で、続きです。カバー折り返しには「解放直後から市内に潜入した著者の丹念かつ慎重な取材により…」などと書かれているのにその辺りを説明する解説もあとがきもなんにもないのは「ハヤカワノンフィクション・マスターピース」を謳う書籍にしてはいささか不親切ではあるまいか…と、思われる。しかしこのタイミングでマスターピースか。いやなシンクロニシティだなw
タイトル通りレニングラードの包囲は約900日に及ぶ長期的なもので、この間に死んだ人間の数はソ連当局がビビって明確にしないほどのものらしい。民間人の死亡総数は公式には67万人強、うち64万人近くが餓死者だと公式発表がされているがこれはかなり少なめに見積もった数字だそうで実際のところ真実はだれにもわからない。死んだ人間の数を比べて「われわれが世界で一番ヒドイ目に遭いました」と誇るのは、なにか空しい。
その足掛け3年にわたる包囲期間のなかでも、最も苛烈で最もページ数が割かれているのは1941年〜1942年の最初の冬の間で。レニングラードといえばこれ。的な情景が様々に記述される。食糧倉庫の焼け跡から掘り出された「糖分を含んだ泥」が瓶詰で売られていたのはこの時期だし、女性物のブーツを売るよといわれてアパートの一室までついて行ったら部屋にぶら下がってのはブーツじゃなくて人間の脚だった(;゚Д゚)ガクガクブルブルもこの時期だ。「卵をめぐる祖父の戦争」*1は、ほぼそのまま書いてたんだな(苦笑)ドミノの列が両方から押されてどちらに倒れるのかお互い見えない時、そんな時は双方ともに苦しいもので。ラジオ番組に呼ばれて朗読した詩人がそのままスタジオで力尽きて死んでしまうような時でも図書館は開き続けて18世紀の書物からロウソク製造法が発見されたりしたってのはなにかこう、本読み的にはじんわりきますね。
包囲下に置かれたレニングラードは市街戦を行ったスターリングラードとは全く異なる状況を耐え忍んだのがよくわかる。どちらがどうこうではなくて「スターリングラードは直接侵攻せず包囲して砲兵戦で破壊するべきであった」if論なんか仮に実行しても上手くはいかなかったろうなぁと思うのだ。やっぱりドイツ空軍には戦略爆撃能力が絶対的に不足しているよな。ところで、本文でよく見られる「ドイツ空軍が投下した時限爆弾」ってのはやっぱり単に不発弾の誤認なんだろーなー。わざわざ人目につくようなデカイ爆弾落として、処理班に解体する余裕を与えられるほど、世の中甘くは無い訳でさ。
凍結したラドガ湖上を走るトラック輸送(まさに「アイスロード・トラッカーズ」だな)による微々たる補給路などを糧とし極限まで切り詰めた配給体制を経てやがてドミノはドイツに向けて倒れ始め、解放へとつながりめでたしめでたし。しかし誰も忘れませんとそこまでは普通の(普通の?)戦記ものらしい。レニングラードの指導者層が戦後のソ連の中央政治で出世しましたってエピソードもまあありがちだ。市内に多くいた文人作家たちは当時の記憶を赤裸々に描いた作品を作り、そして…
みんな粛清されちゃいました(´・ω・`)
なにしろまだスターリンが生きてたからねぇ。そういう時代の、記録でもある。まさにリアル「一九八四年」*2の世界なんだな*3