ひとやすみ読書日記(第二版)

最近あんまり読んでませんが

佐藤亜紀「吸血鬼」

吸血鬼

吸血鬼

時代小説なんだろうなあと思いながら読んでたら、大蟻喰先生の本を最後に読んだときも同じこと書いててちょっと笑った*1。過去の時代、外国の土地と人を舞台にしていても、これは現代を生きる現代の読者のために著わされた作品で、時代小説ってそういうものだ。

19世紀のガリチアが舞台とあって、恥ずかしながら場所も歴史的背景もとっさに浮かばなかったので、調べてみれば成程なと納得する。全編これ「不穏」が漂う作品の、時間も空間もそもそもが不穏の支配するところだというわけで。オーストリア・ハンガリー帝国ポーランドあるいはスラヴといううーん、要素?単純にナショナリズムや民族性だけでない、新進と旧弊、文化と土着、現実と幻視、生と死、様々なものが複雑に絡んでいく様は実に不穏で、クライマックスがさほど大ごとにならずにまとめられてしまうことすら穏便ではない。

たぶん、詳細なストーリー展開、あらすじなどよりも、そういう「空気」を読むことが大事なような気がするのだけれど。山本七平的な「空気を読む」ではなくてね。

不穏な空間は落ち着く。このラストは良いなあ…

パトリック・ネス著 シヴォーン・ダウド原案「怪物はささやく」

 

怪物はささやく

怪物はささやく

 

いわゆる 「本読み」が薦めてくる本というのは自分自身が親しんでいるジャンルであるかどうかに拘わらず面白いものだけれど、普段あまり読んだ本を薦めてこないタイプの本読みが、それでも薦めてこざるを得ない本といったらそりゃ面白いに決まってる。

 

普段読んだ本をそれほど薦めてこないこない方が強力にプッシュされていた一冊、実に面白く読めました。悲しいお話だけれどねえ…。思うに、「面白い」と「喜怒哀楽」は異なるレイヤーに属しているのだろうなあ。

 

「感覚に素直になれば矛盾は必然」ということを、僕は「メルティランサー」シリーズのたしかノベライズで学んだのだけれど、この本はまさしく素直な感覚のままでいれば必然的にひとは矛盾を抱えざるを得ない、というような内容でした。それほど簡単に、ひとは是非を分けられはしない。コナーも、ハリーも、リリーも、そして周囲の大人たちも、皆矛盾を抱えて生きている。是を正しくする存在が何かといえば

 

怪物である。

 

Monster supirised you.

 

そりゃ自分にだって真実を話すくらいなら死んだ方がマシだって思うことはある。

 

そのことについては実生活でもネットライフでも、これまで明らかにしたことは無い。

 

怪物に会いたいと、切に思う。

 

映画化されてちょうどいま公開されてるんだけれど、とてもこれは見られないな…

藤田昌雄「日本本土決戦」

日本本土決戦―知られざる国民義勇戦闘隊の全貌

日本本土決戦―知られざる国民義勇戦闘隊の全貌

「激戦場 皇軍うらばなし」*1などの藤田昌雄によるノンフィクションというより資料なのだけれど、まあこのブログのカテゴリーについてはあまり気にしない方向で。刊行前に概要を知ってこれは読まねば!と思いつつ気が付いたら2年経ってたのはその、 

 忘 れ て い た 

からですいません、自決します*2。内容については他に類書がない、と思われる太平洋戦争最末期の本土防衛体制の実態をまとめたもの。よく資料が残っていたなあとまず驚くとともに、一般にはなかなか読めないであろうものを、こうして一冊にまとめて出版されたことの意義を称えたいものです。このあたりの話は「はだしのゲン」やNHKの朝ドラなど一般層にも向けた作品でもしばしば取り上げられる半面、「竹槍でB-29を落とす」のような観念的なイメージによる批判が浸透していて、現実の、史実の恐ろしさを却ってスポイルしているのではないか…などと思っていたりもするもので。

現実に竹槍で立ち向かう相手は遥かな高空のB-29などではなく、目視距離に捉えた連合軍の正規歩兵部隊であって、一般国民によって編成された「国民義勇戦闘隊」がアメリカ・ソ連軍と現実に交戦した戦例も記録されています。これまでの著者の本には旧日本軍のシビアな(そしてこれまであまり注目されてこなかった)実態が赤裸々に描かれながら、ページのところどころには思わず笑ってしまうような箇所も散見されたのだけれど、今回は流石に重い内容で、読んでいて気が滅入ってくるのも確かだ。特に国民義勇隊の編成に関する法令の章ではどこをめくっても「義勇」「義勇」だらけで、体制が volunteer を強制することの恐怖を感じ取れる。やはりいま読んだのは良かったな。「この世界の片隅で」に接した後でよかった。この本に記載されていることもまた、昭和20年の日本の片隅で確かに起きていたことなのですから……

自分は極めて個人的に原爆投下と本土決戦をトレードオフな関係としてとらえている。原爆に(原爆被害に)言及することが被害原理主義になっている今の世ではあまり大きな声では言わないほうがよいことではあるけれど、原爆投下がもし起こらなかったらどうなったのか、それを考えるきっかけにはなるかも知れません。そのうえでたぶん、いま考えるべきは「絶対国防圏」であったサイパン島が失陥したときに、なぜ日本は戦争を止めることが出来なかったのか?それは政治や軍部の問題なのか、それとも「社会」全体の問題なのか…

そんなところかな。

だって次の戦争でも負けますよきっと、我々は。

*1:http://abogard.hatenadiary.jp/entry/20060325/1143297054

*2:「自己解決しました」の意

藤崎慎吾「深海大戦 超深海編」

 

深海大戦 Abyssal Wars 超深海編

深海大戦 Abyssal Wars 超深海編

 

 

読んだ、これまでとくらべると話の展開がスムーズで(謎解きパートだということもあり)読みやすかったようには思う。例によって説明的な台詞・シーンが続く割には肝心のところをボカシて進めるようなきらいはあるのだけれど。

 

うーんたぶんね、このお話の(もしかしたら作者自身の?)根底にある楽観的な無政府主義に、自分があまり共感できないというのが、最後まで引っかかっていたのだろうなあ。

 

最終巻にしてようやく姿を見せたイクチオイド<タンガロア>、だよなあコレ、が、「絢爛舞踏祭」の希望号を劣化させたようなデザインなのはさすがにどうかと思うのだが。

早川書房編集部・編「伊藤計劃トリビュート2」

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃トリビュート2 (ハヤカワ文庫JA)

ふだんあまりネガティブなことは書かないようにしているのだけれど、まあこれまで皆無という訳でも無し、これはダメだった。

先日読んだ「アステロイド・ツリーの彼方へ」*1の編者(大森望)による2015年概況が、「二○一五年の日本SF界をふりかえると、その中心のひとつは、二○○九年に世を去った伊藤計劃だった」からはじまるのに妙な違和感を感じて、その直後に読んだこともあまり良い影響を与えていないように思うのだけれど、SFの中心のひとつは伊藤計劃ではなくて「伊藤計劃で商売をする連中」じゃねーかというのが大体の感想です。

若手作家を売り出すのに死人の名前でラッピングするというのは伊藤計劃的かもしれないけれど、この本伊藤計劃と関係ない話の方が面白くて、巻末にはやけに長いのがあるなと思ったらそれは長編の抜粋だったのでさすがにページを閉じる。こうでもしないと売れないのだったら、いまのSF界は活況でもなんでもないよ。春だの夏だの言っててなんでSFマガジンが隔月刊になってんのよ。

作品自体には罪などないし草野原々「最後にして最初のアイドル」は非常に面白かった。柴田勝家雲南省スー族におけるVR技術の使用例」はSFマガジンで既読だったけれど、これも「完全なる真空」のような虚構性の良さがある作品です。でもそれらの作品もそれぞれの著者も早逝した作家とは関係が無いし、収録作品に共通する「テクノロジーが人間をどう変えていくか」「異質な存在との対話/コミュニケーション」のテーマだって伊藤計劃に帰するものではないだろう。

売らなければ商売にならんというのはわかるのだけれど、なんかピントがずれてる気がするんだよな…

大森望・日下三蔵 編「年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ」

 

 例によって2周ほど世の中に遅れて読む(笑)今回の収録作では表題となった上田早夕合「アステロイド・ツリーの彼方へ」と、坂永雄一「無人の船で発見された手記」梶尾真治「たゆたいライトニング」などがよかった。

 

「たゆたいライトニング」は久しぶりに読んだエマノンシリーズでいて、「クロノス・ジョウンターの伝説」とも関連し全体的な構成としては「時尼に関する覚え書」に相似している、カジシン好きならいろんなスイッチを刺激されそうな作品でした。

 

無人の船で発見された手記」はロバート・ブロックのクトゥルフ神話をもじったようなタイトルで、中身は旧約聖書ノアの箱舟…のようでいてやっぱり旧支配者的なアレがコレするスリリングなもの。クライマックスの情景は美しいと思うし、こういう作品を美しいと思う感覚は保ち続けたい。

 

「アステロイド・ツリーの彼方へ」はまーなんか流行り物でズルいよなという気がしなくもないけど猫や人口知性や健気な宇宙探査機好きにはヒットするものでしょう。

 

上遠野浩平「製造人間は頭が固い」はSFマガジン掲載時に読んでたけど、著者あとがきがかどちん節じゃなくて新鮮(笑)

 

で、だいたいこういうアンソロには「なんでこんな作品が収録されているのか」みたいな不満も多いけれど、これまではあまり気にしないで来れました、こういうものは編者の趣味嗜好だからねえ。でも今回初めて「なんでこんな作品が収録されているのか」と感じたものがあった、ということは記録しておきます。流石にタイトルは挙げないけれども。

ハラルト・ギルバース「ゲルマニア」

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

ナチスドイツ統治下でのハードボイルドミステリーというのはそれほど珍しいものではなくて、あとがきにもいくつか先行作品が挙げられています。ナチスドイツが架空の勝利を挙げた後の世界とか、ナチスドイツ統治下のパリとか舞台は色々あるけれど、それでもやはり戦時体制真っただ中の1944年ベルリンを舞台にした作品を、戦後生まれのドイツ人作家が著わすということには並々ならぬ意味がある、ような。切り裂きジャックを模したような連続殺人事件の、犯人のキャラクターにはたぶんドイツ人ならではのこう、ね。

主人公は戦前は警察勤務でナチス政権以降は迫害されていたユダヤ人のオッペンハイマー警部、妻がアーリア人であったためにかろうじて収容所送りを逃れていた彼が、その経歴を買われて武装親衛隊の事件捜査に引きずり出されるという展開です。武装親衛隊がなんで殺人事件の捜査なんてやってるの?という疑問にはそれなりに回答が用意されているけれど、不慣れな仕事に戸惑うフォーグラーSS大尉との間にいつの間にか奇妙な友情が…というのもまあお約束の展開ではあります。

ラストには事件が解決してオッペンハイマーは「自由」を得る。ではその自由とはなにか、というところが、これまでに読んだ類似作品のどれよりも、しみじみ感じ入るところではあります(いちおうハッピーエンドですよ)

 

ところで、あとがきには触れてなかったけれどナチスドイツ統治下でハードボイルドミステリーと言えばフィリップ・カーのいわゆる「ベルリン三部作」でしょう。本作はフィリップ・カーが三部作で敢えて空白にした期間が舞台で、本文のそこかしこに意識したような人物が配されてるような気がするのだけれど、あとがきでは特にベルリン三部作には触れてないのだよなーうーむ

 

関係者の自宅に聞き込みに行ったら「そのお宅は2週間前に空襲被害に遭って本人もどこかに行っちゃったよ」みたいな展開が頻出するので、戦時下の犯罪捜査は大変であるw