ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

川村拓「事情を知らない転校生がグイグイくる。」⑱

引き続き修学旅行編。高田くんと西村さんが出来上がり過ぎにも程があるので(とはいえ意識の目覚めはあったりするけど)、今回スポットが当たるのは北川くんと笠原さんか、この二人当初は西村さんをいじめるキャラだったけど、いつのまにかみんな仲良しになっていて、それは何故かと言ったら「太陽にあたっていたから」なんでしょうね。特に笠原さんの、誰がどう見たって玉砕に向けた決意の結果は次巻か。この辺「巻き」が入って来てるのがありありわかる。水口くんどうすんのかな。わかりやすいジャッカル*1になるのは勘弁してほしーなー。

 

*1:島本和彦「一番星のジャッカル」参照

アガサ・クリスティー「終わりなき夜に生まれつく」

先に書いてしまうと合わなかった。原著は1967年刊行ということでかなり晩年の作品。さすがに絶頂期の輝きは、やはり失われてしまうのでしょうね。ミステリーと言っても冒険サスペンスの類で「七つの時計殺人事件」に近いもの感じるところはある。

abogard.hatenadiary.jp

そしてセブンダイヤルズ同様、ヒロインのエリーは可愛い。「かわいそうなお金持ちのお嬢さん」がかわいそうな話というか、クリスティーの良さって「情」に訴えるところが大きいから、この結末はどうもなあ。

 

松田未来・※Kome「夜光雲のサリッサ 12」

最終決戦、継続中です。マムとカウシカの直接対決、ダンクと忍による天宮への上陸と「人間」に焦点が絞られていくとメカニック(この場合は戦闘機ですが)が脇に回ってしまうのもまあガンダムっぽいなあ(笑)

今回巻頭描き下ろしカラーページと巻末の脚注がありません、まさに戦時という感もある。

 

石ノ森章太郎 原作「サイボーグ009トリビュート」

サイボーグ009誕生60周年記念の一環として刊行された9人の作家による9本の小説作品を収めた短編集。この本の話を初めて聞いた時に、なぜか頭に浮かんだのは「アイアンマン」だった。トニー・スタークはもともとヴェトナム戦争時に囚われてアイアンマンとなるのだけれど、「アイアンマン」が時代に合わせてリブートされるたびに「湾岸戦争時」「アフガニスタン戦争時」と、その時々に都合よくアメリカが戦っている戦争に合わせて設定も変わっていく。対してゼロゼロナンバーサイボーグたちは、やはり冷戦構造の落とし子としてほぼ同時期に生み出され、そして何度リブートしても基本設定は変わらない。さすがに平成版では9人のメンバーに「年代差」が生じたけれど、度々若返るトニー・スタークと違って基本、彼らは歳をとらない。それはなんでなんだろぅなあということを考えた。思うに、「紅の豚」が」借景したことで有名なロアルド・ダールの「彼らは歳をとらない」ってあるけれど、あの昇天していく飛行機のように、既に人としての生からは離脱した存在なのかも知れないなあとか、そんなことを考えました。血の大河を涙で渡り、死の荒野を夢見て走った9人の戦鬼は、むかしもいまもこのさきも、平和のために戦い続ける、そういう概念的な存在だ。そんなことをぼんやり考えながら読んでたら、普通に歳をとった彼らが出てくる話とかあったんだけどさ(笑)

ともあれ、充実した内容、豊潤な読書時間を過ごすことが出来ました。以下掲載順に見ていきます。

 

辻真先「平和の戦士は死なず」

1968年放送、第1期TVシリーズ最終話を、シナリオを手掛けた本人によるノベライズ化。この時期の映像作品は、映画の方は見た覚えがあるんだけどTVシリーズは未履修でした。なんでもこんな話だったらしい。

http://www.style.fm/log/05_column/oguro20.html (記事の後半で触れています)

パブリック共和国、ウラー連邦という、いかにも子ども向けマンガみたいな架空の国家による冷戦構造はそのままに、ストーリーはだいぶ違う。革命で王制を打破したミラヴィアと「太平洋沿岸諸国の中で最低のならず者の国と定評のある」ラジリアが軍事同盟を結び、パブリック共和国の喉元に位置するミラヴィアにラジリアから核兵器が持ち込まれる危険が…という、キューバ危機みたいな話になっています。豪華客船を舞台にラジリアの独裁者ヤクンとミラヴィアの王女ミア姫との政略結婚を防ぐべく009以下メンバーの奮闘から、背後に潜む元「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」メンバーであるバランタイン教授の人類抹消計画が姿を現し……というもの。人工衛星の中には既に死亡したバランタイン教授と、残されたAIが残留思念のように行動する人形がいる、と。このバランタイン教授の理念というのが「人間を滅ぼせば戦争は無くなる」というものなので、妙に共感してしまった(笑)なお、第1期TVシリーズからのノベライズ化なのでこの話の009は白い戦闘服に赤いマフラーを巻いている。誰にスポットが当たるという話でもないけれど、強いて言えば009ジョーか。豪華客船での潜入調査では007が(絵画に化けるなど)活躍していて、最後に009を救出するのは003に誘導された002。

 

・斜線堂有紀「アプローズ、アプローズ」

地下帝国ヨミ編の後日談ということで002と共に大気圏に突入した009が、九死に一生を得てでは自分は何故、どのように助かったのか?という謎を解く…ような、ちょっとミステリタッチの1編。とはいえ、謎解きよりもむしろ009がメンバーそれぞれと様々なディスカッションを重ねて行きながら、自分たちのレゾンデートルを再確認するような話になっている気がする。009の目覚めやその他いくつものシーンで「拍手」が鳴り、それは007グレート・ブリテンによるものだったりもする。

 

高野史緒「孤独な耳」

チェルネンコ時代のソ連レニングラードのバレエ・コンクールで「新・黒い幽霊団(ネオ・ブラックゴースト)」による要人暗殺計画を阻止する001以下のメンバー。語り手は001イワンだけれど、バレエが主題であり003フランソワーズが大いに活躍する。舞踏シーンの書き込みはかなり濃いもの(と、思われる。読んだ側に知識が欠落しているので…)。003の付き人として001、009、007が偽の家族を演じるのだけれど、なぜか007は「マダム・グレース・ブリテン」なる女性に化ける(笑)「新・黒い幽霊団(ネオ・ブラックゴースト)」に暗殺計画の駒として利用されるバレリーナは貧しい黒人の少女で、絵的な対比が映える。

 

・酉島伝法「八つの部屋」

002ジェットによる視点で描かれた、ゼロゼロナンバーサイボーグ開発時代の話。当初は無様で不格好なものだった噴進ユニットが、だんだんと洗練され高性能なものに進歩していく様は最初の映画の「ロボコップ」みたいな感じがする。001から008までの各部屋では、それぞれ異なるコンセプト・性能のサイボーグが複数名開発されていて、002の部屋ではジェット以外にも候補者がいる(それはかつての少年ギャング団の仲間だったりする)。開発が進んでいく過程で事故で死ぬ者もあり、組織の指導に疑問を感じたり、謎の赤ん坊の声が聴こえてきたりで、いろいろあって8人のメンバーは組織に反旗を翻し009とG博士(鼻のデカい人)を仲間に加える。いやなにが驚いたって酉島伝法がこんなに読みやすく分かりやすく、ストレートなヒーロー小説を書いたのかってことです(笑)しかしジェット・リンクは正統派にヒーローっぽいキャラなんだよねやっぱりね。

 

池澤春菜「アルテミス・コーリング」

日本を舞台に、ある少女が出会ったバレリーナの「おねーさん」との不思議な交流を描くもの。「好子(このこ)」というオリジナルのキャラクターを視点人物に設定したのは、9本の中でもこれだけですね。一般人の視点というのはつまりマンガの読者であったりアニメの視聴者であったりする「我々の」視点でもあって、そこで見える景色もありましょう。そしてバレリーナの「おねーさん」だからそれは当然003フランソワーズなんだけれど、バレエの演目よりもそこから離れて夜の公園での、なんの枷もなんの縛りもない自由で奔放な「舞」が白眉か。そして好子の正体は果たして何者なのか、という疑問がストーリーの中で立ち上がってくるのですが、丁寧に読んでいれば予定調和の中に落とし込まれていくものです。そしてラストは003の力強い一人称で纏められ、フェミニズム作品としての強さを全編に感じるところ。

 

長谷敏司「wash」

収録作の中ではかなりボリュームのあるもの。サイボーグ戦士が改造を受けてから60年というからまさに21世紀の今が舞台なのだけれど、技術的には現実のそれよりも進歩している感を受ける。004ハインリヒを視点に、アップデートを繰り返していくサイボーグと、より進歩していく一般社会の(特に軍事面での)技術との関係がひとつのテーマか。なお各メンバーは外観こそさほど変わらないとはいえ精神的には研鑽を増し、そしてギルモア教授は緩やかに死を迎えつつある、そういう時代のストーリー。故郷のドイツで007と再会した004は謎のサイボーグの襲撃を受け、それを撃退し入手した情報から彼らのアジトと思しき廃棄された発電所に潜入する(その過程で004と007、おっさんふたりのゆるいキャンプがあったりする)。最終的には002、003、005、008も合流し派手なクライマックスと、ゆるいキャンプで〆る。

これはかなり凝っていて、面白かった。ゼロゼロナンバーたちがドローンを駆使(003がAWACSじみたパワーを発揮する)する一方で、旧「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」の旧式なサイボーグがスマホを用いた雑なアップデートで酷使されていたり、敵の真の目的が007の変身能力であり、かつ「007のようなサイボーグは他に存在しない」点が強調されていて、このあたりで妙に007人気が高いことに気がつく(笑)まーたしかに「自由自在に変身する能力」というのはマンガの敵にしては弱いから「サイボーグ009」全編を通じて007みたいな能力を持つ敵キャラって確かに居なかった気がする。

 

斧田小夜「食火炭」

006張々湖が007と共に日本で中華料理屋を経営していた時期の話。タイトルは仏典に由来するもの。006の前に現れた胡散臭い中年男性は、且つて彼の故郷の村が飢饉に襲われていた時期の、近所の子供だった。過去の記憶が揺り動かされ、このメンバー随一のユーモラスな人物が、実はもっとも深い悲嘆にくれた過去があることを再認識させる。20世紀の中国で飢饉と言えば文革か。004とベルリンの壁のように、006もまたある歴史的な出来事と、特定の場所と時代との明確なつながりを持っているキャラなのですね。ストーリーは過去の逆恨みで襲い掛かってきた男をむしろ諭して、ともに店で働くところに落ち着く小品なんだけど、やはり007が良い味を出しているのだ。

 

藤井太洋「海はどこにでも」

個人的マイベストはこれ。008ピュンマは水中戦闘用サイボーグで、案外水中戦ってやり難いから活躍することも少ないキャラです。それを宇宙に連れて行って、火星航行用宇宙船の障壁として用いられる「水」中で、はたまた宇宙空間での船外作業に、008の優れた身体能力と心肺機能を活用する面白さ。またその宇宙船「サンタマリア 二世号」は大勢のクルーによる選挙によって、役職なり方針なりを決定するシステムを執っているのだけれど、そこで引き起こされる分断と強権をいかに防ぐか、というストーリーを東京都知事選の当日に読んだので、偶々非常に重くなった(笑)時代としては人類が既に火星に先験調査隊を送り込んでいる時期で、008もある種老成したところのある人物として描かれる(白髪は変装だそうで、肉体的には歳をとっていないのかな)。宇宙船の保安要員に陽気な人物がいて名をジョージ・バーンズ略してGBってまたお前か。本作でも007は名バイプレイヤーとして活躍するのでありました。宇宙船の乗員は部門ごとに色分けされたスーツを着ていてスター・トレック風。008は赤(レッド)グループなんだけど、そのことはクライマックスの連絡シャトルにほぼ生身で有線通信ケーブルを届けに行くシーンでグッと効いてくる。以下引用。

 赤いウエットスーツの肩にかけた黄色いケーブルがマフラーのように見えて、かつての防護服を思い出させる。

オタクはこういうのに弱いんです(´・ω・`)

なおこのお話の世界ではサイボーグ技術も普及していて、いずれは宇宙開発にそういったポストヒューマンが求められるのではないか、という視座を提示する。

 

円城塔「クーブラ・カーン」

この、最後に置かれた1本が時代設定としてはもっとも先のものになるのかな?地球規模の環境改変計画「ザナドゥ計画」が進行し成層圏プラットフォーム「デンドロビウム」、水中都市「デンドロカカリヤ」などうふふってなるネーミングの施設が稼働して、人類の生活環境が拡大化された世界。高度サイボーグ開発技術も遥かに進んでいるけれど、その製造は条約で規制されている時代。ゼロゼロナンバーサイボーグたちはいわば超国家的な機関として、テロ活動の防止や紛争の調停などを行っている設定。ギルモア教授がやけに元気だなと思ったら本人は既に死去していて、「システム・ギルモア」なる仮想人格が監督指示・各メンバーのメンテナンスなどをやっている。ストーリーはとあるテロ事件をきっかけに、密かに高度サイボーグの大量生産を画策している何者かの存在が露見し、事件を追っていくと黒幕はシステム・ギルモアそのものだった…という展開。システム・ギルモアは単一の存在ではなくネットワーク上に多数存在していて、そのうちのひとつ海中都市デンドロカカリヤのシステム・ギルモアをネットワークから切り離して対話を試み……というのは士郎正宗作品みたいな感覚を受ける。システム・ギルモアが高度サイボーグ生産を企てたのは、滅びゆく人類に代わってサイボーグをポスト・ヒューマンに据えようとする計画だった……

この作品は各メンバーを名字で呼ぶスタイルで記述されていて、「島村」「リンク」「アルヌール」あたりはまあいいのだが「ウイスキー」には尋常ではない違和感を受ける。とはいえ、それはラストで009と003がお互いを「フランソワーズ」「ジョー」と呼ぶための布石で、このふたりで締めるというのはやっぱり良いなあ。そしてここでも007はスパイ小説じみた活躍をするのだった。

 

以上9本、時代という縦の幅も多彩なキャラによる横の幅も、どちらも広く取られて豊かなお話のバリエーションが広がっています。それはやはり、原典の持つポテンシャルが高いことに由来するのでしょう。人類が常に平和を望むのは、常にそれが脅かされているからであり、今後も「サイボーグ009」の物語は様々な媒体によって語り継がれていくのでしょうね。

009をセンターとして捉えれば、9人のメンバーそれぞれに、センターよりあるいはサイドよりの立ち位置もあろうかと思います。案外009を主役に据えた話は少なく、そして主役を務める話はひとつもないのに007の姿が目立つ。なんか、なんかわかるんだよなそれ。ただ、現在ただいまいちばん触れ辛いのは005ジェロニモ・ジュニアなんだろうなあとも、思うところで。

「温泉シャーク」見てきました

公式。 いい感じにサメ映画でした。サメは自由だね。正味70分と短い作品だけど、中だるみもなく終始変なテンションで進んで、それが良かった。料金2000円とパンフレットは2200円もしたけど、これも御祝儀だな、うむ。クラファンやっておいてよかった。エンドロールに名前があってアガるわアガるわ。

www.youtube.com

主題歌が格好良すぎて映画のイメージとはなんか違うなあとか思ってたんだけど、これに合わせてクラファンリスト流れるとアガるわアガるわ。

いかにもなミニチュア、いかにもなCG。決して大作志向ではない、こういうちょっと変な作品を作れて、見ることができる。それが日本の映画界というものを、ちょっと豊かにしてくれるんじゃないかなーと思うんですよね。サメ映画ってそういうものだ。

井上森人監督の短編作品「温泉防衛バスダイバー」と一部キャスト・舞台が共通していて、「前作」なのかと思ったら、企画自体は温泉シャークの方が先にあって、一時期企画がストップしていた時期に急遽製作されたのが「バスダイバー」なのだとパンフにありました。もしこれから「温泉シャーク」見ようと思ってる人がいたら、先に「バスダイバー」見とくといいかもしんない。前市長の件は、これ見てないと意味わかんなかったろうな。わからなくても、まあなんとかなるだろうけどな。

 

www.youtube.com

割と人がバタバタ死ぬ映画で、暑海警察署の捜査員たちがバタバタ死んでいくのはビビった。その反面前から言われてる通り犬は死なない。でもその犬(イチくんという御名前だそうな)は撮影期間中に亡くなっていたのね……。そういう話を知れたのはパンフ買ったおかげだな。まとまった資料本が出るかはわからんしなあ。

キャラで言うと巨勢博士のヤバかわいいところと、最初から最後までずっと謎なまんまのマッチョが良かった。銛(ハープーン)片手に海中で温泉シャークと対峙する姿は、これを宇宙でやれば……

 

まあね、サメ映画のアバンギャルドさを映画だけに独占させるのはもったいないので、サメ小説でもサメマンガでもどんどんやればいいと思うよ!ニンジャと戦ったりしてさあ。

ケン・リュウ「紙の動物園」

「古典SFにはリリカルな話がよくあるけれど、最近の人はそういうの書くんだろうか?」みたいなことをツイートしたらこちらを勧められて、読む。面白かった。

もののあはれ」だけは以前読んでましたね。これも結構毛色の変わった作品ではあるんだろうなあ。

abogard.hatenadiary.jp

本書刊行当時大絶賛されていたのはよく覚えています。テッド・チャンと並んでいまの日本国内で中国SFというものが受容されるようになった、その嚆矢的な存在なんでしょうね。それとこれは表題作に関してですが、故・山本弘氏が「SF要素がまったく無い」と批判していたことも記憶しています。なんだかんだで未読だったので、実際に読んでみて収穫でありました。表題作「紙の動物園」は確かにいい話で、日本人受けするのもわかります。果たしてこれがSFなのか?という問いかけもまた、自然なものでしょう。しかし本作で「文字」によってなにがしかの感情を想起させられるという展開は、なんとなーく彼の古典名作「中継ステーション」を彷彿とさせたので、その感覚に於いてSFであると認めるものであります。でも中南米系の作家がこういう話かいたら「マジックリアリズム」のラベルを貼られると思う。結局は売り方次第か(´・ω・`)

収録作でかなり衝撃を受けたのは「文字占い師」で、これもまた文字(漢字)が大きなテーマになっています。中国人、中国系アメリカ人というアイデンティティを強く牽引するものとしてそれらは機能しているんだけれど、思うに、ちょっと嫌な言い方をすると、それらを都合よく「アジア人の」ものへとスライドさせて受容しているんだろうなあ日本の読者は。自分も含めてね。

解説にも日本文化の影響を受けていることは記されているけれど、前記「もののあはれ」や「波」など宇宙を舞台にした作品には、星野之宣みたいな雰囲気を感じたりします。それは紛うことなきSFである。その一方で幻想的な作品も、主流文学のような作品もありでこの一冊だけでも多才の片鱗を知ることができるでしょう。

中でも一番のお気に入りは「良い狩りを」で、妖怪退治人見習いの少年と妖狐の少女との人外恋愛のような導入から、清朝末期の妖怪や魔法が西欧文明と科学に駆逐されていく展開に見せかけて話は一転スチームパンク。現実とはまるで異なる発展を見せる香港の只中で辿り着いた先はなんとまあサイボーグ美女によるトランスフォーマービーストウォーズである。真剣にスゴいな。

日本SF作家クラブ 編「AIとSF」

「ポストコロナのSF」「2084年のSF」につづくアンソロジー第3巻。テーマはAI。

abogard.hatenadiary.jp

abogard.hatenadiary.jp

刊行からしばらく手を出していなかったのは、「2084年のSF」の時ほど丁寧に読めないだろうなと危惧していたのと、やっぱりボリュームのあるアンソロジーって合う・合わないの差が激しいだろうなというそっちの危惧もあったりで。実際読んだらどちらもその通りだったのだけれど、印象に残った作品についてブルースカイにメモっていた感想を転載。

 

・柞刈湯葉「Forget me, bot
今風の「言壺」だなーと強烈に思う。神林長平ワープロの登場で日本語が変化する様をSFにしたように、チャットAIの登場で情報が変化する様を、VTuberと炎上(の火消し)でSFにしている。こういうテーマを会話文だけで進めていく巧さと、一体何が真実だったのかを最後の最後でひっくり返していくキレの良さ。

・人間六度「AIになったさやか」
死後の人間を複製したようなAIはまるで幽霊のようだ、というのはゼーガペインでもやってたなあと。いま実際にそういう技術は(例えどれほど胡散臭い物であっても)実用化されつつあるし、こういうテーマは書き継がれるかもしれませんね。でもなんで主人公くんはこんなにモテモテなの?お話だからなの??

・品田遊「ゴッド・ブレス・ユー」
こちらも死者の人格をAIで蘇らせるタイプの話で、しかしこちらは実体をもつドールの中に宿らせるピグマリオン的なストーリー。ラストはなかなか衝撃的で、ある意味ではこの先も「呪われたまま」主人公は生きていくのだろうなあと思われる。しかし12年間アレしていてよく金があったなあとか思っちゃうのは……

・安野貴博「シークレット・プロンプト」
都知事選に立候補した人だ。「短い頁数の中で展開が二転三転する」と前書きにもある通り、なかなかストーリーをかいつまんで述べるのが難しいんだけれど「2084年のSF」にあってもいいようなAIによる監視社会が舞台で、そこでモラルを規定されながらも自らの性的嗜好を隠して生きる中学生(たち)を主人公に据えたストーリー。連続誘拐事件の中に隠された真実と、真実を知ってなお社会の中で戦い抜くことを選ぶ結末は、ちょっといいな。秘密の呪文「ウィーウェレ・ミーリターレエスト」は、かなりいいな。そんでこれ、出典はセネカなのね。『倫理書簡集』かー。

津久井五月「友愛決定境界(フラターナル・ディシジョン・バウンダリ)」
不法移民等で治安の悪化した近未来の日本(東京近郊)を舞台に、武装警備会社の1チームで戦闘補助ゴーグルが示すIFF(敵味方識別)の結果と内心に生じる謎のギャップがテーマ。犯罪の現場でAIは確かに目標を敵と表示しているのに、なぜか当人は親近感を感じてトリガーを引けない。割とあっさりネタは割れて、戦闘補助ゴーグルのAIが行う睡眠学習プログラムにバグが仕込まれ、人間の感情が操作されていたと判明する。チーム内の友情も団結もAIによって植え付けられていたものだと知ったメンバーは犯罪現場となった街を再訪し、そこで移民たちと同じ食事をとる。
これもうちょっと書き込んだら面白い話になりそうなのに、そこで終わりなの?というちょっと残念感がある。とはいえAIよりは移民との共生の方がテーマとしては重くなりそうで、あんまりそこに踏み込んでも仕方ないのか。

・野崎まど「智慧練糸」
こ れ は 酷 い (褒めています)
仏師をテーマにした話があるとは聞いていて、なるほどこれか。三十三間堂に仏像を奉納する話のどこにAI要素が…と思ったら、急に画像生成AI大喜利が始まってそのまま突っ走って行ってしまった。これで楽しめるのも「いま・ここ」の現在なんだろうなあ。10年20年後にはどう評価されるんだろうこれ?

・松崎有理「人類はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」
AIによるシンギュラリティを防ぐために、人類の方を阿呆にします。という豪快な解決。しかし阿呆になった人類も長い長い時間の果てでシンギュラリティを迎え、そして再びAIによるシンギュラリティを防ぐために、再び人類を阿呆に…
なんか手塚治虫というか「火の鳥」みたいな無限ループを感じる。阿呆エンジンだ。

菅浩江「覚悟の一句」
ロボットはヒトの映し絵である。ということをSFはずっと昔からやっていて、AIもまたひとの写し絵だ。会話劇、対話形式によって描き出されていく「AIらしさ」は実は「人間らしさ」を演繹というかいや外挿かな?するものであって、そこに森鷗外作品を挿入することで俄然話は緊迫感を増す。最後に明かされる鮮やかな真実には、目を見張るものがありました。

・竹田人造「月下組討仏師」
仏師ネタ2本目。打って変わってこちらはストレートなBL(ブッシラブ)。あらゆるものに仏性AIが組み込まれた世界観には「天駆せよ法勝寺」を思い出したり、仏像が兵器として運用されている様は「ブラックロッド」シリーズの重機動大仏を想起する。とはいえこの話のキモはそういうところではなく、「不在の仏性」を問うところにあるのかな。なぜ仏像とAIなのか、なんとなく見えてくるものはあります。

・十三不塔「チェインギャング」
リンちゃんかわいい^^
だけではなくて、「伝奇小説みたいな未来世界」は何か魅力的だ。モノがヒトを支配する世界というのもいい(漢字が出ないので固有名称が書けないが)。これもっと膨らませて長編が読みたいな。そしていろんなモノに支配されてコロコロ口調が変わるリンちゃんがたいへんかわ楽しいので、アニメ化の際には「今林原」こと種崎敦美さんでお願いします。

野尻抱介「セルたんクライシス」
つまり、こういうことなんだよな。ひとがAIに支配されるとして、それがディストピアとは限らない。だから、ヒトの傍らに在ってヒトではないものに知性を与えようとするなら、それが仏像であることはむしろ当然なのかもしれない。別に本作には一切仏像出てこないけど(笑)
ヴァチカンがAIの倫理規制を訴えているというのは、放置していればいずれ「AIイエス・キリスト」始めるヤツが出るからなんだろうなあってね。

飛浩隆「作麼生の鑿(そもさんののみ)」
仏師もの3本目。本作ではAIが仏師となりて大樹から仏を削り出そうと…しない。ヒトとAIの対話による何か。なんだけれどそれがなにかは正直読解できなかった。

円城塔土人形と動死体 If You were Golem, I must be a Zombie」
異世界ファンタジーだ!最後にこれを持ってくるのは編集の技か。これはかなり面白かったんだけど、たぶん「表層しか見えてない」気がする。なんにせよAIをテーマにしたSF小説を書けといわれて異世界ファンタジーを出してくる、それだけでも十分面白い。

巻末に置かれたエッセイ、鳥海不二夫「この文章はAIが書いたものではありません」にて「強いAI」「弱いAI」という概念を知る。機械学習人工知能と呼んでいいのかは、前からずっとモヤモヤしているんだよなー。

 

全体的に前巻よりは中堅・ベテラン勢の割合が多かったように思う。それと作品が面白かったかどうかはまた別なんだけど、リアリティラインの取り方とか社会性とか、難しい要素も多いのでしょうね。