ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

フィリップ・K・ディック「変種第二号」

表題作はいままでいろんなアンソロジーや短編集で(別題「人間狩り」も含めて)読んでいて、個人的にはディックのベストだったりします。ハヤカワの大森望編によるディック短編傑作選では全6冊中4冊目となる本書は「戦争」テーマの作品を中心に編纂されていて、執筆されたのは概ね1950年代になるのかな。ひと言で言ってしまえば玉石混交なんだけれど、当時のアメリカが置かれていた時代性を色濃く反映した作品群のなかで、では何が古びて何が古びなかったのかなあ、とは思う。

ややショッキングな感を抱いたのは、ディックに限らずなんだけど「未来はバラ色である」を描いたSFよりも「未来はバラ色ではない」を描いたSFの方が、普遍性を得られるのではないか……という気づきで、なぜなら僕らは既に未来はバラ色ではないと、知っているからなんだろうなと、そんなことを考えました。「たそがれの朝食」「歴戦の勇士」「ジョンの世界」なんか良いね。「ジョンの世界」は「奉仕するもの」とセットでターミネーターのようだ、というのは巻末解説にあることなんだけど、ターミネーター(の最初の一本)も、ぽっと出てきたわけじゃなくて、アメリカSFの深い地層と広い年輪あってこそ生まれた作品なんでしょうね。

で、表題作「変種第二号」です。これには自分の好きなディック的要素が全部詰まってる気がする。まあ自分はあんまりディックの良い読者とは言えないんだけれど、嘘や偽物、裏切りと幻滅、核戦争の恐怖、そういうものが酷く濃縮されてひとつの物語を作り上げている、と思う。たった一人の女と思った存在が実は…というのはマイクル・コーニイの「ブロントメク!」にも通じるものだけれど、これが恐怖だというのは男性原理で女性差別なのかも知れないなあ、などと。

米澤穂信「可燃物」

 

これまでいろんなタイプのミステリーを書いてきた人ですが、ここまでがっちりした「警察小説」ははじめてじゃないでしょうか?群馬県警の葛(クズじゃありません、カツラです)警部を主人公にした連作短編集。5本の短編を個別に見ていきます。

①「崖の下」

これはスキー場を舞台にした作品で、主な謎は「凶器はなにか」というハウダニットです。これについてはある漫画を(ミステリーではありません)読んでいたので、解答が提示される前に解りました。こういうのは楽しい読書体験ですね。ただ、殺人の様相が明らかされただけで「なぜ」「どうして」には触れない。「動機の解明は重視しない」というのも米澤作品ではよくあることでありますが。

②「ねむけ」

こちらは強盗傷害で捜査中の有力な容疑者が交通事故を起こす話で、かいつまんで言うとその際に信号無視をしていたかどうかを明かす話です。複数の目撃証言はすべて一致していて、むしろそのことの理不尽さがストーリーを動かします。謎解き以前に、刑事たちだけでなく目撃者含めて事件関係者全員が激務で睡眠不足だという状況(故にこのタイトルでもある)が、警察小説の名作と名高いR.D.ウィングフィールドのフロストシリーズを想起させました。まあ伝統……ですかね、ジャンルの。
本作は刑事課と交通課の捜査が交錯する展開なので、警察内部の申し渡しや縄張り意識のようなものにも目が配られています。「警察小説」に要求されるのはエキセントリックな私立探偵ものとは違うリアリズムなのだなあと、改めて思うところで。

③「命の恩」

読み終えて変な声が出ました。本書収録短篇はどれも無駄がない硬質な文体、硬質な内容なんだけれど、誰もが善意で動いていたのに誰一人救われない作品を突きつけられると読者の方にも逃げ場がない……ような。山中で発見されたバラバラ死体を巡る事件、容疑者はすぐに浮上し事件の全貌も把握し易いものと見えて実は、というもの。ひとつの違和感が事件全体を大きく揺るがせ真実が明かされた先には……全然救いがないものです。黒米澤を煮詰めたような一本で、最近小市民シリーズからこの作家を知った人に無理やりにでも薦めたい作品(笑)

④「可燃物」

表題作でもある一本、連続放火が題材なのでちょっと背筋が伸びます。かの「秋期限定栗きんとん事件」では探偵が推理していると思わせて実は……という話だったけれど、こちらはまあ、普通の流れではあります。容疑者は固まり物証も出るけれど、証拠自体は弱く(これ結構珍しいと思うんだけど)「動機の解明」に重点が置かれる内容。しかし動機が解明され容疑者が逮捕されても、後味は苦いまま終わります。警察と消防が連携する事件なので、役所間でのすり合わせやコミュニケーションの描写が面白いですね。

⑤「本物か」

拳銃を手にしたファミレス立てこもりの犯行が現在進行で記述される一本。警察無線の口調、現場指揮や役割分担(書き忘れていたけど葛警部は県警本部から事件の起きる所轄警察署に派遣し捜査本部を立ち上げる役割です。但し本作ではだいぶ偶発的に現場に乗り込む展開)の様子は、実際を知らない読者にも実感を持って受け止められるだろうなあと。自分はあんまりこういう言い方はしないんだけどリアルだな、と思います。「本当のこと」を知らなくてもリアルだな、と思わせるものは何だろう?現場で得られる様々な証言から事件の全貌が描かれていく訳だけれど、ある瞬間実にダイナミックな変転が起き。それまで自分がというか読者が描いていた「画」と、視点人物である葛警部が内心で描いていた「画」は、まるで違うものだと明かされる。そこでちょっとページをめくる手を巻き戻すと、バラバラだった各人の証言の中に、繋がりや違和感がちりばめられていたのだなと唸らせられる。そしてこの話、中盤ではまったく救いが無いように見えるのだけれど、無事事件は解決し、心地良い読後感を得られました、大事大事。

 

以上五本の短編からなる連作。読了して思うに、警察小説というのはこれは大変なジャンルだなあと。ストイックで地に足の着いた内容、決して過剰な非現実を持ち込まず、それでいてミステリー小説としての謎と解明は本格ミステリーと同様の論理性が要求される。警察組織の内部事情や符丁、語法にも通じてないと実感のある警察小説は書けない。

以前警察小説大賞だったか、そういう公募の講評がだいぶ辛口だったのが不思議だったんだけれど、なんか納得しました。

時期で言うと①が2月、②が9月の事件なんですね。そのまま一年を通じる流れかと思いきや③は7月で④は12月、⑤で3月の事件が幕を下ろす。初出の順番は①→②→④→③→⑤で、あーうん、あんまり関係ないなこれはw

ストイックだなと思うのはキャラ描写全般にあって、事件外のことは全然書かれません。葛警部の家族関係すら書かれない。警察関係者の描写もだいぶ抑え気味なんだけど、抑えた中でちゃんと個性が際立つところはあるように思う。上手いよなーやっぱり。

飛鳥部勝則「ラミア虐殺」

最近復刊著しい著者の、これは2003年カッパ・ノベルス刊行を今年になって文庫化したもの。巻末「文庫版あとがき」には「堕天使拷問刑」復刊までの道のりと本書文庫化までの流れがまとめられていて、資料的価値も高い。

本編はいかにも曰くありげな探偵がいかにも曰くありげなファム・ファタルと出会う冒頭から、あっというまに嵐の山荘に移動し死体があらわれ、クセだらけの滞在客がワラワラと……という流れが異様にハイペースで進行して気持ちがいい。流石の腕前である。

視点人物を様々に切り替えて過去は少しずつ明かされ、謎はますます深まる。全員が「信用できない語り手」によって記述される物語の中で無造作に死体は増え続け、生存者は減っていく。

話の途中で一か所、あまりにもあからさまにミスリードを誘うような記述があり、これはミスリードのフリをしたさらにその先のひっかけなんじゃあるまいかと裏の裏を疑ったんだけど、これ自体は単純にミスリードを誘うトリックでした。ただ、そこまで含めて著者は読者を楽しませているんじゃないかとも思う。わざと「暴きやすい稚拙なトリック」を読者の目の前に投げて食いつかせる、そういう遊びをしているような。

意外な真犯人と意外な犯行動機はなるほど飛鳥部勝則だ!と思わせる(話の途上で様々なキャラがやたらとオタク的なジャンルトークや演説するのもいかにもいかにもだ)し、そして本作は

 

仮面ライダーだった(´・ω・`)

 

冒頭に掲げられた「序章」で、この世界にはUMAが存在することがあらかじめ提示されるんだけど、「全長7メートルはあるヘビに人間の足が生えている」ってそれ仮面ライダーアマゾンのヘビ獣人だよ!おれはくわしいんだよ!!

という導入から、主人公の探偵杉崎が過去に対峙した事件と謎の薬物と、複数の登場人物がほのめかす人ならざる異形の姿。杉崎が左手の革手袋を絶対外さないってそれライダーマン結城丈二だろ!*1などと軽いジャブを打ち続けつつ読み進めると、クライマックスは仮面ライダー対怪人軍団じみた様相を呈するのだった。いや面白かった。特殊設定ミステリばんざい。

初版刊行の2003年って「555」やってた頃か。だから狼なのかな?

*1:なお結城丈二は右手に手袋である

ミハル・アイヴァス「もうひとつの街」

SAKさんところでご紹介を受けて。そちらで採り上げていたのは文庫版だったけど、図書館で単行本を借りてきてよむ。理由はこっちのほうが表紙がカッコイイからです( ˘ω˘ )

チェコプラハを舞台に、古書店で発見した謎めいた菫色の本を手にした<私>が垣間見て訪れる、都市に重なる別の都市、「もうひとつの街」の謎めいた光景。ふたつの街が重なると聞いてまず思いついたのはチャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」だけれど、

abogard.hatenadiary.jp

「都市と都市」では双方とも実在する都市が、いわばモザイク的に結合していたのだけれど、こちらはもっと位相が異なるというか非現実のグラデーション状に重なっているというか。不条理かつ幻想よりの幻想小説です(二重表現)。

まあ、ヘンな話だ。こういう小説を東欧・ロシア圏では「ファンタスチカ」というくくりでまとめていて、SFやファンタジーというよりは「不条理」が主なんだろうなあというのはだいぶ昔に読みました。

abogard.hatenadiary.jp

<私>はふたつの街を行き来し「もうひとつの街」の謎に迫っていくのだけれど、何か真実が明らかになるのかといわれれば、必ずしもそうではない。そうではないけれど、どこか異国の、さらにその向こうにある謎めいた場所や人々の有り様には魅力がある。文章がね、良いのよ。最近なかなか見ないような長文のセンテンスが重厚というよりも濃厚な筆致で書き連ねていて、ストーリーを追うよりも文章に耽溺するタイプ、か。山尾悠子とかそういうのが好きな人にはいいかもです。いちばんの不条理は何故か魚が地面の上をのたうちまわって、あまつさえ教会の鐘楼でサメと戦う<私>という、なかなかシュールな絵面が良い。なんでも、海なし国であるチェコの人にとって、海の生物はそれだけでエキゾチックな存在なのだそうな。「温泉シャーク」売り込みに行こうぜ!!

そのサメは第9章に登場して案外あっさり退けられ、教会の十字架に突き刺さって死んでしまうのだが、その後も(全22章である)時折口端に上って、皆を楽しませてくれる。もって瞑すべし、サメよ( ˘ω˘ )

主人公にサメをけしかける謎めいた少女の名前が「クラーラ」だというのはガルパンおじさん的には良かった。その後名前が変わってしまうのは残念だった(´・ω・`) 同じキャラクターに複数の役割が降られて度々登場するのも、役者の少ない低予算映画みたいでなんかよかった。ありとあらゆる人間がいったん話し始めると延々と長い語りを続けるのはだいぶ辛かった。

読了して、総じてヘンだが、ヘンだけどこういうのは好きだなあ。特にサメとぽこぽこ殴り合う<私>はよかったなあ。などと思いながら訳者あとがきを読み進めていたら、

 なお、本書の8章と9章のみ、高野文緒編『21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集 時間はだれも待ってくれない』(東京創元社、二〇一一)に拙訳が収録されている。

ごめん全部忘れてた(´・ω・`)

あー、なんか長編を抜粋したような作品は載ってたような気もするが、あれ読んだ頃はまだサメサメしくなかったからなあ俺……

 

「宇宙戦艦ヤマト 玉盛順一朗メカニカル画集 ― YAMATO MECHANICS ―」

「2199」に始まる宇宙戦艦ヤマトリメイクシリーズの、いや違うな。「2199」以前から存在し今に続く宇宙戦艦ヤマトリメイクシリーズの、ビジュアルシーンを大きく導き出した玉盛順一朗の初の画集です。伝説的なwebサイト「YAMATO MECHANICS」に掲載されたイラストから、現在上映中の「3199」までに連なるメカデザインの数々を、存分に堪能できます。

コッソリ書いておくと変なお経とか首の曲がった戦闘機とかないのがいいよな!変なパルスレーザー満載とかもな!

秋の夜長にゆっくり読みました。かつてほんの短い期間だけ存在したwebサイトで見たイラストをこうしてまた目にすることが出来る。当時まだ「キリシマ」という名前も存在しなかった沖田艦の魅力に気づかされたのは明らかにこのサイトからで(それまではゆきかぜイチオシだった)、特にマスト後方にたなびく信号旗には痺れました、いまでも痺れます。コスモゼロカタパルトの傍らにいる甲板員にもグッとくる。ディティールというか「実在感」か。ほんとうにヤマトが存在したらこういうものが見えるのだろうと思ったことが、数年後本当に映像で見られたときは感極まったものです。

個人的に「2199」好きすぎて後続の作品は見ていないんですが、人生で最も好きな宇宙戦艦である主力戦艦(現在はドレッドノート級)とか言わずと知れたアンドロメダとか、メカニクスそのものは大好きなので、リメイクヤマトのいいところだけ凝縮したような良さがある。ガミラスパートも欲しいところではありますが。

「3199」で満を持して登場する戦艦アリゾナの画に「手頃なサイズの商品展開」なんてキャプションがあってムフームフー(鼻息)戦闘空母ヒュウガも単にPS版のキエフ風デザインを踏襲したんではなく、様々な甲板形状を試行錯誤したラフデザインが掲載されてこれまた貴重だ。そしてコスモタイガーから始まる航空機デザインの数々……ロケットアンカー!!

 

ええですわぁε-(´∀`*)

 

そんでふと思う。「2205」に出てきた5式空間機動甲冑ってHJで昔やってた「ワイバーン」ぽいですね。

ひとつ難点を上げると、読んでて猛烈にプラモが作りたくなるのだけれど

 

売ってねえ(´・ω・`)

日本SF作家クラブ編「恐怖とSF」

日本SF作家クラブのアンソロジー、6冊目。既読は以下に。

 

 

 

 

このシリーズの感想は全作上げる重いのと印象に残った分だけの軽いのとに別れますが、今回は重い方です。賢明な方ならそろそろ法則性に気づかれるかと思います。blueskyにポストしたものをベースに修正入れつつ。

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ヘイゼル・プライア「ペンギンにさよならをいう方法」

 

すべてのペンギン好きの人々と、人間が嫌いなあなたに。

 

八十五歳の老婆ヴェロニカがふと思い立って、死後全財産をペンギンに委ねようと南極まで出かけていく話……と聞いてなにやらコメディタッチのお話を想像していたのですが、良い意味でそれは裏切られた感があります。

まず、本書を読み始めると大抵の人はちょっと面食らうんじゃないだろうか?自分は驚きました。ヴェロニカのキャラがあまり人好きのするものではなかったんですね。身寄りを持たない孤独な資産家の老人として気難しく横柄で、自身は尊大で他人には辛辣。そしてやや痴呆症状が出てるのではないか?とも思わせる言動。そういう老婆の1人称による語りで話が進んでいくという開幕に、一抹の不安を憶えたり。一例を上げれば、ヴェロニカはドアが開けっ放しでいることに耐えられません。毎回家政婦をひどく叱責して閉めさせる。こんなキャラで大丈夫なのか?

そんなヴェロニカが「鏡を片付けさせたら発見された箱」の中に仕舞い込んでいた帳面に向き合ったことから、話は転がり始めます。この流れは良いものでした。自分自身の外観と向き合う「鏡」を拒絶することで、かつての自分が赤裸々に綴った「何か」に直面する。固く閉じられた錠を開く番号が「1942」と知らされれば、読者は当然それが「年号」であることに気が付くことでしょう。1942年、あなたは何をしていました?

はい、ほとんどの人は「まだ生まれてません」と答えるでしょう。でも、その時代を生きた人は確かに居るのです。1942年、第二次世界大戦の最中。ちょっと詳しい人ならば、その年はいわゆる枢軸諸国の攻勢がもっとも広範囲に渡った時期だということを御存知でしょう。人類史上、地球上で戦争の行われていた面積が最大であった年。1942年とはそういう年号です。じゃあこの話はペンギンのフリをして実は戦争の話なのか?と言われれば、それはちょっと違います。

TVのドキュメンタリー番組に感化されたヴェロニカは周りの迷惑顧みず、強引に南極行きを決定して、そしてその箱は漸く発見された唯一の血縁者、孫のパトリックのもとへ届けられます。読者はパトリックの目を通じて、戦時下イギリスの片隅で強く生きた十四歳の少女の思いと、辛辣な現実が書かれた日記を読むことになります。戦火に家族を失いかりそめの友情に裏切られ、恋の情熱に身を焦がし、想い人とは引き離され、まだ年端も行かぬ身体の中に新しい命が宿り……。

本文は短い章立てでヴェロニカとパトリックの視点を交差させ、段々と現状への理解を深める構成になっています。パトリックもまた親に捨てられ(死に別れ)孤独な人生を送って来た若者で、「孤独」はこの物語の重要な要素と感じました。時折挿入される「テリーのペンギン日記」なる南極でのペンギン観察ブログが(これはペンギンの生態を記述しているようで小説的には人間の行動を隠喩している働きがあるのですが)、やはり孤独なアデリーペンギン「スーティ」の様子を端々に捉えます。

やがてヴェロニカが南極はロケット島、ペンギン研究センターに足を踏み入れてからが物語の中核となりましょう。そこでの研究員たちとの出会い、とりわけブログ主でもあった研究員テリーとの出会いはヴェロニカを大きく揺り動かします。やがてふたりは親鳥を亡くした雛ペンギンを拾い、反対を押し切り「パトリック」と名付けて研究センターで育てることとなります(のちに「ピップ」と改名)。孤独を抱えた者たちが綾なす、それはまるで疑似的な家族のよう。そこでついに吐露される、日記にも書けなかったヴェロニカの告白は物語と読者を大きく揺さぶり、ドアが開け放たれていることに耐えられない彼女の事情が明かされます。この部分の伏線回収は、胸に刺さるものでした。またヴェロニカ自身も大きく揺さぶられ、ある突飛な行動を取った結果彼女は生命の危機、危篤状態に陥ります。

その事故は遠く英国から南極にパトリック(人間の方)を呼び招くこととなり、そこでの出会いが人を動かし、そして……。

 

物語の結末は幸せなものとなります。人嫌いの頑固な老婆が全財産をペンギンに投じるようなことにはなりません。希望は若者と、そして子供たちの手に受け継がれます。

 

そして最後の1ページを読み終えてよくわかるんですが、人間がペンギンにさよならをいう方法は、いまだに発明されていないんですね。ですからすべてのペンギン好きの人々も、人間が嫌いなあなたも、どうかご心配なく本書を手に取り、お読みください。なにしろ雛ペンギン「ピップ(旧名パトリック)」の可愛らしいことときたら!まるで心に絵が浮かぶようです。そして単に尊大で横柄なだけではない、ときには様々に策略を巡らして自分の思いを叶えるヴェロニカのキャラクターにも魅力を感じました。この先高齢者が主人公のエンターテインメントというものも、増えていくのかも知れませんね。