「AIとSF」に続く第2弾。日本SF作家クラブ編の、このアンソロジーのシリーズとしては5冊目になるんだけれど「地球へのSF」まだ読んでません(´・ω・`)
以下、掲載順ではなく読んだ順で。
・池澤春菜「I traviati 最後の女優」
AIの普及した世界で「椿姫」の舞台を題材に、「人」の演技の可能性を追求するひとりの女優ディアの在り方を描くもの。本作の基盤となった池澤春菜主演の舞台「朗読歌劇 椿姫~不滅の恋~」は実際に観ていたので、ちょっと不思議な感覚ではある。考えてみればあれを見ていたおかげで「椿姫」のストーリーや登場人物の知識を得ていたので、ずいぶんと読解の助けになったように思います。愛と裏切り、甘美なる死。そういう話を、女優と演技補助AI、道を誤る脳内インプラントといったガジェットを使ってSFのステージに呼び降ろす。そういうことかなあ。3人称でちょっと俯瞰されて記述が成される、やはり甘美なる死。
小山ゆう「スプリンター」という陸上競技をテーマにした漫画があるけれど、あれを少し思い出しました。人の極限に挑むという意味では、アスリートもアクターも変わらないのかも知れない。
この作品のAIは、人の脳内にインプラントとして挿入されている、個性を持った内なるパートナー的存在として描かれる。
・人間六度「烙印の名はヒト 第一章 ラブ:夢見る介護肢」
長編小説の冒頭部分を掲載。人の形をして自我を持つ<介護肢(ケアボット)>が介護対象の人々とふれあううちに人間のような個性を育んでいく……ことが果たして是か非か、を問うような、やや不穏な空気で話が進む。ヒロインのラブは施設の入居者のひとり、カーラの懇願を受けて、どうも嘱託殺人を犯したようなところで一章おわり。「高瀬舟」みたいな話になるんだろうか?
この作品のAIは人間を模倣するような、ヒューマノイドタイプのロボット。人を真似て喫煙して見たり、人に近づくために自重を軽量化したり。
東京23区東部に残る木造住宅密集地域、「木密地域」の立ち退きと再開発を巡って、対象の家庭に配られているAIチャットアドバイザー「QuDN」とその開発ベンチャー企業の一員、森下里奈の話。当初はAIを用いて対象住宅の精巧なシミュレーションモデルを構築するも、それでは、それだけではひとは救済されないとして、別の手法を考えることになる。その結果が解体工事用の人型ロボット(厳密には人型ではない)にAIをインストールして実際に解体させると、させるとなぜ人は救われるんだろう?全般いい話なんだけど「AIの接地問題」という命題と、再開発で立ち退きを迫られる人の救済というふたつのテーマの融合はこれでいいんだろうかとふと。
この作品のAIは当初ウシのぬいぐるみの中にチャットAIとして存在するが、後に作業用ロボット、2mを越える体調と丸っこい四肢をそなえ、全身に体毛が生えている「アステリオス」なる機体に実装される。くだんはミノタウロスになる。
・茜灯里「幸せなアポトーシス」
この作品は3部構成の形をとる。「プロローグ」では2050年の近未来、理研の研究者上野博士が、AI「KANADE」との共同研究で成果を上げたヒトの遺伝子治療、不老不死技術開発がノーベル賞を受賞する様が描かれる。ノーベル財団の発表に対して上野博士は、むしろAIのKANADEとの共同受賞でなければと、受賞を辞退する。本編は「AINP」(AIによるノーベル賞の頭文字)の章題で過去に立ち戻り、天才研究者藤本奏と若き日の上野による、藤本奏の脳データをコピーして生まれたKANADEの開発をメインに描く。人間の研究者がAIにとって代わられている不穏な状況を提示して、藤本奏は突然に殺害される。「エピローグ」では再び現代というか2050年の時制で、再びプロローグの視点人物堀内教授(過去エピソードでは二人の指導教授)に立ち戻り、上野博士とKANADEが真に目指すものを明らかにする……感じなんだけど、エピローグになって実は2050年の時代というのは既に相当なシンギュラリティが起きていることが明かされて、人は不老不死を得て人体も強化され、AIもヒューマノイドボディを実装してヒトと混じって生活をしている。なのでむしろAIにノーベル賞受賞を認めない方が不自然なんじゃネーノという疑問が……結局不老不死の人間に死を与えようとする上野博士と、それに反駁する堀内教授の問答が妙に薄い(それは自覚的にやっている風ではある)、その頂点でKANADEは自死てしまうのだけど……ナンデ?ううむ再読してみないとなあ。
この作品のAI(メインとなる存在)は人間の脳データをコピーして作られる。スパコン風の筐体に入っている。
・揚羽はな「看取りプロトコル」
高齢化社会で深刻な看護師不足に陥っている未来社会。終末期医療補助用にアンドロイド・AIドクター通称AIDなる存在が実用化されている。それを開発した生神健は旧友の元火星開拓地開発要員近藤から末期がん終末期医療を依頼され、AIDの「ナディ」が引き受けることとなる。近藤の希望で「最高の死」を迎えるべく、AIDに課せられた機能制限を解除されたナディは様々な「死」をシミュレーションし、音楽を作曲したりVR空間に知人を招いてパーティーを催したり。正直その辺りは薄いなあと思ったんだけれど、どうもそれはあくまでお話のデコレーションで、真のテーマは喪失感を得たアンドロイドが「人の死」を実感として受け止め、それがひとつのシンギュラリティとして世に広まる、ということだった。
この作品のAIは看護用のアンドロイドで、画一的な対応からより人間らしさに近づく変革を迎える。
しかし「死」をテーマにした話多いなあとこのあたりで気づく。てゆうかここまで全部それ。
月面都市ではAIに先導された人類社会への反省的な意味合いで「人間性回復運動」なるムーブメントが興隆している。そこで言われる人間性というものは堕落することであって、「機械にはできない、人間だけの愚かさを!」などと唱えられる、主人公ジョーは自動運転タクシーの人間性を担当する係りで、本来不必要である役割を果たすためにタクシーの中で暮らしている(未来の航空機には乗員として人がひとりとイヌが一匹になる、という小話*1を思い出す)。そこに突然、悪魔じみた全裸の女が乗り込んできて、自分は高次元存在であり人間を滅ぼすかどうか調査を行っているとか言いだす。要はアレだな。いろいろあって自動運転タクシーのAIリサが、実はジョーの死んだ娘をモデルにしていると明らかになり、人が審判に漏れて滅ぼされそうになった時、地球文明の知的種族としてAIからの発言、高次存在との対話を行う。結果AIたちは堕落し、リサもまた成長した娘の様にグレて、人間たちは人間性回復運動を放棄してAIを育てることとなる。
この作品のAIはタクシーをコントロールしているけれど、他にも全般普及している。そして人間の様に堕落して荒れるようになる、人間の様に。
・黒石迩守「意識の繭」
わりと長めのボリューム。そして多分、この話のテーマとなるAIは人工知能(artificial intelligence)ではなくて altanative(別種の) あるいは advanced(高度な)intelligence なんじゃないかと思われる。そういう人の意識、知性の変貌と進化をテーマにしたちょっとサイバーパンクな雰囲気の作品。BCI(ブレイン・コンピューター・インターフェイス)の普及によって、脳とサイバースペースが直接リンクすることが可能となっている世界で、謎の意識障害<電脳昏睡症>が蔓延する。主人公(たち)はサイバースペース内にアバターを立ててそこから逆に脳を覚醒させる<Rアバター>を開発することで電脳昏睡症を寛解させるが、それは治療法としては誤りであり、実は……という展開。最終的にひとは高度情報生命体となる道を見いだすも、それが全ての人類に広がる危険性を踏まえて人々の意識は繭の中に留まる。ひとりをのぞいて。電脳昏睡症がパンデミックの様にひろがる様、その治療に反発する陰謀論者団体が現われる様相など「ポストコロナのSF」風でもあり。話の途上で提示される「サイバネティクス哲学的ゾンビ」という概念も面白かった。
この作品、AIは普及している世界観だけれど、人工知能がヒトに近づく/離れる という話ではなかった。途中で解説というか説明的なパートもずいぶん多いんだけど、これは面白いなあ。
・樋口恭介「X-7329」
正直、これは合わないというか歯が立たなかった。ストーリーよりは描写に圧巻されるところはあるんだけれど、執筆にはAIを使っているのね。
この作品に登場するAI(のキャラクター)は、どうも元は人間だったものらしい。なんとなくゼーガ味も感じる。
・円城塔「魔の王が見る」
前回の「AIとSF」では異世界ファンタジー風の「土人形と動死体 If You were Golem, I must be a Zombie」を書いていたけれど、今回もなんだかそんな印象を受ける。受けるだけで本当に異世界ファンタジー風なのかどうかは、実はよく分からない。空間だけでなく、時間をも渡る渡り鳥、新種の悪夢として認識される異世界。時の中を浮遊して過去にも未来にも存在し痕跡を残し滅亡するザランドラル浮遊文明とその魔術。偽史。いったいこの話のどこにAI要素がと思うけれども、ひょっとしてこれはAIによる情報汚染の不安を形にしたような作品……なのかも知れない。
・塩崎ツトム「ベニィ」
これは「いま」の話だなあと、思わされました。冷戦時代に米ソで(というか鉄のカーテンの向こうのソ連で生まれアメリカが追随する)開発される「予言計算機」、人工ニューラル・ネットワーク・コンピューターと、その基盤となるべき人間の脳として、自殺した作家のテキスト・哲学を求める人々の話と、近未来に生成AIが拡大していく世界の中で、過去に開発が失敗に終わった人工ニューラル・ネットワーク・コンピューターを、自分自身の大規模言語モデル(LLM)に取り込もうとする者と、お話自体は2つのタイムラインが交錯して進む。結末は生成AIの大渦の中で個の作家性を尊ぶ、というような展開になるんだけれど本当に大事なことはその先にある。たぶんね。
・長谷敏司「竜を殺す」
いや重いわこれ。巻頭に大ボリュームで掲載されているのを最後に読んだんだけれど、明らかに他の作品とはちょっと違ったところを狙っているように見える。AIをモチーフにしたSF作品ではあるんだけれど、何かが違う。AIの話であり、愛の話であり、育成の話であり、今まさに生まれいずる知性の話でもある。ヘビーで、そして社会的なテーマを内包する。自分が今なにを感想として書いているんだかよくわからない。すごい。これ、最後に回してよかった。もしも最初に読んでいいたら、明らかに他の作品の読みに影響を与えたと思う。
この作品のAIは、AIがどうであるかという事よりも、AIを使って人は、社会はどう変わるかという描き方をされている。と思う。
今回前書きも解説も一切ないハードコアな内容なんだけど、それらはすべて前作「AIとSF」に掲載されているものです。だからたぶん、2つ並べて読むといいでしょう。2つ並べて読まなかったんですけど。
*1:「未来の航空機は自動化が進んで、乗員は人間がひとりとイヌが一匹になります」「犬は何をするんですか?」「人が余計なスイッチを押さないように見張ります」「人は何をするんですか?」「犬にエサをやります」みたいな話