公式。 東京では上野の森美術館で7月22日まで開催中です。英語表記すると”DINOSAUR DREAMS Imagination and Creation of the Lost World” なんだそうでともかく、
続きを読む大森望・編「NOVA 2019年秋号」
ツイッターでサメサメ言ってたら本書に収録されている田中啓文の「宇宙サメ戦争」を教示いただいて、読む。かなりの濃厚なパロディで偉い人は好き勝手出来ていいなあと思う反面、この芸風をずっと貫いて偉い人になったんだから、それは決して平坦な道でも無かったろうなぁと思いを馳せる。他の収録作では高山羽根子の「あざらしが丘」だけは既読で、あとは初読。谷山浩子の「夢見」があって、谷山浩子の小説を読むのもずいぶん久しぶりなことです。むかし「アパートの中に観覧車が入ってるミステリー」というのを読んだ記憶があるなあ。文筆活動も長い人だけど、当方あまり縁が無かった。個人的にはアマサワトキオの「赤羽二十四時」が抜群に良い。コンビニとカウボーイとマッドマックス的な、なんだろうなあ。ともかく疾走感のある文章です。草野原々「いつでも、どこでも、永遠に」はうん、いつもの原々先生ですね。藤井太洋「破れたリンカーンの肖像」は地味な立ち上がりから後半一転して派手な展開を(観念的な派手さを備えた展開を)するのが良かった。等々。
空木春宵「感応グラン=ギニョル」
エロいものに触れたときにただエロいエロいと言っているとコイツの脳味噌はエロスだらけかと思われそうなので、エロいものに触れたときは「火力!」と叫ぶことにしました。上坂すみれさんファンの同志が「毛深い」って言うようなものです(´・ω・`)ノ
その上で、先日SFカーニバルでの大サイン会にて購入した本書をじっくりねぶるように読んで、漸く読了いたしました。
火力!!!!!
以前に「地獄を縫い取る」は『2020年のSF』で読んでいてその時もずいぶんインパクトを受けたんだけど、
アンソロジーではなく、短編集のなかの1本として読めばインパクトの形は違ってくる。これらの作品はすべて「私が私になる話」、アイデンティティを獲得する人の話だった。だから「地獄を縫い取る」も「AIやVRが現実の人間社会や人間の認識を侵食していくような話」ではなくて「私がAIやVRの領域に侵襲して行く話」なのでしょう、たぶん。
そこで語られる要素は加虐と被虐、「痛み」や「呪い」と言ったワードが多用されるけど、どちらも決して「趣味」ではなくてなんでしょうねうーむ「イズム」ではあるのだろうけれど。自我を獲得する手段として様々な傷や病や人体改造が刻まれていく。モラルとかインモラルとかではない妖艶なグロテスク、そういうものかな。
火力ですねえ、火力ですよ。
そして、物語の途中でそれまでの前提を覆されるというか物の見方を一変させる仕掛けが施されてる作品が多くて気持ちよく驚かされる。閉鎖環境で女学生をゾンビに変えていく過程が詳述される「徒花物語」で、開発しているのは実はゾンビではなく「哲学的ゾンビ」なのだと明かされたときは、我ながらかなり歪んだ顔で笑っていたと思う。そういう良さがある。この本にはある。人が不本意な病の結果として変貌していく世界で、自らを人為的に変えて行こうとする「メタモルフォシスの龍」、戯画的な大正世界でフリークスの少女たちが奇態な芝居を繰り広げる「感応グラン=ギニョル」、その続編とも言える世界で美醜の在り方を問う「Rampo Sicks」。すべての物語に共通しているのは、「我は、我である」とでも言うような極めて強いアイデンティティの主張だ。痛みも、呪いも、美しさも、そしてなにより醜さも、
わたしだけのもの。
そしてこれSFカーニバルの大サイン会で入手したので、著者自らの解題となる「収録作にまつわる思ひ出」が特典でついてきてラッキー(^^v みんなも行こう、SFカーニバル。
それでね、自分のひとつ前に並んでた可愛い女の子が、空木先生に本書の感想をそれはそれは楽しそうに伝えていたのね。その時はまだ本書を読んでいなかったからなんか楽しそうだなーぐらいに見てたんだけど、
いまになって冷静に考えたらあれ、火力じゃね(/ω\) ?
「少年と犬」見てきました。
公式。原作はハーラン・エリスン「世界の中心で愛を叫んだけもの」の末尾を飾る傑作で、表題作よりこっちが好きという人も多いと思われる。
1975年に映画になってたんですねえ。日本未公開だったんだとかで全然知らんかった。マイアミバイスで有名なドン・ジョンソンがまだ20代の頃の作品で、ストーリーは概ね原作に忠実です。核戦争後の世界、少年と彼の犬、地下世界から来た少女、愛、そして食べ物。ただ、
恐ろしく低予算なので
なんていうかカルトムービー臭さが全編に色濃く。原作では廃墟の都市に巣食う不良少年の群れと孤独のソロの対比でしたが、映画ではほぼほぼ砂漠で金の無いマッドマックス(マッドマックス以前の作品なんですが)みたいなことになっています。地底都市トピーカもただ片田舎の街を夜間撮影しただけなので、地底なのに普通に芝生はあるし木々は緑に生い茂っている。
そこがよいのだ( ˘ω˘ )
また、<スクリーマー>という怪物が出てくるんですが、出てこないんです。出てくるのに出てこない、何を言ってるんだかわからねーと思うが別に間違ったことは言っていない。斯様にストーリーのあらすじは原作同様でも、そこで描写される映像の細部はだいぶ異なります。ただ、原作でも執拗に記述されてるクィラ・ジェーンがマッパから下着を身に着けていくシーンは原作同様執拗に映像化されています。マッパからです。
後半、クィラの後を追ってヴィックがトピーカに潜入するシーンでは、砂漠に唐突に立ってるハリボテみたいな入り口から、どこかの工場とか発電所とか、なんかそんな感じの既存の日常的メカメカしい空間を未来イメージで使ってます。いかにもカネの無い特撮みたいです。本邦で言うところのウルトラセブンとか思い起こさせます。
たまらぬ( ˘ω˘ )
トピーカ内部の様子は原作とはちょっと違っていて、「委員会」なる存在が寡頭制の専制政治を行ってます。ぶっちゃけ共産主義的ですが、そこで強制される文化的価値観がいわゆる「旧き良きアメリカ」みたいなクソもとい保守思想なところは原作というかハーラン・エリスンの持ち味を活かしてんなあと。男も女も全員白塗りでほっぺに赤丸という謎メイクなのは「続・猿の惑星」の地底ミュータントを思い出したり。こっちはまるでカネが掛かってませんがそこがよいのだ(´・ω・`)b
そういう強権の蔓延る街で、実はクィラが下克上的反体制思考の持ち主に、これは原作から明確に改変されています。ちょっと「嫌な女」にされてるんですね。原作では精々が家父長制「お父さん保守思想」に反発して跳ねっかえりしたあげく不幸にまっしぐらという「可愛そうな女の子」だったんですが、この改変は多分あの衝撃的なラスト、「女の子が食い物にされる(性的ではない)」のショックをやわらげるためのもんかなと、そこは察せられますね。ヘイトコントロールというやつだろうなあ。それで、原作ではヴィックの独白がバシッと決まるラストだったものが、映画ではヴィックと彼の愛犬ブラッドとの掛け合いに変わってました。これは小説という活字で見せるものと、映画という音と動きの映像で見せるものの違いがあって面白いんだけど、ハーラン・エリスンは嫌ってたんだってさ(´・ω・`)
あと面白かったのは、トピーカにいたニコニコ田舎農夫風やっぱり白塗りほっぺに赤丸おじさんが、やたら頑強で素手で白塗りニコニコのまま人を絞め殺し、バンバカ鉄砲で撃っても全然死なずに追いかけてきてそれでもバンバカ撃ってたら急に火を吹いて爆発してロボットだったんだ…という泣けてくるほどの低予算ぶりと、
若きドン・ジョンソンがベッドに四肢を縛り付けられて下半身に謎の器具を装着され、謎の白い液体を搾り取られるという搾精病棟みたいなシーンがその、淑女の皆様方向きかなと。
それとエンディング最高。歌はリリンの生んだ最高の文明( ˘ω˘ )
文:藤浪智之 絵:佐々木亮「きみが決めるストーリーブック ドラゴンカリバー」
うわさのダイソー100円ゲームブック。とういうわけでamazonの書影が貼れないので大創出版の商品ページを貼っておきます。小説というかまあゲームブックなんですが、簡単な内容とは言えこの値段でゲームブックが遊べるというのはちょっとびっくり。おそらく再生紙を使用するなどコスト軽減は測られているのでしょうけど、いかにも現代の児童書風なキュートなイラストも多数収録されていて、読んでて楽しいですね。とくに都度挿入される「地図」のページが、ストーリーが進展するごとに新しい「ゾーン」が追加されていくのはむしろドラクエなどのコンピューターRPG風でもある。
お話しについて。「きみ」はドラゴンを卵から孵したもの「ドラゴンカリバー」となって、子どもドラゴンの「ソー」と共にエルフやドワーフ、魔法使いなどが暮らす近代以前のヨーロッパ的な世界を旅することになる。そういう筋立て。かつて「ダイン様」なる守り神的な存在に開拓された「はじまりの町」とその周辺に暮らす人々を、最近になって襲った謎の巨人。巨人を討伐するべく「きみ」は冒険の道を歩み…
特にサイコロも使わない単純なパラグラフ選択式なので、電車の中でも読めます(笑)とはいえ、旅の途中で得られた手がかりやヒント、アイテムなどはどっかにメモした方がいいかも知れない。うっかり忘れてしまうと肝心なところで選択を誤り、「14に行け」されてしまうぞ!
それであれですね、基本は児童向けなので、道徳的というかモラルに則した行動を取ると正しい道筋になるのが面白かった。道端で困ってる女の子の荷物をかっぱらおうとすると即座に「14に行け」しちゃうの(笑)グッドエンドも複数あって、さらにトゥルーエンドもある、わずか130パラグラフの短いゲームだったけれど、久しぶりにこういうのを楽しめました。
今どきのお子さんってどこまでゲームブック知ってるのかなあ?もう1冊は女の子が主人公で妖怪ネタの現代日本シティアドベンチャーらしい。見かけたら買ってみようかな。100円(税込み110円)だしな。
「現代SF小説ガイドブック 可能性の文学」
池澤春菜責任編集による「いま、読むべきSFはここにある!!」をガイドする本。
そしてもし何か間違いや行き届いていないことがあれば、全て私の責任です
とあるので、海外作家50人と国内作家50人を紹介する目次のページでどっちも「国内」になってるという豪快な誤植は全て…
いえなんでもありません、光のSF作家バンザイ。
自分がSFの小道に分け入りはじめたころ、ちょうど出たのがハヤカワ文庫のSFハンドブックでした。そこでいくつもの作家や作品を紹介されて、実際にその道を通ったものです。あれは良い登山でした。
それから四半世紀以上が過ぎて「現代」の作家として紹介される人たち。よく知る作家もあれば、よく知らない作家もあります。紹介文を書かれた方々は、きっと自分よりお若い人も多いのだろうなと思います。実によい事です。さらにお若い方々が、この本を手にSFの小道に分け入ることもありましょう。なんでしたら僕と同世代あるいはより年配の方々にも「現代のSF作家とはどういう顔ぶれなのか」を知りたいと思う人があることでしょう。そういうひとたちにはぴったりの、やはりこれは格好のガイドなのですね。
執筆担当者がどういう基準で作家を選んだのかはよくわからないんですが、池澤春菜嬢が紹介している作家陣がかなーり自分好みなので、それはなんだか、ちょっと嬉しい。なので(これは違う方の執筆ページなんですが)106Pでとある作品のタイトルを豪快に誤植しているのはその
いえいえなんでもありません、光のSF作家バンザイ!!
草野原々「大進化どうぶつデスゲーム」/「大絶滅恐竜タイムウォーズ」
進化とはデスゲームである。勝者は繁栄し、敗者は絶滅する。万物の根源は未来にあり、そこから「自らを成り立たせるような過去の事例を決定していく」という設定の下、何者かに改変された歴史を修正すべく女子高生18名は新生代に送り込まれ知性化した猫と戦うのであった。
狭い範囲のジャンルで言えば「歴史改変SF」であって、世間一般で言われる「デスゲームもの」とは少々異なる趣ではある。星智慧女学院3年A組18名が過去に送り込まれて、これから殺し合いが始まるのかという危機感は全編に漂うけれど、結局そういうタイプのカタストロフは起こらない。むしろ様々な個性のクラスメートが団結し協力して困難に立ち向かう話。割とギスギスしてますが、基本はハッピーエンドです。1名は反物質爆弾化して死にますけれど。しかし様々な個性のクラスメートが18名、つぎつぎに視点人物を変えていく流れなので(おまけによく似た名前のキャラが複数いるので)それはちょっと、読み辛くて困った、口絵には全員のイラストも(よくあるアルバム調で)提示されてるけれど正直おじさん区別がつかないw
あくまでこれは前フリで、次巻ではもっと何か起こるんだろうか?
あ、「最後にして最初のアイドル」*1同様わりとグロです。リョナっぽいのか。
(以上「大進化どうぶつデスゲーム」)
「大絶滅恐竜ウォーズ」も読み終えた。これようするに上下巻なんだけど、なんでかしらんがそういうふうに見せないようなタイトルになっている。誤解して恐竜ウォーズの方から読んだらわけがわからんだろうなあ。
順番に読んでもわけがわからんのですが。
わけがわからなくとも
おもしろかった。
ただ、そのおもしろさの
説明が出来ない。
これ、たぶんSAKさんのナワバリだと思う。巻末の参考文献には土屋健先生の黒い本とかと並んでウォルトンの「フィクションとは何か」が(かなり、先頭付近に)あったりする。クセの強い本なんで迂闊に薦められないのだけれど…
面白いですよ?