ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

上遠野浩平「パンゲアの零兆遊戯」

 

パンゲアの零兆遊戯

パンゲアの零兆遊戯

 

 

ページをめくったらサーカム財団なんてあったんで飴屋のシリーズも随分変わったなあと思ったら別に飴屋のシリーズではなかった(笑)

とはいえ設定的にはかなり近いところには在るようで、例によってみなもと雫が、あるいは死せるみなもと雫が、お話の重要な位置を占めている。お話自体はいつものかどちんで、世界を陰から支配というかコントロールというかワッチしている団体の傘下で「未来視」をするという触れ込みの人物が集まって、ひたすらジェンガをするという(正確にはジェンガじゃないんだがまーそんなもんだ)変な話です。例によってストーリーよりは韜晦した会話を続けることが優先みたいな雰囲気で、その辺もいつものかどちんなんだけど、まあなんか知らんが面白かった(ひどい感想だ)

 

たぶん、ヒロインの立ち位置がちょっと「歪曲王」を思わせるような気配というかノリがあるから、かな。統和機構と違ってサーカム財団は基本的には善良な団体なのかもしれないなー、とか。

「ハイドリヒを撃て!」見てきました

公式。お盆の休みにどこか遊びに行こうと思ったらあいにくの天気だったんで仕方なく新宿で映画見るに済ませた…ら、結構なアタリだったので満足です。以下ネタバレありにて。

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モリナガ・ヨウ「迷宮歴史倶楽部」

 

迷宮歴史倶楽部 戦時下日本の事物画報

迷宮歴史倶楽部 戦時下日本の事物画報

 

歴史群像」誌連載のイラストエッセイを単行本化した物。刊行にあたって連載には無い「戦時下日本の事物画報」というサブタイトルが付されている。内容としては掲載順ではなく、「戦時下日本の事物画報」に沿った記事をセレクトして再構成したもので、「この世界の片隅に」であの時代の日常に興味を持った人ならば楽しく読めるものでしょう。このタイミングでの刊行は「便乗」なのかもしれないけれど、時流に乗ればこそ、届く瀬もあり。片淵須直監督だって以前は歴群別冊で記事書いていたのだし、片淵監督や小峰文三氏と同じ「実証」的なスタイルを、もっと日常的な対象・視線で捉えたもの といっていいでしょうね。いわば「軍事のブラタモリ」だなーと。

 

調布飛行場掩体壕は見に行かないといけないね。その記事がコンクリートの品質や「風の谷のナウシカ」の王蟲のイメージが被るといった、モリナガ・ヨウの守備範囲の広さを端的に示しているのは面白い。

 

連載で読んだときも衝撃だったのは太平洋戦争中の「金属供出」のエピソードで、「軍隊による強制」のようなイメージで語られることも多いこの事例が(まあ、例によって)、軍隊ではなく行政組織全般に広く浸透していた作業であること、その気になれば融通も利く程度の物であったことなど、イメージと実際は随分違ってそうだな…と思わされたことでしょうか。もちろん誰もが自由に融通を聞かせられたわけではないし断れない立場・関係もあったでしょうが、率先して自発的に納入される例もありでそうそう簡単に「軍隊が悪かった」に収斂するものではないのでしょうね。むしろそれは、もっと大きなんー「悪」?から、目を背けさせることでもあるのでね。

 

NHKの朝ドラなどでおなじみの「空襲に備えて窓ガラスに*状に紙を貼る」光景が、当時の写真を「見れば見るほど見つからない」というのもそれなりの衝撃ではある。イメージで収斂されちゃってることって多いんだろうなあ。

池澤春菜「最愛台湾ごはん」

 

最愛台湾ごはん 春菜的台湾好吃案内

最愛台湾ごはん 春菜的台湾好吃案内

 

 

池澤春菜はガチ。

 

多芸多彩な著者が偏愛して止まない台湾ごはんについての、正確には旅行用ガイドブック。完全に実用に徹していて、地図案内などは店舗ページをスマホで撮影するとgoogleMAPが開く(アプリのインストールが必要)ギミックが施されている。おおう拡張現実(か?)

 

本人+編集+カメラマン及び現地学生ガイド2名による8日間のチャリ激走取材、1日平均20余店舗を見て・食べて廻ったコンパクトながら濃厚な一冊です、これから台湾に行こうという向きには必ずや美味しいところを教えてくれるでしょう。有名どころから現地の人も知らないような穴場まで、百花繚乱の巷。

食べ物もまた建物も、写真が綺麗で読んでいるだけでも楽しくなるものです。でも本文をよーく読んでいるとやっぱりえきぞちっくなアレコレ、多少は身構えて行かなきゃならんよーな気配もまあ、しますかね……「一人でも大丈夫」とあるのはメニューの量的問題なのであって、「レベル1ひのきのぼう勇者が一人で立ち向かっておk」ということでは、たぶんなかろう

 

残念ながら、自分が生きている間に台湾に旅行する可能性は限りなくゼロに近いのだけれど、だからこそ紙の地図はほしかったように思います。巻頭に「地図」が置かれていれば、「読み物」としては美味しくいただけるものなので。

 

巻末にはいくつか台湾料理のレシピも載っているので、それを読んで再現を試みると致しますか。お料理もプラモデルも、人が作ったほうがウマいのだけれど、自分で作ったほうが楽しいのだ。

 

たぶん、旅もそうなんでしょうね。

 

刊行記念のトークショーに参加したら取材中の楽しいエピソードのみならずツーショット写真(!)までいただけて、それはそれはおなかいっぱいなのじゃよ。

柞刈湯葉「横浜駅SF」

 

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

 

 WEB投稿小説サイト「カクヨム」からの出版作品第一号ということでやや身構えて読んだ(何故)のですが、しごく真っ当に面白い小説でした。「BLAME!」のパロディというかオマージュ的な要素が根幹にはあるのだけれど、普通に読みやすい内容、親しみやすい小道具、章ごとに新たな人物や展開が提示されるローリング感、まとまりの良さ。しいて言えばJR北海道のユキエさんが最後まで正体不明だったことと、デビュー作でこれだけまとまりのいい作品書くと後が大変じゃないかしらとゆーいらんお節介ぐらいか。

 

主人公のヒロトががただ流されているだけの存在で、そのことに対して自覚的なところが良かった。異世界転生無双とかよりはこういう話の方がいいなあ。

 

その上でもう一人の主人公(というかデウスエクスマキナ的な)であるJR福岡のトシルくんが好き。このふたりが一瞬だけ邂逅して、その後も特に人生で交わったりしないドライな感覚は好きです。

 

弐瓶勉のパロディというのは作者あとがきにも書かれているけれど、パロディというかフォロワーなんじゃないだろうか。アフタヌーン四季賞受賞作にありそうなお話ではあります。

ジャック・ヴァンス「スペース・オペラ」

 

スペース・オペラ (ジャック・ヴァンス・トレジャリー)

スペース・オペラ (ジャック・ヴァンス・トレジャリー)

 

 国書刊行会ジャック・ヴァンストレジャリー最終巻。今回は表題になっている長編「スペース・オペラ」+中短編4本という構成。その「スペース・オペラ」も長編とはいえ様々な星をめぐる連作のような形ではありますな。

 

ジャンルとしてのスペースオペラがどんなSFを指すのかというのはまあ、今更ここで書くことも無いのかもしれないけれど、本来安物SF活劇であった存在が、いつのまにか壮大で高尚な作品を差すようになったのは、ひとつは日本における「オペラ」の位置づけの西欧との違いで、もうひとつは多分ジョン・ウイリアムズによるスター・ウォーズの映画音楽がゴージャスすぎたからではあるまいか。そういうハイローの差があり過ぎるスペースオペラ業界に殴り込みをかける渾身の一作…ではあるのかも知れない。ジャック・ヴァンスの「スペース・オペラ」がどんな作品かと言えば宇宙でオペラを上演しに出かける話です。

 

「出オチ」ってこういうことだろうなあ。メインキャラがほぼ全員胡散臭いかボンクラから胡散臭くてボンクラという一行が、「異郷作家」ヴァンスお得意のヘンテコリンな文明を持つ様々な惑星を巡ってだいたいヒドイ目に合う流れで、ちょっとスケールの大きな21エモンという感じです。いまひとつ消化不良な感じではあるけれど、石黒正数のカバー画に描かれたヒロインのマドック・ロズウィンは本編よりカワイイ(笑)

 

その他の収録作では「悪魔のいる惑星」が良かった。思うに、19世紀には地球上で可能だった「未開の文明」と接触する物語が、その実態が明らかになるにつれ(差別問題等で)やりにくくなっていった20世紀で、舞台をSFという場所に変えれば、それがまだ可能ではあったということなんだろうなー。

 

翻って21世紀の今では、ここまで牧歌的な宇宙観のSFは、やはりやりづらかろうと、そこを何とかするのも作者の腕前なのかも知れませんが。

由良君美編「イギリス幻想小説傑作集」

この手のアンソロジーは(手を出せる範囲では)大体読んだかなあ、などと思っていたらUブックスにもあったのね。収録されているのはM.R.ジェイムズやレ・ファニュ、ジョン・コリアなど幻想小説界隈(何)では著名な大家のみならず、コナン・ドイルH.G.ウェルズ、サキにキプリングなど「一般の」読者層にもっと有名な名前が並んでてなんていうか「文学」よりかなーと読み進めていたら編者の巻末解説が

幻想文学>というジャンルが、現在のような隆盛をみることは、ほんの一世紀前までは多分考えられなかったことに相違ない。
多くの理由が考えられるが、なかでも、文学の本質がリアリティーの忠実な文字による反映であるという信仰が一時期を支配した間、この分野は文学の中でも最もあやふやな、わけのわからぬ分野として軽視されてきたことが常識的に上げられなければならない。

そんな書き出しから始まって近代文学のリアリズム重視と、翻って近代以前から連綿と続く「文学」の想像性・非現実的な意味合いについて語られていて、本書が刊行された1980年代当時には、幻想文学全般に現代のようなエンターテインメントとはちょっと違った性格があったのだろうなと、そこがいちばん面白かった(笑)。前に真クリの7巻にあった、宮壁定雄による

僕等の世代は、学園闘争に敗れ幻想文学へ逃避した世代だ、などと片付けられる事があるけれど、むしろ僕等の中では沖縄もラヴクラフトも同じ重みで存在していたと言っていい。総ては、自己の存在を見つめさせ、または存在の意味を認識させてくれるもの――そんな意味でラヴクラフトは僕等の「青春文学」だった。

*1

そういう、ちょっと身構えた感じがあったんだろうなあこの時期。スプラッタ映画がブームになったり宮崎勤事件が起きたり、80年代っていろいろ大変だったのよ。

作品に戻ると、今回読んだ中ではミドルトンの「幽霊船」が面白かった。片田舎の田畑に突然幽霊船が降ってくるお話なんだけど、幽霊がひとを呪う訳でもなく…というのがホラーというかホラ話みたいなんだけど、こういう幽霊譚はイギリス的だなと思いますはい。

ウェルズの「ポロックとポロの首」、キプリングの「獣の印」はどちらもアフリカやインドを舞台に「原住民の呪い」を扱った内容で、帝国主義的というか人種差別的なのは間違いない。間違いないけれども、19世紀というのはまだこのような作品を発表して世に受け入れられることができる、そういう時代だったのだなーと、いや20世紀でも21世紀でもそんなのはゴロゴロしてるんだろうけど、まあそんなことを思ったわけです。

時代と共に作品の表現・内容に対する規範は変わるものだけれど、作品の表現や内容を弾圧したがる人間は、いつの時代にも変わらず存在するのだろうな