(現状では既に完売しています)
全16本の作品からなるアンソロジー。Web上で公募があって、縁あって自作「セリとナズナとふたりの宇宙船」を掲載していただきました。自分の作品が刊行されるって「リトル・リトル・クトゥルー」以来なので実に感激なのであります。現代日本の多種多様なWeb文芸の一断面として、多彩な作品と多才な書き手の魅力を十分堪能できる一冊です。
六塔掌月「ブラインド・パイロット」
いわゆるグランドホテルものの作品で、タナトスを抱えた女性が人生の最後と決めた巨大ホテルの中で出会う、同性パートナーや友人との物語。個人の人生、人生観を支配する牢獄のような価値観を打破することが、ホテルを出ていくことと重なるラスト。作中作としていくつか登場する映画や小説が不条理でよい(なかにはカフカの「城」という実在作もある)。作品タイトルとなっている「ブラインド・パイロット」もそのひとつで、その不条理な映画の内容を解釈し考証していくことで主人公が救われるというのは面白い構造でした。
「ブラインド・パイロット」という映画は架空の存在だけれど、実在する同名の楽曲が着想となったそうです。
あぼがど「セリとナズナとふたりの宇宙船」
元々は今年の「さなコン2024」フリー部門に投稿したもの。去年の「スペースサメハンター」が連続シリーズの最終回だけ書いたのとは対照的に、連続シリーズの第1話だけ書いてみました。幸いにも好評をいただき、今回の掲載につながります。なおpixivには番外編が2つと、「小説家になろう」では第2話及び3つめの番外編まで掲載されています。ご参考まで。
新星緒「都を追われて、ひとり旅(ただしネコもいます)」
剣と魔法の異世界FT。冤罪を着せられて左遷される元近衛騎士マテウスと、なぜか荷物に紛れ込んだネコ一匹との癒し系都落ちロードノヴェル。ネコの正体が実は……!というのは思いのほか早めに明かされてその先に物語が二転三転スイングするのがよかったです。ビアンカ可愛い(ネコも可愛い)。そして失意の旅路は終わり、胸躍る冒険の扉がハッピーにオープンワールドする結末。通りすがりの猟師がいい味でヨシ!デウス・エクス・マキナって別に神様じゃなくてもいいんだよなと気づきを得る。
柏沢蒼海「Jouney Home」
近未来、人類は侵略異星人イントルーダーとの戦いを続けている。主人公ジョセフは可変戦闘機ATFのパイロットで、この設定なら宇宙戦闘機かな?と思いきや、戦闘は大気圏内で行われている。そこに生じた違和感が後に回収されたのはちょっと驚きました。冒頭、出撃シーンの会話からでも主人公が実はクローンだ、というのは多少推察できたんですが、初出撃で撃墜された後、機体のAIが独立したアンドロイドとして行動を共にする過程がユニークで面白いところでした。帰還行の最中に盛んにジョセフの精子を要求して、この設定なら女性パイロットはどうなるんだ?というやはり出撃シーンから導き出される疑問が、最後に回収される。結末は再び空に舞い上がるラスト、生きるってどういうことなんだろうなと、戦争をテーマにした作品はそういうことを考えさせるものですね。
伊和千晶「藤の花を見たら思い出しておくれ」
これは硬質な幻想文学でした。ほの暗い川の流れに乗るように、文字は重いのに文章はすいすいと読めていく。話は螺旋の様に廻り繋がり折り返し、元居た場所へと戻ってくる。そして最後の一行一節が、刃の様に突き刺さる。文体の舵が取れている作品だなあと、唸ります。共感よりも世界観に溶け込むような小説。人様の作品に対して迂闊に「○○に似ている」などと言うのは宜しくないことなのですが、作者様のツイートを拝見したらご自身でそう述べていたのでこれは書いてしまっても大丈夫でしょう。山尾悠子のような作風を感じます。
甘衣君彩「もう一度、ファンタジーを。」
フィクション(虚構)には効用というものが確かにあって、ある種のファンタジー小説にはセラピーの効用があります。医療でも逃避でもなく、メンタルを治癒するもの。異世界を心底嫌っているヒロイン心美の、「心の底」にあった本当のこととはなんだったのか。たぶん、多くの人はそういうものを持っていると思います、少なくとも自分は持っている。それを鏡で見せてくれたような、そういう作品です。登場する異世界のキャラクターたちがどれも魅力的なのですが、個人的には魔法生物三兄弟の三男、「ワカンネ」最高(笑)
かんな「僕は明日トマトを買いに行く」
近未来、内戦の続くどこかの国。月と地球の代理戦争という側面もある紛争地で、義足の主人公ジーンは戦場清掃業務を行っている。アームドと呼ばれる二足歩行兵器やドローンの乱舞する戦場で、アルコールに耽溺し無為に日々を送る中にも彼の周囲には人間性の回復を感じさせる人々や、行為(そして好意)が芽吹いて行く。自分と同様に義足でキャンプ地にトマトを売りに来る少年ドゥインと交流を持つそのさなかにも、変わらず戦争の手は人々の命を掴み取っていく。いくらトマトをもらっても、なかなか食べられないジーンの取ったある行動が、作品の結末でタイトル回収される。上手い。人々の行動や想いが戦況の推移とは一切関係がないところ、いくら戦争に脅かされてもひとは戦争とは無関係に人間性を回復するのだ、というところが刺さりました。ところで、トマトを栽培した経験がある方ならご存知でしょうがトマトという野菜はあまり水をやらずに、ある程度地味が貧しい方が美味しく育つのですよね。そんなことを考えます。
渋皮ヨロイ「ほしのもと」
トイレで尻の穴から地球が出てくるという衝撃的な開幕にアースホール!とか言ってる場合ではない。ハンズで売ってる原材料「ほしのもと」を、密かにコーヒーに混ぜて飲まされていた僕は次々に太陽系の諸惑星を産み落とすのであった!しかし一部が期待するかもしれないアッー!!というふうにはならず、卓上サイズの小さな太陽系の周辺で生まれるのは、僕と彼女の日常の生業に生まれる小さな不安や小さな希望。惑う星と書いて惑星ですが、公転の軸をしっかり押さえて、これからもシステムは周っていくのでしょう。そしてその視線の先の卓上には、小さな太陽系が並んでいるのです。ケツから出てきたヤツだけど。
武石勝義「真字名解記(まじなほどき)」
和風異世界ファンタジー……というか、舞台こそ和風な異世界だけれど、その設定を使って語られる物語はファンタジーというよりも、どこにも、そして誰にでもある10代の反抗と蹉跌、そこからの転落と再生の物語です。その際にキーワードとなるのが漢字とカナで綴られる名前というところに、実に和風というか日本テイストを感じます。実家を放逐されたタケアキラは山中の小屋で出会ったサグロと奇妙な師弟関係を得るのですが、そこで2人が出した結論がいわば「迷信の打破」という、(変なことを書きますが)福沢諭吉が幼少期に神社だか祠だかを開けて中の御神体を見たらただの石ころで、それに色々罰当たりなことをしてみてもなんの障りも祟りも無かった。みたいなことを思い出させて、それも和風なことだなあと、思いました。タイトルは「真字名」と「呪い」を掛けているんだなとは、読了後ひといきついてから気づいたことで。
漸く道半分ぐらい過ぎたので雑感など。作品ごと、作者ごとにいろんな方向性があって、そこが面白いですね。山道に例えればそれぞれの場所から見える景色が全然違っていたり、街道に例えれば宿場ごとにまるで違う街並みだったり。統一ではなく多様性がテーマか。冒頭に掲げられた「ブラインド・パイロット」の巨大なホテルの中にいろんな部屋・空間がある、というのは本書のコンセプトを提示するものだとは、編者スペースで伺いました。
松田有記子「黄金の高野豆腐」
「ひいいっ、これはSF小説じゃないのか」
「タイトルを見ろ、これはバカSFというジャンルだ。(後略)」
すばらしい一節。高野豆腐が頭にぶつかったことにより、鎌倉時代の僧侶「明恵上人」の人格を同居させることになった主人公が天竺に行って悟りを得ようとして思い直して福祉団体を作ったり爆破されたりインドに行ったり悪党に騙されたり浅草で須弥山を登ったり。ドタバタ喜劇のフリをして語られるのは(おそらく)仏道そのものなのでしょう。悲しいかな自分はあまりにもその道への知見に欠けるところがありどこまで内容を甘受出来たのかはよく分からない。「悟るぞ!」と意気込んでいるうちは得られないのが悟りであるとか、色即是空空即是色とか、その程度はかろうじてわかる。その程度しかわからない。痛いなあ、是我痛みか(それは仏道じゃねえ)
海猫「北緯17度の幽霊」
ベトナム戦争中、北ベトナム上空で撃墜された米軍ファントムパイロットの主人公が降りた先は太平洋戦争で日本が勝利し、アメリカと日本の冷戦構造が続いている異世界だった……という、異世界転生と架空戦記の合わせ技のような一本。こちらの世界でもやはり大国の代理戦争としてのベトナム戦争が起きていて、謎の人物布施少佐の手引きで南側に脱出した主人公は、やはりファントムのパイロットとして復帰します。この際に後席の乗員となるのが南ベトナム空軍兵なところがなるほど異世界だなーと。クメール・ルージュ、カンボジアへの越境爆撃などのキーワードを見せつつ、主人公の意外なアイデンティティと布施少佐の出自が重なり、壮絶なラストに繋がるもの。最後の1行が実に格好いい。あと、これは結構重要なことだと思うのですが、2つの世界の人々双方がクメール・ルージュがどういう組織だったのか気がついていない。作者と、そして読者は現在の目から過去を見ることができるけれど、同時代の人間の当事者意識では、まだそこまで見通せていないように思います。それが非常にスリリングに感じました。そしてこれは本編内容とは全く関係な…くもないんですが、1960年代まで存続した大日本帝国が東南アジアにどんな戦闘機や装甲車を投入してどんな戦闘を行っているのか、海軍兵力はあるのか?日米どちらが優越するのか?わたし、気になります!(気にするな)
平沼辰流「Lebensunwertes Leben」
これはなかなか難物だ。おそらく独語のタイトルをGoogle翻訳してみたら「生きる価値のない人生」と出る。主人公(女性と思われる)は何らかの治療行為として「LL」なるデバイスを頭部に埋め込んでいて、それの発するパルスが「自分の死体が見える」症状を緩和する、ようである。ようであるというのは全編1人称の語りで記されたスタイルで、果たして主人公の見ている「死に損なわなかった自分」の姿が病理なのか幻覚・幻視の類なのか、はたまたすべて詐称なのか、判然としないところがある。ミステリーで言うところの「信頼できない語り手問題」を彷彿とさせました。ストーリーよりは記述に耽溺するタイプの作品と思うけれど、タナトスに満ちた韜晦は読者を選ぶかもです。「虫は機械だ」「自然とは、死体で覆われているものだ」など、グイグイ刺さる人には刺さります。おれとか。しかし人間の身体というのも新陳代謝を繰り返す「テセウスの船」なんだよなあ、などとふと。
そしてタイトル、ナチスドイツの安楽死政策フレーズなのだそうでなるほどフムン……
鳥辺野九「オモイ」
目が覚めると見知らぬ密室に監禁されていた主人公フルヤ(おじさん)は、目の前に現れた人間にここが異世界(平行世界)であること、自分が平行世界から特殊能力を持つ者として転送実験の対象となったことを告げられる。能力など身に覚えのないまま、白衣姿の若い女コヒノギと手錠で繋がれ(御褒美だ!)、見慣れた自分の世界とさほど変わらない平行世界に逃走劇を繰り広げる。やがて明らかになるこちらの世界の真実と、フルヤの有する特殊能力。ふたりはこの世界を破壊し神となるのであった御褒美じゃん!「異世界」と聞くとファンタジーのようだけれど、「平行世界」と言われればSFであります。そしてこの世界の持つ特有の構造はSFでもなくファンタジーでもなく……。転送されたフルヤがこの世界に同期していない様子、コヒノギと触れ合うと同期が始まり、そのことが能力を発動させる。その仕組みが解き明かされていく「流れ」が面白かったですね。そしてもちろん、さほど変わらないようでいて実はまるで異なる様相を見せる世界の在り様も◎
秋待諷月「透明な伝書鳩」
ふぅ……(賢者タイム)。BMI(ブレインマシーンインターフェイス)技術の急速な発達により、ほぼほぼすべての人が脳内から直接メッセージをやりとりできるようになった未来。ビジネスシーンも当然のように席巻され当然のようにその波に乗れない人も現れる。主人公の木上翼くんは生来のコミュ障で、メッセージ一通送るにも迷い・ためらい・足踏みが生じて社内の立場も危うい。しかし幼なじみの結羽ちゃんは、そんな彼をしっかり支えるいい子なのよ~。翼くんのために練習相手となることを申し出るも、なかなか想いを送り出せない翼くん。そこに突然スマホが着信して……。もしも心の中の想いを直接相手に届けられたら、果たしてそれはどんな世の中になるんだろう?このお話はそういう疑問を軽々と飛び越えてハッピーエンドに落着します。クライマックス、全力で街を走り抜けてちょっと無様でもある翼くんの心の中の想いが実は……というのは、やっぱりほっこりしますねえ。「翼」「結羽」そして通話アプリ名称が「伝書鳩」と、なんだか旧ツイッターを思ってしんみりしちゃう(笑)そしてこの作品、著者の個人作品集では巻末に置かれているのですが、そっちで読んだらまた違う感慨を持ったかも知れません。確固たるハッピーエンド、フィナーレっぽいお話ではあります。
Yoh クモハ「月経樹」
なんてものを書くんだ。この先「ローリエ」って言葉に接するたびに違うものを想像しちゃうじゃないか。というぐらいに濃厚な男女の、いや違うな。「男の目で見る女の姿」の物語だ。このストーリートは一方通行です。全編フェティッシュで実に紳士顔になります。インディ500で言うところの ”Gentlemen, Start Your Engines.” ってやつで野郎ども、手前のエンジンをふかせ(←下品)。都市と脚、樹と血、ストリートとストーリーは濃厚で混沌で、擬古文というか疑翻訳調の語りも、状況を謎めいたものに変える。語りの勢いとスピードを楽しむようではある。極めて個人的に、人生に一度だけ行った海外旅行先がNYなんだけど、そこで感じた煩雑さや(自分にとっての)非現実的な空気がよみがえるような感覚を得ました。やあ面白かったですよこれ。変な街なんだよあそこ。銀座と新宿と渋谷が一緒になったようなタイムズスクエアの中心には軍の徴募事務所があって、そういう通りを一歩曲がったらセサミストリートみたないな光景に繋がってるの。
青桐大紀「いつかあの空を越えて」
人類がヴェルダと呼ばれる異星種との戦いを続けて20年以上過ぎた世界。人類の社会は地上に点々と残された拠点都市に依存するものとなり、戦闘の主体は成層圏から出撃する人工天使が遂行している。主人公砂城鐸治は元パイロットで現在はとある拠点都市で防空戦闘員を務める人物。ある晩、上空で行われた戦闘で地上に墜落した人工天使を救助した彼は、真宙と名付けられた彼女の手当てと回復の面倒を見ることとなり……という導入。実は以前にWEBで既読の作品でした。が、今回本書の掉尾を飾るポジションで読んでみると明らかに違う。もっと強く、大きな感情を抱きます。地上に墜落した真宙は、実は人間が未だ守るべき存在であるか否かを測る目的を持っていて、その疑問に是であるという答を得るのが鐸治が「絵を描く」というクリエーションを行っていたから、なんですね。創造性こそ人である。という主題が、アンソロジー全体のアンカーとして大きく働いているように思います。
「(略)生命体が生きていくために必要なこと以外のなにかをして、生きていく中で続けていくこと。それは、人間にしかできないことだから。愛すべき究極の無駄だよ」
この台詞がすごく突き刺さる訳です。そうかおれはまだにんげんだったのか、と。
最後のバトンを持ってゴールを越えていくに相応しい一本だと感じました。あと真宙かわいい。どんどんご飯を食べなさい(謎目線)。そして一人で八基の砲台を制御する「排天砲」のギミックに、旧日本軍二式多連二十粍高射機関砲*1の面影を見た!(そんなのはお前だけだ)
というわけで読了です。濃密な読書時間をありがとうございました。地に落ちようとする女性を救う話で始まり、地に落ちてきた少女を天に返す話で終わる。いい全体構造だと思います。そして思う。様々な作品があったけれど、全てに共通して言えるのは、
「愛」
である。マジでマジで。人は愛に生きる動物なので、物語に人を登場させればそこには必ず愛が、あるいはその不在が、描かれることになるのでしょう。
マジでマジで。
ところで、ちょうど本書が手元に届いたタイミングで、久しぶりに文芸フリマに行ったんですね。初のビッグサイト開催で前とはいろいろ違ってたんですがまあ人が多い。世の中には書きたい人・読みたい人がまだまだ数多くいるもので、こういう形の出版がそういう人たちを結び付けて行ったら、良いことでしょうね。
*1:二式多連二十粍高射機関砲は厳密に言うと1人で全部の砲を撃つわけではないんですがまあいいじゃないですかそこんところは流せよ(早口)