ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

新 星緒「困りました。縦ロールにさよならしたら、逆ハーになりそうです。」

いわゆる悪役令嬢もの、異世界と言っても乙女ゲーム異世界に転生するという、流行りのスタイルです。著者の新さん(僭越にもry)はさなコンをきっかけにSNSで相互させていただいている方で、これまで小説の商業コミカライズがいくつかあるけれど、小説がそのまま書籍化されるのはお初で、おめでとうございます*1

流行りなんだなーと驚いたのは、ゲーム内異世界の一人格に転生するという、それはどういう理路や仕組みで行われるのかという行為が、

流行りに乗って異世界転生したらしい。

のわずかひと言で片付けられていたことで、これは割と衝撃を受け、むしろ大分感服しました。ジャンル・プロパーな作品で作者と読者の間に相互協定が結ばれているような界隈では、むしろこれでもいいんだなあ……。

本書に限らず異世界が元々「ゲームである」というのは、舞台設定や小道具の配置を恣意的にやることができて、書き易さというのはあるように思います。書くべきもの、読まれたいものが明確に存在するので、それを一本通しておけば、万事問題なしでしょう。

それはなにか?えっと、一度だけ、小声でこっそり書きますからね。

*1:訂正。電子書籍がすでにあったそうです。紙の本になるのは初めてとのこと

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今年の一番について考える

毎年恒例振り返りです。参考までに去年のを見直したら「来年は予防注射をちゃんと打つ」みたいなこと書いてました。打ってません。来年の俺がんばれ(´・ω・`)

 

・アニメから行こう。

今年はずーっと「ジークアクス」でした。1月の先行公開から春期の本放送、年末の「赤いきつね緑のたぬき」コラボまで、一年間ずーっとジークアクスだった気がする。おかげで「アポカリプスホテル」見逃しちゃったんだけど、こっちは新年1月1日からBS12で放送されるとかで楽しみです。しかしこの二つを同じ火曜の深夜にやってた春期アニメすげーな。他は大変だったろうなあ……。あと今年見たアニメでは「沖ツラ」良かったな。あれは続きが見たいなー。「スパイファミリー」は安定して次シーズン待ちだけど、ロングテール作品に果たして最後までついていけるだろうかって危惧は色々……ガルパンとかね。

 

・映画をいま振り返ったら

今年は映画館には三本しか行ってないっぽい。ジークアクスとガルパンらぶらぶ作戦の他は「おでかけ子ザメちゃん」だけだよ(´・ω・`)ジークアクスはリピートしたから3回ってことはないんですけど。

 

・プラモもやっぱり

ジークアクスのHGキットにはビビりちらかしました。何がすごいってあんだけ細かくてもちゃんと組めるんである。とはいえ年末に20数年ぶりにHGUCガンタンクを組んでたら、あまりのシンプルで牧歌的な内容にめっちゃ癒されてるいま。

ファインモールドのマルヨンもすごいんだけど、そろそろ戦車の新しいやつも……

今年模型界に走った激震といえば田宮俊作・督夫両氏の死去だと思われます。ひとつの時代というかジャンルを打ち立てた方々、ありがとうございました。個人的にはそれと同じぐらいにSWEETの杉田悟社長が亡くなられたことがショックで、この人が居なければいまの1/144飛行機模型の興隆は無かったでしょう。そしてその、タミヤから独立してメーカーを立ち上げる人は多くいるけれど、結局どこも一代限りなんじゃないかって、メーカーに限らずだけどね……

 

・本はね

天沢時生の「すべての原付の光」がいちばんパワーがあって良かった。こういうものを書けたらいいなあとか、不遜なことを思った(笑) ジャネット・スケスリン・チャールズ「あの図書館の彼女たち」も面白くって、来年出る「私たちの図書館旅団」にも期待しています、今度は第一次大戦だぜ。

今年はSNSでの相互さんが初書籍化、というのがずいぶんあったように思います。みなさんおめでとうございます。楽しい戦場を戦い抜いてください。

しかし自分はさなコンぐらいでしか書けてない、いかんよなあ。

「ペンギンSFアンソロジー」上下巻のおかげで、いろんなひとやいろんな場所や、ひとつの被りものなど様々に広がったように思います。ペンギン万歳!!

 

来年、来年はどうなるんだろうなあ。平和な世界が続きますことを願います。池澤春菜先生の台湾本も控えていることだし。

鈴埜「精霊樹の落とし子と飾り紐」

組み紐で魔法という仕掛けに惹かれた異世界転生(転生ではない)ファンタジー。著者の鈴埜さん(またしても僭越ながら)はたしか「森SNS」でお会いしたのではなかったかと思う。初の書籍化、おめでとうございます。

「転生ではない」と書いたのは、「ブラック企業で超過労働していたら残業帰りにトラックに轢かれて死にました」的な生まれ変わりではなく、帰宅途中のOLが気がついたら異世界に居た。という、概念的には転生ではなく「転移」に属するタイプだからなんだけど、あんまり細かいところには拘泥せずに「異世界もの」でもいいのかなあとも思う(なお著者あとがきでは明確に異世界転移小説であると書かれています)。

世界の移動が驚きはあれど乱暴ではないし、主人公が元々憤懣を溜めこんでいるキャラでも無しで、異世界転生ものにままあるルサンチマン大爆発みたいな話ではないので、そこは非常に安心して読めました。異世界に落とし子(ドゥーモ)として現れたヒロインのシーナには組み紐(トゥトゥガ)を通じて精霊魔法を組み上げる資質が顕現するのだけれど、その魔力は稀代の精霊使いであるフェナの力量を通して振るわれるもので、シーナ自身が万能無双するわけではない。大体において優しい世界、緩やかな物語です。これは舞台設定の方で異世界転移者の受け入れに慣れている世界、転移者を敬う文化が形成されている社会だという枠組みを最初に作っているからでもあるのでしょう。やはりブームというのはあるもので、作者にとっても読者にとっても、こういうものは作品の外で洗練されていくのでしょう。

世界樹に護られた異世界で出会った精霊使いフェナの庇護を受けつつ、地味に組み紐職人の見習いとなって手に職を付ける流れ、そこで実用本意ではなく「可愛らしさ」を目的化した製品開発といわゆるパテント取得などああこれコージーファンタジーなんだなと。元々はミステリーの分野で生まれた「コージー」概念の物語には、女性主人公がお店をもつなど自活する様が散見されますが、近年では国内外の異世界ファンタジー小説にも見受けられるものですね。

ところで「シーナ自身が万能無双しない」とは書きましたが、実はします(笑)食べ物の分野で。服飾のみならず食事においても実用本位な世界で、日本の味を再現するべく奮闘する様にはだいぶページが割かれて、なんか全般的に「丁寧な暮らし」を読んでる感は強い。食べ物を丁寧に記述すると読者受けが良いというのは、これも国内外問わず異世界ファンタジー共通のものかと。

優しい世界、ではあるけれどそれはシーナが安全なポジションにいられるからであって、一歩ベールの外に踏み出すとそこにはやはり近代以前の暴力的な世界が広がっていることは読者にも提示され、この先の展開を期待させます。異世界からの落とし子は長命になるという設定、既に50年前にこの地に降りている日本からの転移者マナは今後どう関わるのか、続きも楽しみ。

巻末には番外編が2本あり、この世界の一般人の視線で日常生活の在り様が語られます。そういう細やかさも◎

そして自分がこの作品で一番気に入っているのは、実は文体、語り口だったりする。視点の取り方の変化やモノローグへの移行が実に自然に移り変わって行って、オートマ車みたいなんですね(解り難い例えだ)。意識してやっているのか自然に出来ているのか、それも不思議。

 

「ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ大作戦です!第1幕」見てきました

公式。

もともとはいちファンが描き始めた二次創作で、たしかプラウダ戦の頃にツイッター(当時)で見ていた記憶があります。それが公式スピンオフに採用され気がつけば最長連載コンテンツとなり遂にアニメ化しかも劇場公開と、「ガルパンおじさんのあがり」みたいなポジションですね。

原作はWEB出張版だけ読んでるんだけど、それでも雰囲気はつかめるもので普通に楽しめました。何も知らずに見た人とか、そもそもガルパン知らない人が見たらまあ戸惑うかもしれないなw

全体的にわちゃわちゃしてたり、水着とか風呂とかサービスシーン(とはいえ別にエロでもない)とか、謎のアンチョビ推しとかところかまわず発生する百合時空とか、うん、だいたいこんな話だ。戦車はOP/EDぐらいしか出て来ないぞw

で、あれね、これは知らずに居たんで驚いたんだけど、これTVシリーズ向けのつくりなんですね。来年4月まで順次公開される4幕が、1幕あたり約25分のエピソード×3本で構成されてて、全部で1クール12話分の内容になる、と。劇場でまだ始まったばかりなのに急にエンディングが流れたんでだいぶ驚き時計を確認しました(笑)

待ってりゃいずれどこかで流すんだろうけどあがりのないガルパンおじさんとしては、劇場で付き合う他あるまいね。

 

嶌田あき「あの日、君が目指した空の果てへ」

“planet” のことを日本語では「惑星」という。星は惑うものである。

 

嶌田あき、書籍デビュー作。良い青春小説でした。嶌田さん(と、僭越ながら呼ばせていただく)はこれまで日本SF作家クラブの「さなコン」で毎回切ない系の青春SFストーリーを読ませていただいてきたのだけれど、今作もやはりそれに通じるものがあります。ジャンルとしてはSFではないけれど、天文部を舞台に宇宙へのあこがれを描く内容、視座の取り方にはSF的なパースペクティブを感じます。そのうえで、高校生の女の子が抱える悩み、戸惑い、恋愛感情などは10代の読者に十分訴求するものでしょう。

天体観測って過去を見るものなのかも知れないな、と思いました。ひとのシナプスに伝達時間がある限り、人間は常に「一瞬手前の過去」を認識することしかできないものですが、そうでなくても星の光を見るというのは、過去を観測する行為です。過去には隔たりがあり、観測を重ねることで実相を知ることが出来ます。

病で姉を亡くしたという過去を持つヒロイン澪は、姉と同じ学校で同じ部活に所属し、「高高度到達気球で『宇宙の渚』を観測する」という、且つて姉の叶えられなかった夢を、姉の恋人であった教師の指導のもとで進めている。一歩先で停止している存在を追うというのは「アキレスと亀」のようであるけれど、人間は別に亀でもアキレスでもないので、立ち止まらずに諦めずに進み続けていれば、そこに追いつき手を伸ばすことも出来る。

「本当は過去に何が起きていたのか」が一枚のベールの様に記憶を覆い隠していて、真実が明かされる様はだいぶショッキングではありました。その場面を電車の中で読まずに済めたのは幸いでした。やぁ、フォント変えっていいわぁ……。

「病で姉を亡くした」という過去が、まったく別の意味を持つものとして眼前に提示されたときに、むしろそのことが前へと進み続ける原動力になる展開はなかなかに胸を打ちます。打ちました。

物語は幸せな結末を迎えるのだけれど、そこに至る過程では大勢の人が協力し、決してひとりのちからだけで夢を叶えるわけではないというのは何か道徳的な良さもあって、10代読者向けだなーと思うのです。個人的には「日中に天体望遠鏡を使って昼でも星を観測する」という前半で描かれた行動が、クライマックスで「気球の観測に天体望遠鏡を使い、三角測量で座標を特定する」ものに昇華されるのがよかったですね。

それと、嶌田さんの作品には必ずどこかで「読者を殺しに来る」キメの一文みたいなものがあるのですが、今作にもそれはあり、殺されます。されました。二か所もだ。

 地球と宇宙の間も、青い海と白い砂浜もそうだった。

 大人と子供。生と死。妹と姉――。

 せめぎ合い互いに混じらない二つのものの間には、いつだってぼやけたボーダーライン。でも、はっきり引かれた線じゃない。もっとずっと淡くて、揺れていて、溶け合う何かだ。

 

 私たちは気球なんだ――。たくさんの優しさを注いでもらって、大きく膨らんでいく。一人ひとりの夢と願いを乗せて、大空高く舞い上がる。風に吹かれるまま、宇宙だって行ける。

多分にネタバレを防ぐため、文字色は変えておきます。ご了承ください。

 

”planet” の日本語訳にはもうひとつ「遊星」という言葉があります。星は遊ぶものである。大いに惑い遊ぶ、若いって星のようなものなんですよ。本当にね。

 

松田未来・※Kome「夜光雲のサリッサ 15」

堂々完結。始まったのは2017年だから8年間か。ストーリーは大きく広がったけれど、自分の環境も随分変わりましたね。てなことを考える。始まった頃はプラモデルが出たら面白いなーとか思ったものだけれど、まさか本当に出るとは思わなかったなあ……

危機は去ったけれど争いは終わらない。人類は早々便利に幼年期を終えない。人類を救うのも個性だし、人類のために犠牲になった少女を再び発見するのも個性だ。そこでひとつ自分の不明を恥じると、最後はダンクさんの「素顔」を見せるのかなと思ってたんですね。でも、そういう展開にはならなかった。なぜならあの顔もまた個性で、あれこそが素顔だったから……

RA-5ビジランティが出てくるマンガは全て傑作。異論は認めない。

 

堀晃「宇宙ランド2100」

seirindousyobou.cart.fc2.com

文学フリマで買った本。著者はいわゆる第一世代SF作家の一人だけれど、正直短編をいくつか読んだかもしれないな……ぐらいのところで。代表作「太陽風交点」「バビロニア・ウェーブ」どちらも読んではいないけれど、古いジュブナイルSFに興味があって読んでみる。古い作品だろうと思っていたので、1970年代から始まる収録作の初出が90年代にまで及んでいたのはちょっと驚いた。単行本発収録という作品も多く、巻末には小松左京脚本による人形アニメの絵コンテと、作品制作に関する思い出が語られる。

収録作のテーマは軌道エレベータースペースコロニー、未来予測技術、火星テラフォーミングやコンピューター管理都市など。どれも共通して「未来」を描いているんだけれど、「SFは予言ではない」という言葉をあらためて思います*1。ここに描かれた世界は未来予測というよりは夢物語に近いものだけれど、SFが若年層に夢を提示する役割を持っていた時代の記録ではある。

他愛ない、言ってしまえばそうなのかも知れない。「高2コース」に掲載された作品は、高校2年生が読む小説としてはちょっと内容が幼過ぎるんじゃないかと、そこは少し気になった。夢のような未来技術・未来社会に突然事故が起こり、なんだかんだで解決するような話は、ちょっとサンダーバードみたいだな。

「地球は青い宝石」が1991年初出と最も新しく、これペップ出版の「ペップ21世紀ライブラリー」として刊行されたもので、元本はどうもかなりのレアものらしい。内容は火星のテラフォーミング計画を背景にタカシ少年と珪素生命体(だろう)ルビィとの友情を描いたものなのだけれど、2億年という長い時間を生きてきたルビィが小学生の隆に対してかける言葉が、ちょっと浸みる。

「きみは、これから成長する。ぼくは、かわらない。」

「きみたち地球人は、そうして成長していくんだよ。ぼくはかわらない、かわれないんだよ」

ああ、ジュブナイルってね、いいですよね。

かつてSFはジュブナイル小説群の中でも大きな位置を占めていました。自分もいろんな叢書で良質のSFに接したものです。翻って、いまはどうなんだろう?ハヤカワが児童文庫を始めた時には大いに期待したものだけれど、なかなかそうはならんもので。

こういう話をするとよく「SFは小松左京言うところの拡散と浸透したのだ。だからこれでいいのだ」みたいなリアクションを見る。それは確かにその通りで、小説以外の分野でSFは拡散と浸透している。だとすれば、いま児童文庫ラインナップの中核を占めるミステリーとホラー(怪談)は拡散と浸透していないのか?

 

そんなわけないじゃん(´・ω・`)

 

てなことを考えました。

*1:池澤春菜による