり込んでやっかいになっていた頃に書いたものだから「ゼロ年代」というより「地震後・結婚前」という区切りになるのですがそれでどうでしょうか、などと今更言われても困るか。

北野勇作「第二箱舟荘の悲劇」著者のことばより。このアンソロジーでいちばん面白かったのは間違いなくこの一節です(w